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変化のとき

ノートを書き始めたのは、小学生から中学生になる子どもの自立を書きたかったからです。
でも、もう子どもの変化をつぶさに書こうだなど、思いません。

勝手に自立の道を走り出しました。
だからといって、自分で自分のことができるわけじゃないんです。
小学生の頃より、身の回りのことをしなくちゃいけないと思えるようになったようだ、ということ。
できないけど、ソレソレソレソレとあれこれいわなくても、「なんとかなる」ようになっています。

だから、私も求職活動を始めたし、子どもとの距離を離していこうとしています。お母さんが不在でも、不便はないという日がそのうち来るだろう。弁当を自分で買うことができ、宿題も声をかけなくていいや(やるやらないも自分に跳ね返る)、期末テストの学習スケジュールは自分で決めること、などいちいち親が手を出すことは、しなくてもいいと私が判断できました。

それで成績とか、効率が落ちても、まだ中学生だし失敗を積んだら良い。高校になった頃、失敗から次の行動を取れれば良いのだ。もし、自分でわかっていてもどうしようもないことだったとしたら、親が関わってあれこれ関与しても、直らないでしょう。

進学校に行くと、親の知恵を入れつつ、塾で先取りをして、周りとの立ち位置を把握しつつ成績をキープしていこうと考える方もいるでしょう。でも、そうして積み上がった成績は誰のもの?手を離せば、見張りを辞めたら、どうなるのだろう。何より、そんな関与をする労力はもう私にない。疲れる・・・口から発するその内容に、疲れ果てる。
ということは、いわなきゃやらないということだから、いわなくて良いのだ。言ってまで従わせる必要がないと気づけました。

大学のレベルを決めたり、目指す努力をするのは私(のわけが)ない。
なぜ中学受験であれほどの手がかかり、手伝ったのか?今となればどうかしているような事実ばっかりですが、小学生だもんね。それに尽きる。

そんなわたしですが、二つだけは見張りを続けています。
それは、スマホの使い方(SNS)と英語の基礎学習です。SNSの犯罪に巻き込まれないため(ストーカー被害など)と、英語の単語ができないと本当に苦労する!積み重ねで取り返しがつかなくなると思うので、単語と文法基礎までは、チェック係をしています。

今週くらいから、私が昼間家にいたところで、大した掃除も料理もしないのに、だらだらと役に立たないなぁ・・持て余していました。こんなときに思う存分だらけたら良いのにね。そろそろ、社会に出て疲れなさいという流れに乗って、勤務開始です。
育児が落ち着いて、家を出て行くまでの数年を、健康で過ごせたらもう十分だと思うこのごろです。

年始のころ、1年の折り返しでこんなことを感じているとは全く想像もつかなかったです。求職のことは、割り切っただの待遇に対して文句らしきことを書き連ねていましたが、俯瞰して見ると、幸せな時間を過ごした2021の前半だと思いました。

後半の願いは、五十肩が治ってほしーい、ほんとに拘縮していて肘が上がらないし、ズボンにシャツをインするのがめっちゃ痛いんだもん・・・(涙)


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