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それでも変化しないこと

熱中症アラート、記録的な暑さ、なのに甲子園は普通に野球をやるので、観戦者は日陰のないところで座ってる…
審判も…
開会式は、炎天下で行進して、帽子も被らず立ってる。
朝晩に時間を変更するもなく、毎年こうだとしている理由なのか何なのか?

吹奏楽や応援団の若者は、外の練習に慣れてはいないし、ベンチで守備以外日陰に行くこともないので、倒れないでねと心から願う。

他にも色々、今まではこうだったということで変わらない、変われない、変わろうとしない、思考停止している場面に出くわす。

別にどうでも良くないか?そんなこと…
に対して、改善策を出す人がいたら、皆で話し合い、良き方に進めば良い。
だが、なぜ決められる人が了解を出さないのか?

自分が変えた。それが嫌だから?目立つことはしたくない?自分のせいになりたくない。
ということか。

古い凝り固まった旧態の専門学校にいても、古くからある企業にいても、よくあることなのに、町内会は改革をしている。
この町だって古いはずで、昔ながらのやり方を押し付けるのなら、まあ仕方ないとも言えるのに、高齢化しているからこうしよう、意見を求む、など必死さが伝わる。
最近は、数年先までの役員になる家の予定まで回覧していた。
やり方を変えて住みよくしていくことには大賛成、できることはお手伝いしようと思える。

無理矢理にマイナンバーを保険証にとか、強引さが気になる変化もあって、お役所なのに怪しいと感じてしまう。
マイナンバーカードにしていても、転出転入手続きで手書き書類も多く、なぜ?と思ったし、市町村の差もあった。
マイナンバーにしたらポイントゲットとか、それはそれで変だよね。

変わるから良い、変わらないのは悪いと雑に言ってるのではなくて、過ごしやすくする変化のために行動できる力がいるし、承認できる人を役職につけるべきと思っている。
どうせ変わらないと黙って物分りの良い顔をする人、それが一人ではなく大きな主流になれば、一番の害なのかもしれない。

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