プール理論の副産物。

   今日は昼から県外の友人宅へ行ってきました。友人宅の猫二匹と久しぶりの戯れを…と思ったのに、前回まで割と歓迎モードだった1歳の弟猫がめちゃくちゃシャーシャーしてきた。彼は今思春期らしい。そして、もう一匹の兄猫は、前回までクールガイだったのに、今日はスリスリゴロンとしてくれて、私の靴下を爪でカリカリもしてくれて大人猫としての精神的成長を見せてくれた。
 あぁ、猫かわいい。全猫が幸せになれる世の中にしたい。全猫が幸せな世界って、人間にとっても平和な世界だと思う。

 尽きぬ話をして、家に帰ってきた。他の猫と戯れてきたから、家にいる猫に嫉妬されないかと少しワクワクしていたのだけど、まったくそんなこと無かった。嫉妬してもらいたかった。猫にはどこまでもウザさをだしてしまう人間。そういうところが猫を「めしくれたらなんでもいいんやで。スン。」という顔をさせてしまっている。


 先週、今の自分にとっての最優先事項のことについて自戒を込めて書いた。その後5日にわたってプール理論を理解するためのnoteを書いてみた。その効果なのか何なのか、この数日がとてもめまぐるしい。

 プール理論を理解したくて書きはじめたけど、結果として自分の内側を文字にすることで、副産物として過去のデトックス作業ができた。これが今を変えてるんじゃないかなってなんとなく思っている。理由も根拠も何にもないけど、自分の直観がそう感じているからたぶんそうだと思う。

 一ケ月くらい前まで、謎の不安感に包まれて「積んだかも。」と思うことがしばしばあった。今、その時感じていた不安を振り返ってみると、全然積んではいなかったし、やれることもたくさんあったけど、それの原因は過去の経験からの思い癖によるところのものが大半を占めていたと思う。

 これは結果論で、その時はとにかく不安を解消すべく、何に不安を感じているかを書き出して、やれることを探してやってみた。それと、合わせてこうしてnoteを書き始めた時期が重なって、今何かめちゃくちゃ心が平和。行動していたら、目の前が変わったという感じ。変化があったから平和というより、心の平和を手に入れたから変化が起きてきたという感がある。腹を決めるって大切なんだろうな。

 これで気づいたことは、今までは何かを決める時に自分の望みを自分に確認するより先に、他者が自分に何を求めているか、望んでいるかを考えていたということ。年齢を重ねるにつれて、自分の望みも確認できるようにはなっては来たものの、他者の望みに引っ張られがち(=相手のプールで泳ぐ気満々のような感じがする)だった。これじゃあうまく行かなかったはずだー。
 
 それに気づけたので、この数日でいくつか起きている小さな変化、この先に繋がりそうなことは、自分の望みを確認することができているという実感がある。嬉しい。

 嬉しくなったところで寝ます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?