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アフリカのベルモット カペリティフについて

BenFiddich店主の鹿山です

今日はベルモットについて

まずベルモットとは?

簡単に説明しよう

歴史はワインと同等に長い。
紀元前から存在する。
当初の目的は嗜好品ではなく
薬としての立ち位置
そう、滋養強壮剤
ワインに草根木皮
いわゆるハーブ、スパイスを浸漬させ、
ある種の効果を期待した
薬学的であり医療目的とした
方向性が強い。
時は遡り18世紀〜19世紀の産業革命以降の
飛躍的医学の進歩により現代医学の確立
西洋にあった伝統的医学療法は形を変え
19世紀以降、嗜好品として一部分派してゆく

せっかく身体に良いものなのだから美味しく飲めるようにしようという中世時代のリキュールの確立の生い立ちと似たように現代に至る。

現代のベルモットと言えば
イタリア(スウィートベルモット)が
代表的であり
次にフランス(ドライベルモット)が追随するだろう

今日書きたいのはそこじゃない


南アフリカ共和国発祥のベルモット
Caperitif【カペリティフ】について


【A.A.badenhorst 】社が2010年以降
人々に長きに渡り忘れ去られていた
南アフリカのベルモット カペリティフを復刻

そう、南アフリカ共和国でも
ベルモットを作っている

ここ↓

カペリティフ(Caperitif)は
南アフリカ共和国のベルモットの呼称、総称であり
19世紀後期〜20世紀初頭にゴールドラッシュで湧いた隆盛期に大いに愛飲され1960年代まで
生産は続けられたがそれ以降は生産中止


長らく忘れ去られ
歴史に埋もれたベルモット
なぜ生産中止になったのか?


考えるに
1960年代以降イギリス連邦を脱退し
1960年現在に至る南アフリカ共和国成立以降、ワイン大好き最大の輸出国(イギリス)との
関係性が薄れ
さらに悪評名高い政策
アパルトヘイト(人種隔離政策)以降の国内政変により諸外国にそっぽを向かれ内需に尽くす事により外需が減り需要が衰退しカペリティフは1960年代以降生産中止となるのでイギリス脱退時期と重なる

↑アパルトヘイト(人種隔離政策)


現代のカクテルブックにはカペリティフの記載は見つからない。

歴史的な意味合いにおいて
世界中に数多あるカクテルブックの中でも
一際全世界で認知度の高い
ロンドンの老舗ホテル
【サボイカクテルブック】(1930年創刊)

ここにはカペリティフを使用したカクテルが
多く記載されている

BenFiddichにある
サボイカクテルブック初版本だ(1930年)

サボイカクテルブックは
1952年、1965年、1985年、1996年
再版され、1999年と2014年に改版

このサボイカクテルブックには様々な
カペリティフ(caperitif)を使った
レシピが多く掲載。
それは南アフリカ共和国が歴史的に
イギリス連合王国の一部だったという
歴史経緯を鑑みれば妥当だろう

みんな!作ってみてくれ

これは南アフリカ共和国が
元々歴史的にはイギリスの植民地だったという
経緯によりカプリティフが1930年代のイギリスにおいて普及していたのだろう
(1910年に植民地から南アフリカ連邦としてイギリス王国連合に組み込まれている、後に1960年に脱退)

この連合王国としての時代関連性から
ロンドン(イギリス)にカペリティフは輸出されていた経緯によりロンドンの老舗ホテルサボイホテルの『サボイカクテルブック』には
カペリティフを使ったカクテルが点在しているという事実

アメリカの古いカクテルブックにはカペリティフを使ったカクテルの記載は見当たらない

これは非常に興味深いこと

それも1960年代まで。
カペリティフは生産をストップ
長らく忘れ去られ歴史に埋もれたベルモット

しかし2010年以降に
【A.A.badenhorst 】社がカペリティフを復刻
(左)現在作られているカペリティフ
(右)1930年代のカペリティフ

なぜカペリティフ(caperitif)?

検索かけてもどこにも書いてなかったが

南アフリカ共和国の最初の植民都市
Cape Town(ケープタウン)
✖︎
aperitif(アペリティフ食前酒)
を掛け合わせた造語であろろ

カペリティフを復刻させた
【A.A badenhorst】も南アフリカ共和国の
ケープタウンにあるワイナリーだ。

なので2018年に鹿山は
アフリカに行ってきた
成田→エチオピア経由→ケープタウン

【A.A badenhorst】社のワイナリーはケープタウン市内から車で一時間ほどの郊外にある

葡萄畑

ダンボールに書かれてるのが
caperitifカペリティフセラーだ

彼が【A.A.badenhorst 】の当主のアディさん

なぜカペリティフ(caperitif)を復刻させようと思ったのか?


むしろ彼自身もカペリティフなんて知らなかったらしい。ケープタウンの住民もほとんど知らなく忘れ去られた固有名詞。
いわゆる10年前からクラシックカクテルの再燃という流れが世界に生まれた時に皆が皆、
当時の古いカクテルブック、
文献を読み漁り調べ上げ
その一つの到達点として
カペリティフcaperitifに辿り着き、
デンマークのバーテンダーの依頼により【A.A.badenhorst 】の当主のアディさんが
復刻させた。
ただ、
レシピに関しては出てこなかったらしい。

ロンドンのオークションで落とした1930年代のカペリティフを飲み、その味を再現。
当時の南アフリカ共和国及びケープタウンの文化、嗜好品を鑑みてレシピは決定

いわゆるフレンチベルモット、イタリアンベルモットと何が違うのか?

①【A.A.badenhorst 】のアディさんの作る
カペリティフ(caperitif)は
南半球という地政学上、北半球と違う植生だ
無論、使うボタニカルが違う
35種類のボタニカルからなるベルモットだ
特筆すべきはフィンボス
いわゆるルイボスティーのあれですね

②いわゆるフレンチベルモットとイタリアンベルモットも白ワインにハーブ、スパイス、いわゆるボタニカルという世界観の草根木皮
カペリティフ(caperitif)は
そこにさらにフルーツをピールだけでなく
実の部分も加え
さながらサングリアのように
仕上げフルーティだ
ここが特に特徴的だ

因みにカペリティフ作ってるアディさん
趣味でメスカルも作ってる

メキシコには生まれてこのかた
一度も行ったことがないならしい
YouTubeを見てメスカルの作り方を学んだと

もちろんメスカルの呼称はメキシコの商標
ちゃんとAgave spiritと記載してある

ケープタウン市内

ここ数年でカクテルバーも増えている

南アフリカ共和国は日本において
距離もさることながら
精神的距離も遠い国だと思う
ただ、言えることはBar文化という概念だけで言うとボーダレスだ

鹿山がケープタウンに赴いた理由
ジンフェスティバルが開催

BenFiddich的セミナーも開催した

基本的には今でも白人社会だと思う
この国にはケープタウンしか赴いていないが
ケープタウン市内中心部は白人社会
それを放射状にスラムが存在して塀があり
世界観が違うという日本のそれとは違う

とても短い滞在であったが良き思い出


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