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42歳の私にもまだ未来はある。

長男の運動会でした。

この子たちには『未来』が輝いている。
生命がキラキラしてるなぁ。
なんかそんなことをしみじみ感じる42歳。


今日はすんなり学校に行けるかな


毎日気にしながらの登校。

が、嘘のような今日の張り切り具合。

「かけっこで1番になるんだ!」

と、早起きしてパパとスタートダッシュの特訓をしてから登校。

登校時も、学校に入る時にちょっと渋ったくらいで、すんなりと教室に入った。

こういう日もあるんだね。


運動が得意で絶対的な自信を持っている長男。
幼稚園の時から運動能力が高く、何をやっても上手だった。

小学校に入ったら、だいぶ薄まったな。
周りの能力が上がってきているし、登下校車で、体育の授業も出たり出なかったりだから、まあ仕方ないか。


仮に勉強ができなかったとしても、運動能力を生かして仕事につけばいいや、なんて思ってたけど、そういう感じでもなくなってきな。
生まれ持ったものだけでは限界が来るんだな、と、勝手なことを思う私。


でも、楽しそうだったから良かった。
好きなことたくさんの人生は幸せだと思うから、そのまま、自信を持ったまま大きくなってほしい。

ちなみに、ダンスではほぼ練習に参加せず、動画で練習していた息子。
「もう覚えた!」
と早々に言っていたが、ばっちり左右逆だった。笑
周りを見ないから気にならない本人。
隣と向かい合ってたら「あ、逆だ」と気付きそうなものだけど、まったく気にしないらしい。
長男らしさ全開のダンスだったね、と夫と言い合った。


自分のサービスのことを書こう、と思うと筆が進まなくなる。

何かを「売る」という時に、最初から反応がないのは当たり前で、それを続けたいかなければならない。
それは孤独なことだ。
私が考えることなんて、誰にも必要とされてないんだろうな、と思ったりするし、
そんなものに労力をかける意味なんてあるんだろうか、と思ったりする。
似たようなことでうまくいってる人をSNSで見ては、(努力するということを含め)この人たちには自分にはない力や情熱があるんだ。
努力とかコツコツとかできないし、燃えたぎるような熱い想いもない自分は、うまくいくわけないんだ。
と、あきらめることを何度もしてきた気がする。


でもね。
「自分に厳しすぎ」たのかもしれない、と、ふと思った。
効率的なやり方とか、導線を引くとかできないけど、

それに、子どものことがあったり、他にも仕事があったりで、
自分の理想とするような形ではできないのかもしれないけど、
もっとゆるめれば、できるんじゃないか、
ふと、そんなふうに思った。

あきらめる前に、やってみようか。

でも、そんな不完全な形なのに、お金もらっていいのかなぁ。

でも、無償でやるのは辛いなぁ。


と、今ここです。

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