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適当に考えたアイデアの方がウケるのなんで?

なぜ色々工夫したのに反応が悪いのか?


こんにちは、兼業漫画家のベニガシラです。
サラリーマンしながら漫画家をしています。

私は漫画家なので、漫画を描くのですが、
よく陥る失敗として

「色々アイデアを詰め込んだのに、思っていた反応がなかった」

というのがあげられます。

私はツイッターやピクシブなどのSNSで漫画を投稿するのですが、
やはり自作の漫画を投稿し、周囲の人の反応が多いと嬉しい!

拡散され、いわゆるバズるともっと嬉しい!!

なので、もっと反応がもらえる作品を作りたい!
という流れになるのですが

そのために色々な分析や工夫を作品に詰め込んで、いざ発表!となると自分の予想より反応がないことが多々あります。

…おかしい、こんなに工夫を凝らしたのに何故反応がないんだろう?
これだけ要素を加えたのになぜ上手くいかなかったんだろう?
というのは本当によくあります。

逆に適当に考えたものがウケるときもある


これだけ要素を詰め込んだのに反応が悪かった…というのが先ほどのパターンですが、その逆パターンもあります。それが

適当に考えたものが予想外にウケた

です。

たとえば、1週間かけて製作したイラストがちっとも反応がなかったのに
30分で描いた落書きのような漫画が大バズリしたというパターン。
本人としては、あれだけ労力をかけたものと比べて、適当に作ったものが大ウケするのが納得がいかない

私が真面目に作ったものは世間から受け入れられず、
ポンチ絵レベルでいいのか?
注ぎ込んだ労力に比例した評価がなぜ得られないのか?
もう疲れちゃって 全然動けなくてェ…
と自身の価値観の指標が根元からへし折られることが多々あります。

まぁツライ。
労力と評価のつり合いが取れていないから、よけいにツライ。

こういうときは酒をかっ食らって、YouTubeで適当なゆっくり動画を見て、全てを漂白するしかないです。
(最近はしそと梅干とワサビをちくわで巻いたおつまみが低カロリーで美味しいのでおススメです)

ぶっちゃけ漫画に限った話じゃない


で、これまでは漫画創作の事例で説明しましたが、
こういう事例は他業種でも、割とあるあるだと思います。

自分も漫画を描きながら、サラリーマンをしているので、経験があるのですが、前から構想を考え、事前にかなりのリサーチやヒアリング調査をして煮詰めていた企画が上司に却下され、やけくそになって、適当に考えた企画を提出したら、OKだったというパターン
私は割とありました。

思い出すだけで悲しくなりますね。

人間、労力に見合った評価がないと本当に悲しくなります。
タイパが悪いどころの話じゃないです。
(適当に作った企画が通ったんだから、タイパ最高ではと考えてはいけない。折れるから、心が。二重の極みぐらい粉砕されるから)

じゃあ、なんで工夫を詰め込んだのに失敗したのか?


本題です。
なぜ、上記のような想定外の出来事が多発のするのか?
工夫と労力をかけたものが失敗し、適当なアイデアが予想外の成功をすることが起きるのか?

もちろんしっかり練りこんで、工夫したものが、大うけするパターンもあります。
その場合の脳汁の出方はヤバいですね。
自分の狙い通りに物事が動くときほど興奮することはないです。
アドレナリンがドバドバ
ですわ。
とびます。

しかし、想定外のパターンも非常に多い。それなりの経験値を積み、それなりのパターンを学習してきたのに、想定外の出来事が起きるのか?
そして、なんで労力をかけたのに、失敗するのか?それが分かれば無駄な努力を最小限に抑えられるんじゃないのか?

コアアイデアが悪いと、どんなに後付けしてもムダ


結論です。

コアアイデアが悪いと、どんなに工夫しても、どんなに労力をつぎ込んでも、成果が上がりづらいです。

例えるなら、沼地に一生懸命に家を建てるようなものです。
頑張ってインテリアにこだわっても、頑張ってガーデニングを作っても、沈みます。
なぜなら土台が沼地だから。
(でもインテリアやガーデニングを頑張った経験値は無駄ではない。無駄ではないと信じたい)
コアアイデアがよくないから、そこに後付けで、工夫や労力を足しても成果が上がりづらいのです。

でも、オレの考えたコアアイデアは客観的に考えたはずだが?



