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14『思います』と付けると相手を不安にするという説

これまで朝ドラを観ていません。いや朝だけでなくテレビドラマは観ません。正確に言うとずいぶん前の「ふたりっこ」という朝ドラだけは観ていました。そして退職し時間があるいまは2本目となる「おちょやん」を毎朝観ています。共通点は、舞台が大阪。主人公は「です」「します」を言い切れる人です。そして、夢を持っています。凄いです。

お千代の信念がこれまでの放送でも痛快だったし、将来も襲ってくるはずの困難を突き破るであろうことに女優の演技力の凄さもあいまってメディアの評価が高く、朝の時間を割きたい視聴者が増えそうなことが想像できます。

一方で他のメディアに、あの人は「『思います』ではなく『です』と言い切らねば!」と書いてありました。政治家のことです。

自分に都合が良いと確信を持つ手段は誰に何と言われようと思うがままに断行し、ならばその行動に対する成果をコミットするかと問われれば、『します』ではなく『できると思います』と濁す。一方で市民がこうすべきという声には心底からは耳を傾けず『やろうと思います』と濁す態度が、民を不安にするという論説です。きっとそうなんでしょう。責任を持つ立場の方は『言い切る』態度でなければならないでしょう。でも別世界の為政者の話をこんなところで論じはしません。

それよりも自分です。ここまで Facebook もそうだったし、 note も思いますを多用しています。思いますが心配な時は感じますと逃げ、少し自信があると考えていますと強めています。考えてみると、ずるいです。

ただ私に Facebook も note も、読まれる他人様に対する責任はありません。それで Facebook は特定の知人・友人相手なので『思います』だけでも立場の異なる方によっては共感と違和感が逆転しそうなこともあってしんどく思ったので、7年でやめたことで楽になったのが正直な気持ちです。それこそずるいと言われるかもしれません。

そしてこの note についてはやっぱり引き続き、思います、感じます、考えます調で続けたいです。自由に書きたいです。だからこそ「書く対象の確かさ」について、自分自身に対して責任を持ちたい。もし今は自信が持てなくても書きながら、持てるようにしていきたいです。・・いや、していきます。

そうでないと自分に対してずるくなります。そしてもし少しでも誰かを不安にすることの対極にある自己肯定感に触れられるなら、それを探します。

思う・感じる・考えるのほかに、その延長線上にある、望む・願う・念じる・祈る。また、頼る・頼む・任せる。迷う、悩むなどの言葉についても頭を整理していずれ書きます。