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やりたいことしかやらない50代にする

私はもうすぐ50歳。
今まで、自分が選んできた仕事や選択というものは、自分の判断ではあるけれど、安全に損をしないように、その中でお得だという選び方だった。後からこうしたほうが良いと思うから、という理由。

でもね、もう後がどうとか、履歴書やら条件でなんとか、ということもなくなる年齢です。好きなことをするために今まで安全に働き、貯金も少しはできてきた。それを使っちゃダメだとか、老後のためにとか、心配だからとかもう良いんじゃない?と本当に思える。

自分が自分でいられる感覚を子どもの頃から持っている人は幸せだな。
私の親は、私が私でいる前に、「人様に迷惑を掛けない、自分のことは自分でできる、食い扶持を稼げる」ような人であれといつも言っていたように思う。

それは間違いではないけれど、利他的に何かをしてもいいという考えは植え付けなかった。残念です。

好きなことしかしないと思うけれど、それは、回り回って自分のためでもあるし、人のためにもなっていると存在が思われたら、いい。
利己的になって働くことが、いい老後だと思わない。

自分が困らないために、自分が困ったときのための、自分がやってきたことを活かしたい、自分はこうだ、自分が、自分が、っていう60代にはなりたくもないし、そういう老人が見苦しいと眉間にしわが寄るような顔で見ているはず。

私がいい人じゃないからこそ、風通しのいい心を持ちたいし、自分が自分が、じゃなくて、もっと言うと、若い人の仕事が狭まるような居残りを年寄りは辞めた方が良いんじゃない?居残りするような仕事を、じゃあ若者がやるのかっていえばまた別ですが。
問題があるとすれば、そんな仕事なのに、同じことをやって、老人より若者に給与を少なく渡すなら、日本の未来は暗い。

若者が、やりたい学問を追究できるような環境を、みんなが持てるとするなら公教育を考えるべきだと子どもを育てていて思った。今は各家庭がお金を捻出してその教育を手に入れていくような気がしてならない。放置したらしらんかった・・と大人になってしまう。
親の考え方ひとつなのか?




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