見出し画像

子どもシェルターでボランティアをしている

子どもシェルターでボランティアをしている。「児童福祉法」で守られる子どもの年齢は18歳未満が対象、でも成人は20歳以上だもんで、法で守られる年齢を超え、かつ成人でもないちょうど18歳・19歳の年齢の子どもたちは福祉的な支援を受けられない。子どもシェルターは、その制度からこぼれ落ちた心理的虐待や身体的虐待、ネグレクトや性的虐待などを受けた子どもをたち受け入れる施設!です。

わたしはスタッフの中でも最年少で、子どもたちにもスタッフにもなんでここで手伝おうと思ったの?と聞かれる。一つ大きなきっかけになったのは、彼のブログである。

でもそれはわたしの尻を叩く要因になっただけで、根本的な理由は正直自分でもわからない。多分手をこまねいてるだけの自分をいつか許せなくなりそうで自分のためにやってるだけです。わざわざ言ってこなかったし、言う必要もないと思っていたが大阪にいた頃は難民支援ボランティアをしていた。それも同じだと思う。(でもだから偉いとかじゃないですマジで。)

わたしは虐待を受けていた。敢えて文字にしてちゃんと言い切る。ただうまく思い出せない。あと多分思い出す作業をすると酷く自傷してしまうのが目に見えてるのでしない。家にいる時間ずっと暴言を言われ続けていた。「産まなければ良かった」「落ちるところまで落ちろ」くらいはかろうじて思い出せる。あと包丁むけられたことも、頭鷲掴みにされて引きずられたこともあった気がする。耳を塞いでも聴こえてくる暴言、私が息をできるのは親が寝静まった夜だけだった。中学生くらいになったらイヤフォンの中で爆音で音楽を鳴らして、暴言をシャットアウトすることもあった。私がやりたいと言ったことをやらせてもらったことはなかった。自由はなかった。携帯はなぜかいつも隠されていたし、あれは何でだったんだ。ずっと息ができなかった。

わたしは高校の時ものすごく勉強をがんばっていた。三年間学年一位だった。定期テストで100点取ったりしてた。だけどそれを伝えても「その学校で100点とってもねえ」と言われていた。ビックリするよね…わたしだったら自分の子どもに絶対言わないわ…。当時も暴言は続いていて、大体暴言のあとはずっっっっと無視が続く。存在を無視。料理も自分の分だけ用意されてなくて、ごめんなさいと何度言っても無視。あれもすごいね。

社会人になって、激ヤバ店舗(そこに異動になるとみんな精神を病み休職する)で働き、うつ状態になり、メンクリ通いになった。あの時はやばかったな。ストックとか裏とか、表舞台から離れた時間はいつもずっと涙がでてたな。ご飯も食べれなくなって10キロ落ちた。薬飲まないと寝れなかったし。通ってるメンクリに朝日新聞やテレビ(夕方の情報番組)が取材に来て、それが新聞やテレビで放映され、親にバレた。なんていうバレ方…?そんなことある?そんなことあるか……。

話が逸れてしまった。その時実家に帰って転職しようとしたら「新卒が辛いのはみんな一緒だよ!」「甘い!」「辞めるなんてありえない」と散々なことを言われた。ヤバいよね。文字にするとヤバいね。子供が泣きながら転職しようとしてたらそれを妨害、しかもメンクリ通いになってること知ってる上で、よ?

あの頃何度か朝電車に飛び込みそうになってたから、生き延びてるのは確実に友達の存在のおかげである。遊びに誘われても断って、粘られて「笑ったり楽しい話したりできないから…」と本音を言うと、問答無用で十三の海鮮居酒屋に連れて行かれたな。居酒屋でもお酒一滴も飲んでないのにずっと泣いてたな。最悪すぎる…。

わたしはあの頃、母親からされていたことが虐待だとはっきり断言できなかったし、相談できる場所があることも知らなかった。利用者さんにあの頃の自分を少し重ねているのかな。あの頃の自分を救いたいという気持ちが無きにしも非ずなのかも。

今感じているのは、過去に虐待を受けて今も苦しんでいる人を支援する公的な機関がないということ。わたしが今こうやって過去の痛みが今も続いているのはどうしたら解決できるのか。わからない。

わたしは誰かのために頑張ってなきゃ生きてちゃだめと思ってた。何かを頑張って頭の中をいっぱいにしていたら余計なことを考える暇もなくなるから。でも、ここ1、2年で自分にかけた暗示みたいなものが少しずつ解けてきたのは、友達がいない東京へ越してきたり、コロナ禍が影響しているからかもしれない。自分のことを冷静に考える時間があった。人生を楽しんでいい、というのが腑に落ちた感じもする。以前はそう言われても、楽しいってなんだろう?と思っていた。それがコロナのときに、ただ自分だけのために生きていいということがちょっとわかって、罪悪感がなくなった。それで、楽しむことにフォーカスできるようになった。自分のために時間を使ったり労力を使おうとやっと思えるようになった。

今年は自分でPodcastを始めたり、曲を作ったり、バンドを組んだり、要は自分が楽しいためだけに自分のパワーを使っている。これまで27年間やってきたことも無駄にはなってないことを実感する日々だから、これまでを否定しようとは思わない。

バンド、めちゃ楽しい。初めてスタジオに入った日、気を失いそうになるくらいみんながやさしいから、帰り道とぼとぼ歩きながら泣いちゃった。やさしさに慣れてないすぎ。おもしろくてキュートでやさしくて楽器がとても上手くて自主性があってほんと〜〜〜に、出会えたことが自分の人生のご褒美だって思っておる。前述したように貢献しなきゃここにいちゃいけないとか誰かのために頑張らなきゃ生きてちゃだめみたいな思考の癖があるんだけど、バンドのみんなと一緒にいるときになはじめて違った。手を取り合ってみんなで光ろう!力を合わせてたのしくなろうね!って感覚、ただしい。なんか、ここまで生きてきてよかったな…これまで人にやさしくしてきたこととか搾取されたものもいっぱいあるけど今日があるならいいなとおもう。全部伏線にしたいね。

バンドで溢れかえってる世の中で、正直自信はない。わたしは音楽のことわからないし。でも、わたしはできるだけ長くこの人たちといたいんだよな。そのためにはある程度みんなが納得するところまでは成り上がる必要がある。やれるだけはやりたい。精一杯。

曲ができたら是非聴いてほしいです。来月はレコーディングだ!頑張るぞ〜。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?