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こんな街のような人間になりたいと思った

今週の出来事

今週は良いことがたくさんあった。台湾に長く住むことが決まり、オシャレな美容院を見つけ、美容師さんと楽しく話すことができた。この美容院がある街も落ち着いていて、一息つくことができた。

これらは、偶然や周りの人の協力のおかげで得られたものだと感じている。だからこそ、周囲の人々に感謝し、恩返しをしていきたいと考えている。


街とトゲトゲ

土曜日に台北市内の「永春」というエリアに行った。予約した美容院がこの辺にあったので、ついでに立ち寄っただけだが、とても良い街だった。

もし「永春」が人間なら、仲良くなりたいと思った。波長も会話のテンポも合いそう。活気と落ち着きが共存しており、その雰囲気が魅力的である。そして、何よりもトゲトゲ感が全くない優しい街であった。

「トゲトゲ感」とは、嫌味や皮肉、一面的な正義を強制的に押し付けられる感覚をイメージしている。

「トゲトゲ感」を持つ街も多いと思う。「街」とは「特定の物事が集まっている空間」のことで、広義に捉えるとインターネットの中も「街」であり、TwitterやInstagramも街のようなものだと思っている。そのように日常には無数の街があり、疲れているときにそういう街に出会うと、余計に疲れてしまう。

狭義の「街」だと、台湾の街は、そういうトゲトゲ感は少ない。バランスがいい。
ベトナムはトゲトゲはしていないんだけど、良い意味で落ち着きはない。

そういうわけで台湾には自分の好きな街が多い。
その中でも「永春」は特に好みであった。

余白

台湾にはLOUISAというコーヒーショップがある。自分も大好きで、毎日Lサイズのコーヒーを注文する。このLOUISAはどの店舗も混んでいるが、永春のLOUISAは席が少なく、人も少なく、店員さんも良い感じのおじさんであった。


個人的に、良い街の条件として、「余白がある」というものがある。
生産的で余白がある状態、つまり空間に物が敷き詰められていない感覚が大事だったりする。

自分は仕事のデスクや家具の配置もできるだけスペースを作りたい。これは対人関係や街に対しても同じだと、再認識した。人に対しても、余白を持っている人との相性が良いと感じた。

余白を持たない人のかっこよさもある。自分のエネルギーを全て特定の物事に投下している人だったりする。自分もそうありたいと思うし、少なくとも今はそれに近い状態で、自分を設定している。


ただ、余白を持たない人と相対するときには緊張感がある。
その人の余白をこれ以上埋めないように考えてしまい、何も話せなくなってしまう。これは自分の弱さでもあるのだが、こう感じる人は一定数いると思う。

「ちょっかい」や「ダル絡み」をする相手はかなり選ぶ。人によっては即キレられる可能性があり、本当にこの人は大丈夫だと安心しないとちょっかいを出せない。

そういえば昔、小学生の時に、ちょっかいを出せる子がいた。
今思い返すと好きだったんだろうなと思いつつ、ちょうどこんな街の雰囲気だったんと思い返した。今の自分の状況は、小学生の時の自分の状況に似ているから、最近よく思い出す。

なんにせよ、この街の雰囲気を見て、自分の日頃の過ごし方を変えたいと思った。自分もエネルギーの大半を何かに投下しつつ、人を招き入れる余白を設けたい。来客用の座席を自分の中に設置したいと思う。


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