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年末年始、家族との団欒を選択できない奴だっている。(前編)

選択、「できない」。

もしくは、「最優先事項ではない」。

恋人との旅行や、向こうの実家への帰省(あれは悔やまれる。これはまた別の記事で書きます)、友達との鍋パ、そういう温かく優しい話ではなく。

「お金を稼がなきゃいけない」。生活のために。生きるために。そのミッションを達成するために。

そのため今年は人生で初めて、一人で。元旦に工場でワークする予定を抱きながら。年を越します。

そんなことに至った転職の最初の躓きと、故のお金(バイト)事情について。(こんなん今年だけにしてやるぞという強い決意はすごいですきっと来年こそはそんなことない、そんなこと・・)

#割と思いがけない退職事情

今年10月頭に退職をしました。

ここを語ると尋常じゃない位長くなるので、これまた別の記事で詳細につづろうと思ってるんですが、いろんな組織の変革があった最中、

①転職活動という自分の人生の分岐点にて、しっかりゆっくり心を穏やかにこの後について考えたかった

②その時任されていた仕事が、「私じゃなきゃいけない」仕事ではなかった為、辞めるのにも会社・自分ともにダメージがなかった

「本当にこんな状態に、25歳社会人三年目、貴重な時間を消費し、むしろ浪費していていいのだろうか?」これが根本にずっとあり自分を苦しめていた感情。

「辞めます」申請をした二週間、まったく受理されず、上長とやっと腹を割って話したのが申請を出した退職日の前日。前日にしてやっと解放され、前日にして無職が目の前に迫る。

それが、10月頭でした。(本当は有給消化も一ヶ月くらいあったんだけど、ひたすらグダグダして、無駄に「転職活動しなきゃ」という使命感に駆られて心と身体がバランスをうまく保ってくれず、軽く鬱状態突入。)

#私って 、何をしたいんだろう?

もともと人事で採用関係を全般的にやっていた私。特に新卒採用を一人でぶん回していたものの、外部とのコミュニケーションの中で、「新卒採用ってなんて狭い範囲の世界なんだろう」ということに気づく。

「人事」という、誰もがなれるポジションではなく、100名いる企業の中で3~5人程度の枠。この世の中、人事がまったく足りてないほどの求人量。

「人事というキャリアを、失いたくない」

どこかに向く感情ではなく、完全に自分に向いた矢印。自分のためだけに向いた矢印。

でもそれが、恥ずかしいことに私の転職活動の二ヶ月近くを占めた。

#人事じゃなきゃいけない理由

たくさんの会社にエントリーをした。基本ベンチャー、ユニコーン企業、名前はみんなが知ってそうな有名企業・・

このご時世は「すぐに本選考」ではなく、その前に「お試し面談」的な機会を与えてくれる媒体もあって、採用担当でありながらそれをフル活用して内実を知ったのはこの時、という情けなさ。

「いや、いけるっしょ。いくらなんでも。わたくしベンチャーで死ぬほど働いてきましたよ。実績もありますよ。欲しいっしょ、こんなコミュ力ある若手。」

今考えれば、恐ろしい話である。外部とのコミュニケーションをまめにとる職種だったし機会にも恵まれてきたからこそ自分のことをわかったつもりでいたけど、

世の中をなめて、転職活動なんて楽勝だと思っていた、その本質やどこを面接では判断されているのかすら考えようとしなかった、仕事をする先輩方に総じて失礼な考え方。いや、もはや私そのもの。井の中の蛙ってお前のことだぜ?

たくさんの面談や面接を重ねて、いつも躓く質問、「何がしたいんですか?」その答えを人事に仮置きしながらも、心のどこかでそれから解放されたがっていた、ほかの何かを探しまわっていた。

案の定、人事職としての内定は、よいところまで選考で進んだら(その瞬間無駄に面接官を信用し、ある意味なめ切って)最良の結果を手放してきた。ちょこちょこ内定をいただきつつも、学生インターンでのスタートアップ経験を買ってもらって荒めの面接回数だった会社や、「成長企業」という自分の中での無駄に高い目標基準をクリアしていない会社からだった。

(とはいえ、素敵な企業と社長さんでした。私と企業様との優先順位が異なっていただけで、なうで企業成長を進行させていた皆様と私の視座が違っただけで、今も尚感謝をしています)

