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私の犬の挽歌。

6月29日(土) 

雨上がりの朝、だらだらと起き始めて出かける。

今日はワークショップでお世話になる書店、心音Booksさんで開催された猫歌人 仁尾智さんのトークイベントへ行きました。先日購入した仁尾さんのご著書「また猫と 猫の挽歌集」や短歌についてのお話でした。

また猫と 猫の挽歌集|書く|書籍|雷鳥社 Raichosha

猫に限らず、喪失の経験はその人の暮らしを一変させると思っている。何度も書いたり言ったりしているけれど、私は8年前に喪った愛犬のことを何かにつけて思い出している。刺繍だって彼女がいなかったら始めていなかった。

ずっと、彼女を喪った時のことを書きたいと思って書けていなかった。今日、仁尾さんと参加者の方と喪失の話ができた。イベントからの帰り道、頭の中に整理できない余韻があって、その勢いに任せて書いてみようと思う。

正直、犬と暮らし始めた時、喪失のことについて事細かに想像していなかった。私は当時高校生で、子供の頃からずっと飼いたかった柴犬と暮らせることに有頂天になっていた。犬の寿命が自分よりも短いこと、いずれ喪うことも頭では分かっていたけど、その哀しさの種類は自分の人生になかったものだからどういう感情になるかまでは考えられていなかった。別れのことは頭でしかわかっていなかったということだ。

愛犬は私が34歳の時に18歳で亡くなった。あと3か月で19歳、4月の誕生日は迎えられなかった。その数年前に私は実家を出ていて、犬の介護は母がしてくれていた。父と妹も単身赴任や結婚で実家にはいなかった。私は休日はなるべく実家に帰り、昼夜問わず徘徊して鳴く彼女の介護に参加した。寝るにしても一人では寝られず、私の体の上に彼女を乗せて寝たり、ホットカーペットの上に毛布をかけて一緒にくるまって寝たりした。夜中起きた時、彼女の息が止まっていないか何時も確認していた。

亡くなる少し前、実家から自宅に戻る途中、私は忘れ物をしたことに気づいた。車で片道1時間、すでに30分ほどの距離に来ていて、しかも次帰った時でも良いような物だったけれど実家に戻った。遅い時間だったので、忘れ物をとってサッとまた帰ろうとして愛犬を撫でた時、「もしかしてこれが最後かもしれないな。」とふと思った。思ったけど認めたら現実になってしまいそうで、考えないようにした。

彼女は特に大きな病気をしたわけでもなく、少しずつ老いていった。それからできないことが日に日に増えていくのに、気高く、主張が強くて最後まで彼女らしかった。何にもできない彼女のことがかわいくて仕方なかった。

予感がしてから3日後の朝、母親から連絡があった。母親に抱っこされながら亡くなった。何とか仕事に行き、夜中に実家に帰った。県外に出ていた妹も、単身赴任中の父親も帰っていた。父はたまたま戻る予定があった日だった。

誰かが「しあわせだったかな。」と言ったのに対して、父親が「顔を見ればわかるでしょ。」と言ったのを覚えている。

徘徊しながら鳴きさけぶ声がない実家の居間は居心地が悪かった。もう寝不足にならなくて済むのに、寝たいなんて思わなかった。

寝られなくて、横たわる彼女の亡骸を自分の膝に置いて、「べにちゃん(愛犬の名前)、私これから大丈夫かな。」と泣いて訴えた。私のこれからを見守る存在が居なくなってしまったと思った。ずっと一緒は無理と分かっていたのにも関わらず、そんなことを思う自分のことを勝手だと思った。

翌朝、見送る日、私の車に彼女を含めた家族5人で向かった。車の中で、星野源の「知らない」が流れた。喪失の歌だ。「終わり その先に 長く長く つづく 知らない景色」と源さんが歌う。私は彼女のいない世界を知らない。暮らせる自信がなかった。
骨になっても彼女はかわいかった。きれいな歯並びを見て、母親が「かわいい..」と言った。それを聞いてまた泣いた。

見送った後、仕事だったので自分の家に戻ってから街に出て驚く。何も変わっていない。こんなに自分に衝撃的な出来事が起こっているのに、何も変わっていない。何で自分がこの世界で暮らしていかないといけないのかが分からなかった。だから、食事をする気にもなれず、噛まずに済むようなものばかり食べていた。

犬がいないなら、実家に帰っても意味ないと思うようになった。帰る頻度がぐんと減った。居間に徘徊して転んで叫んでいる彼女の姿を探す癖が自分についていて、悲しくなってしまうから辛かった。
当時母親は、よく「べにちゃん、お留守番上手になっちゃったもんなぁ」と言っていた。介護している時、置いて出かけるのが難しかったのだ。私は留守番が下手な彼女ともっと居たかった。

あの時のことをペットロスなんていう言葉で片付けたくない。私はただ、私の大切な存在を喪ったのだ。

生後一か月で家に来た日、心細かったのだろう。朝起きるとケージの中に居なくて必死に探すとスリッパラックの一番下の段の奥で寝ていた。母は「5万円(買った値段)がいなくなった」と思ったらしい。

彼女は猫が好きだった。犬のことは散歩中見ても無視するのに、猫を見かけるとキュウキュウ鼻を鳴らしながら追いかけていた。猫にはシャーシャー言われていた。「猫ちゃんいるよ!」というと窓の外に探しにいくくらいだった。

散歩中に、石ころをくわえて私の足先において蹴るようにせがんだ。蹴ったその石を追いかけてまた私の足先において…を繰り返して、家が近くなるとくわえたまま玄関に持っていっていた。誰が教えたわけでもなく。

パンが大好物で、たまにあげる薬をパンに包むものだから、「お薬いる?」の言葉にも反応して喜んでいた。パンだけでなく、食べることが大好きで、食べ終わったごはんの器をさげるのにも歯をむいて怒っていた。

ユニークな犬だった。
私はこれからも彼女の思い出と生きていこうと思っている。



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居間をみる習慣がぬけない もういないかたちの余韻

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