#70 おとこのひとのいないうち
こんばんは。id_butterです。
人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の70話目です。
最近、元夫のことをふと思い出すことがある。
なぜだろう、今までは本当になんとも思わなかったのに。
まだ優しかった時の彼のことを思い出す。
さみしい、というわけではなく、気配があったことを思い出す。
彼が別々に住むようになった当初、子どもたちは不安がっていた。
わたしも、いろいろ困るだろうなと思っていた。
地震とか大きな買い物とか、電球を替えることとか。
けれど、意外と困らなかった。
最初に廊下の電球が切れたとき、ちょっと困ったなと思った。
切れた電球を持って電気屋に行った。
わからなかったら店員さんに聞こうと思っていたけれど、聞くまでもなくわかった。電球を持ってレジまで行き、念の為そこで店員さんに確認した。
家に帰り、脚立を用意して電球を替えた。
意外とスムーズだった。
そのわたしを見て長女が言った。
「パパがいなくても、意外とだいじょうぶなんだね。」
ドキッとした。
…なぜ母の心を読むのだ。
長女が宇宙人だと思うときはこんなときだ。
それからは、彼の不在について、何も思うところがなかった。結婚前から20年近く一緒に住んできたのに、わたしは薄情なんだろうか、そう思うくらいだった。
最近、思うこと。
それは、男の人がそばにいない生活は20数年ぶりなんだな、ということだった。
彼の不在、というより、ひとりなんだな、と思った。
わたしはひとりになったことがなかったのだ。
女3人で暮らす家、は女子校のように気軽なものだ。
タバコを吸うひとがいなくなり、いろいろなにおいが消えていった。
家が広くなったように感じた。
わたしは、裸でも家の中を歩ける。(歩くかどうかはさておき)
見られると子どもたちに真似されてしまうので、あまりできないのは残念。
不在をあまり不在と思わなかったのは、ある意味あたりまえかもしれない。
彼とわたしたちはお休みが合わなかったから、冗談でよく週末シングルマザーと言っていた。
動物も、シングルマザータイプが多い。
「お父さん」としての彼の不在はデメリットの方が大きい。
「男」としての彼の不在はメリットの方が大きい。
そして、後者の方がわたしには影響が大きかった。
と、冷静に腑に落ちた。
今ごろ気づくということは、思ったよりわたしは必死だったのかも。
そして、やっと彼の不在に慣れたということなのかもしれない。
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