「もっと自分と向き合わなきゃいけないのかな」そして、「転職市場を知らなきゃいけないんだろうな」

一旦立ち止まる。それが、ゆるやかに始まった転職活動三ヶ月目、退職をしてから二週間がたった10月半ばだった。

#本当は 、11月頭には転職先に勤めているはずだった

世の中は、運良くうまくいくことなどほとんどない。そんな当たり前のことに、なんだかずっしりと対面して、ぶつかってしまった私。

さて、ここでやっと本題。

お、お金が尽きる。

計算外だった。自分がしたいことなんて、社会に出てまた働く中で探していけばいいものだと思っていた。それまでは自分のポテンシャルとコミュ力、深いグリッド力で拾ってもらおうと思っていた。(完全に新卒マインド)

今まで、家賃延滞やなんか怖い借金取立てにも学生時代おびえてきた経験がある。自信をもって言える、120%自分の管理力が足りなかった。

お金のありがたみを知っていながら、とはいえ食べることが大好きすぎてそこへは時間もお金も惜しまなかった私。

いや、自分の生活圏の範囲内でやれよ。(当然の突っ込み)


ただ、今までは何とかなってきてしまったのだ。学生時代はパパ(本物)に電話で泣いてすがり、社会人になったら毎月25日給料が入るまでの辛抱。

特に社会人の時は、目先のお金を稼ぐために、学生時代にやった沢山のアルバイト(工場、ピッキング、イベントスタッフ、夜勤の仕分け、カフェ、居酒屋・・・)など方々に転がった稼ぐ手段に乗る必要はなかった。

よって、毎月の収入源や、単日で稼げる学生バイトの派遣登録もなかった(社会人プライド(悪い意味)をもちやりたくもなかった)為、

あ、どうしよう。どうやって稼ごう。

そこで、私の転職活動における「自分は何をしたいのかを探る自己分析タイム」は同時に、「稼ぎ元を探す」タイムとの共同生活になった。

「さて、そうだな、どこかアルバイトで雇ってくれるところないかな。にしても、学生の時に経験した、自分の時間を切り売りして稼ぐ方法はもうやだな。これからの社会人生活において、必ず役立つ経験を出来るところにしよう。」

だから、学生時代にやった派遣バイトや未経験のナイトワークはもちろん、飲食店でのバイトも除外。探したことと言えば、

・採用経験を活かせる企業採用コンサル

・企業の面接代行

・web編集系のインターン業務

正直まともな思考回路だったと思う。時間の切り売りで給料を頂かないということは、私の大事な優先順位である自身の成長と経験に沿っている。

ただ、転職活動中、転職を11月にはしたい(もはや適わなかったので年末には、もしくは年明けには・・・)と思っている人間に、採用コンサルという今日明日で全貌を掴むことが出来ない仕事を任せるだろうか。且つ、転職先はスタートアップやベンチャーを志望している人間に、兼業が適うだろうか。

そんな事実を、全敗した後に気づいた。

フリーランスとして生きるのか。フリーランスとして、報酬が自身の力に直接値付けされる世界で、私の今までの経験は勝ちがあるのか。

本格的な面接はしたことがなかったが、空気感で感じた。

「今、このタイミングで、この私の経験は求められていない」


世の中で、働き方が多様化している人が顕著に増えている。それは、兼業や複業、パラレルワークという風潮が、人生100年時代の中で選択されるべきもの、選択されやすいものとなっているからだ。

ただ大前提、その働き方は「他人に求められる」ことで叶うと思っている。

どうしても、手伝って欲しい。社外取締役として、顧問として、業務委託として、数時間でも。週1でも。

それを求めるのは、あまりに野暮かもしれない。そこまで本格的な業務委託の面接を受けたことはないが、新しい働き方を退職中に経験できるかもしれない、と期待を抱いていた中打撃は大きかった。


はあ、さて、どうしようか。


なるべく自身の経験になるような、且つ今だからこそ経験できるような・・。

働き方の多様化が推進してくれたおかげで、いろんな派遣やバイト案件を提供しているプラットフォームが検索すると出てきた。ありがたいことに、知人の紹介も含めてトライできたのは、

・時給2000円のすし屋(個人店)の手伝い(なんとたまに寿司を握ってました)

・新しいスマートフォンの先行イベントスタッフ

・知人が関わるクラウドファンディングイベントの手伝い

上記の数個だ。思惑どうり、今までにない新しい経験や出会いはあった。

しかし、毎月20万以上の今までの給料に匹敵する稼ぎにはなるはずがなかった。加えて、私自身ベンチャーでの土日含めた長時間労働もあいまって、外食が多い。自炊をはじめねば、外食の癖を直さねば、出費の打撃が大きい。

そんなこんなで、大学生の花嫁修業以来となる自炊を、調味料をそろえるところからスタートした11月。

転職活動を同時に行いつつも自炊を開始し、もっとハードルを下げて「目前の収入を追う」稼ぎ方を選択せざるを得なくなった後、チャレンジしたアルバイトは。

(後半に続く)









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