見出し画像

I お葬式・お仏壇と、LIVING ROOMそしてLIVE

お葬式やお仏壇に関するお客様の嗜好性として、プライベート化や洋風化にダウンサイジング傾向があります。そしてその根っこには、日常化と脱仏教が読み取れます。「日常化というより脱非日常」というほうが正確です。

企業側はお客様の声を聞くのが正論だと考えて、こぞって家族葬や洋風の居間に合うデザインのお仏壇を製作しています。これはこれで当然のなりゆき、商品は商用です。洋風の居間を意識するとリビングルームのお葬式、リビングルームのお仏壇をブランドとして取り入れたり宣伝のキャッチコピーにするケースが、それこそ「日常化」しています。

あるとき海外生活の経験がある方が「リビング葬って言い方は日本語ですね。アメリカ人には生きたまま葬儀をする、もしくは生きたまま火葬するって聞こえますね」と仰いました。LIVING は LIVE+ING です。おそらく洋風の居間は、英語でリビングルームと言うけど、リビングとは略さないのでしょう。リビングは和製英語ということでしょうか。

このひとことは LIVING ROOM そして LIVE ということに気付く機会になりました。上述した通りお客様の嗜好の日常化、すなわち現代の日本人の志向や思考の「非日常からの逸脱という意味での日常化」に想いが至るわけです。それってほんとうなの?と迷ってしまいます。

「ほんとう」と表現した意図は、お客様の声を聞くことだけがほんとうなの?ということと、非日常がお客様のほんとうのこころの声なの?ということと、究極には LIVING ROOM は日常かもしれませんが LIVE もほんとうに日常なの?という3つの視点です。それが混ぜ合わさった迷いです。

書いている個人的 note では、思考も志向も嗜好も「生まれてきたのは非日常」という考えで一貫しています。そして現代の日本人に限らず、人類は非日常的なことを好んでないわけでは無いと思っています。さらに尊敬する先輩たちから教わりもし実感していることとして、お客様の声を聞くことがマーケティングと決してイコールではありません。

したがって私個人の考えでいうと、お葬式もお仏壇も LIVING ROOM を意識するのと同様もしくはそれ以前に、LIVE を極めておかなければならないだろうということになります。僧侶の皆さまならば「阿弥陀さんの声が先」と表現されるでしょうけれども、いきなり聞かれるとわかりにくいです。

商業や宗教側が発信する立場は横において、受け止められる生活者・お求めになる消費者の側で申すのであれば「お葬式やお仏壇ってなんだろうと思う時は『LIVE・生きる、BE・ある』抜きに考えないほうがよい」という言い方になります。亡き方と LIVING ROOM 的に傍にいるということは、わたしや残されたわたしたちの LIVE と表裏一体であり、そのことは非日常的な宗教的感性を身につけているかどうかで、味わう深みが変わると申させていただきたいと思います。

この note は、もちろん実存する者が書いていますが本音の中の本音なので、忖度なしに綴っています。実際の社会に出れば場によって修飾して表現せねばならないと思います。そういう意味で責任が無い立場のズルい note であることは申し訳ありません。サラリーマンも宗派のお役目もリタイアしたあとなのですみません。