はい

そうはいってもオレの考えたコアアイデアは間違ってないし、
素晴らしいアイデアなんだから失敗するのはおかしいでしょ?
第一、主観で走らず、客観的な分析を踏まえたうえで作っているのだから。
オレは客観的に物事を分析できる人間
だぜ?

と言いたくなる人、わかります。
私もそう思います。本当にそう思います。

しかし、人間には「認知バイアス」が存在します。
自分が考えたアイデアは正しい、素晴らしいとバイアスが働いて評価してしまうのです。

自分はそんなことはない、正しいアイデアを創出するため、
様々な分析やリサーチをし、自分の中で仮説と検証を繰り返し、
客観的な評価でこのアイデアを作ったんだ!
と主張すると思います。

というか同じような記事を自分が見たら、私もそう主張するはずです。
私ほど物事を客観的に見られる人はいないぞ、と。

しかし、上記の分析や検証の過程自体が、バイアスと働き、自分のコアアイデアの正当性を成り立たせてしまうことがあるのではないでしょうか。

綿密に市場やターゲットを分析し、ここに刺さるニーズはこれで、このような製作物をぶつければ、上手くいくはず!
これだけ主観を排し、客観的な分析に基づいて作ったんだから上手くいくはず…というバイアスです。
客観性があるというお見込みですね。

ぶっちゃけ、アイデアの良し悪しは、結果で評価されるべきであり、そこに至るまでの過程なんて関係ない。綿密に分析と検証を重ねようが、適当に思いつこうが、良い結果が出るかどうかが重要である。

と、冷静な目で見れば、その通りなのですが、そうはいかないのが人間なのでしょう。

アイデア=自分自身と同一化してしまい、そこに至るまでの労力や努力や、検証やリサーチやら
「うむ、現在のニーズに対して、これなら間違いなくヒットする!なんて斬新なアイデアなんだ!これだけ工夫を凝らしたんだから成功しないはずがない!」
…みたいな客観性を持っているようで、かなりバイアスがかかった主観があるのでしょう。

…あるんだよなぁ、本当に。

アイデアに人格なんてない!失敗したら容赦なく捨てて次に行け!


じゃあどうするのか?
対策です。

ざっとあげてみました
数を打て。100個アイデア出せば、1個ぐらいヒットする。

人に聞け。所詮本人のいう客観性なんて当てにならないから、他人に聞くのが一番の客観性だ。

いっそ、自分一人というターゲットに狙ったもの作れ。お前みたいな奴に刺さるものを作れば、同じ属性の人間にもヒットする。そして割と同じような人はいる。

と言ったところでしょうか。

ポイントになるのは
ボツになったアイデアは容赦なく捨てろ
です

前述にコアアイデアがダメなら、どんだけ周りを盛ってもダメと書きましたが、認知バイアスとの合わせ技で
確かに少し物足りない部分があるから、ここを追加すれば受けるはず
と、一つのアイデアに固執してしまうパターンがあります。
やめましょう。
やめなくては…

コアが悪ければ、どんなに厚化粧を塗っても誤魔化しきれません。
その場しのぎ出来ても、その後が続かない。

優秀なコアアイデアは一時だけでなく、その後の展開までガチッとハマる
優れたアイデアであることが多いです。

一つのアイデアに固執せず、新たな鉱脈を掘りに行きましょう。
頭の中にコンコルド効果を思い浮かべながら、
これまでの労力や努力を試算せず、容赦なく捨てて、前へ進みましょう。

そんなに簡単に割り切れれば、苦労はしませんがね。
本当によぉ…

余談



なんでこんな話を書いたかというと
この前、企画会議に落ちたんですよね。

まぁ、その企画に関しては、
かなり下調べして、企画が進んでもいいように
かなりの数の資料を準備して、
GOがかかれでいつでもスタートできますよ!万全の準備してまっせ!!と用意してたんですけど

ボツでした。

うん、認知バイアスってこわいなー
頭で理解してても
知識として把握してても
人間は逃れられないものだなー
くそがー
くそがよぉー

と、一日ふて寝して、slay the spire と CIV6というゲームをやって切り替えました。

もう疲れちゃって 全然動けなくてェ…

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