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整理整頓は、現状把握であり風穴もあける。(過去に引っ張られる②)

 昨日は、刺繍屋として2回目のワークショップでした。5名満席。嬉しい。前回も今回も、「刺繍をしてみたかったけど、自分では始められなかった。」という言葉を貰って、そうかー、全然自分では想像もしていなかったニーズがあったと思った。本当に自分一人で考えられることの範囲なんて、ものすごく限られているんだなという思いです。
 そして刺繍のワークショップをやることなんて、始めた頃は想像もしていなかったけれど、すごく楽しいかもしれない。できるできない云々ではなく、自分で決めて動いたら、目の前の景色が変わっていくということが、また一つ起きた感じ。

 このところ少しずつしている部屋の整理整頓。自分の環境が少しずつ変わってきていることによって、物の見え方が変わったんじゃないかなって思ったからはじめた。やはり案の定で、仕事辞めてからの半年では決断できなかった取捨選択が、サクサクできている。何でも自分の内面に照らす癖のある私としては、これは自分が向かう先が決まりつつあるんじゃないかなと思える現象だ。

 そして当たり前だけど、朝起きて、昨日より少し整った部屋を見るのは心地よい。当たり前だけど。整える作業は時間を要するので、ついつい後回しにしてしまっていた。ちょっとの整頓は後回しにして、その時間を刺繍する時間に使いたいと思っていた。何か違ったかもしれない。暮らしを疎かにしていては、色々がまわっていかない気がする。数日間、ちょっとの整理整頓をしただけでそう思うから、これは続けてみよう。
 整理整頓は、今を把握するのにピッタリかもしれない。

 ここまでは、物と自分との話。ここからは、それ以外と自分の話。少し前から、もういいかなと思っていることがある。簡潔に書くと、「今までに引っぱられること」。
 これまた自分の中の矛盾なのだけれど、「今までの自分の蓄積があるからこそ、新しいことに向かえている」と、「今までこうだったからといって、これからもそれを続けなければいけないわけではない」という矛盾。
 自分の中にある矛盾はだいたいがそのままにしておいてもいいかなと思う類のものが多いのだけれど、これは何か違う気がしていて、過去の取捨選択が迫っている気がしている。

 最近わかったのが、私は人より好奇心が強いのかもしれないということで、気づいたことが嬉しくてよく人に話している。それからその好奇心を放置できないということ。だから、不毛な人間関係にも首を突っ込んで、相手がどういう思考をしているのかを観察しにいってしまうきらいがある。興味と好奇心を理由に、自ら近づき、話を聞いて、「何でそうなるんだろう…。」と重たい気持ちになる。そうなることがわかっていても、好奇心に従ってきた。
 もう、そういう時間は私には必要ない気がしている。確かに不毛な話は酒の肴になることもあるし、だらだら話すには悪くないかもしれない。けど、今の私にとって、時間はお金より大切なものだ。しょうもないことに使う時間はあっても、不毛なことに使う時間はない。だから、どんな情報を得て、自分の中にインプットするか、誰と話して、どんな気持ちになるか。そういうことを、今まで以上にシビアに考えるタイミングが来ているような気がしてならない。

 ちょうど、あさって20日の水瓶座満月は、手放しのタイミングでもあるらしい。この数か月で仲良くなって、これから長く関係性を築きたいなと思う人が、今考えただけでも数人思い浮かぶ。その関係性を強固にするためにも、もう手放してもいい関係性があるのではないかなーと思っている。

 物の整理を始めて、昨日も朝からここに書いた様なことを考えていたら、不意に会いたい人に会えた。今していることが、間違いないよ、その方向で合ってるよ、と言われているような気がしてならない。


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