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#75 ハッピーエンドの続きの続き

こんばんは。id_butterです。
人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の75話目です。

またしても、「大豆田とわ子と三人の元夫」の台詞から書きたい。
タイトルは、結婚ハッピーエンド、のち離婚続き、のその後という意味だ。よく、おとぎ話のお姫様がメデタシメデタシのあとどうなったのか、という議論がある。今回はそのさらに続き、ということになる。

前回同様、ネタバレを含むので、まだ観ていなくて観てみたい!というひとは回れ右して下さい🙇‍♀️ そして是非、観ていただきたい。

前回も少し取り上げた、とわ子が三人目の元夫である慎森しんしんに、「今でも一緒に生きてると思ってるよ」というシーン。
もう一度見返してみて、離婚後の元夫婦の理想だと思ってしまった。

慎森しんしんは不器用だけれど頭の良い合理的な男性で、イベントや日々の挨拶や会社へのお土産などの体裁を好まない。けれど、とわ子との結婚式だけは幸せだったと感じ、にも関わらずそれを自分で捨ててしまった、と悔いている。
書類は出したけれど、離婚は継続している、なくした時間を取り戻したいと未練タラタラの慎森しんしんは「なくしたんじゃない、捨てたんじゃん」ととわ子に切り捨てられる。

その後の後くらいのシーンだ。

とわ子:この店で社長になること決めたんだよね。
慎森:そうなんだ。
とわ子:オーナーから君に引き受けてもらいたい。受けるかどうか1時間以内に決めなさいって言われてさ。とりあえずここにきて、さてどうやって断ろうかって。
慎森:まぁそうだろうね、君が社長なんて。
とわ子:でしょう?
慎森:ここでどんな心境の変化があったわけ?
とわ子:大したことじゃないんだよ。めんどくさいなと思いながらコーヒーを飲んでたらさ、あそこ、あの席に高校生の女の子がいたの。その子ね、目の前にタルト、いちごのタルト1個を置いて、分厚い数学の問題集を頭抱えるようにしてうなりながら一生懸命解いてた。
慎森:うん。
とわ子:でね、解き終わったら彼女、ずっと目の前に置いておいたいちごのタルトを食べ始めたの。おいしそうだった。それをね、見てね、社長を引き受けることに決めたの。ま、別に意味はないんだけどさ、なんとなく。
慎森:わかるな。
とわ子:わかる?わたしもね、いつか、あのイチゴのタルトを食べようと思って、会社に戻って、お受けしますってオーナーに伝えたの。まだまだ全然ダメな社長だけどさ。
慎森:がんばってるよ。すごくがんばってると思う。君は、昔も今もいつもがんばってて、いつもキラキラ輝いてる。ずっとまぶしいよ。
とわ子:やめてよ。
慎森:ごめん、ごめんごめん。でも、それをずっと言いたかったんだ。
とわ子:今の言葉が私のいちごのタルトかも。
慎森:いやいや、そんなにすごくないよ。
とわ子:そうか、そうだね。別れたけどさ、今でも一緒に、生きてると思ってるよ。
慎森:僕までタルトを貰っちゃったな。

大豆田とわ子と三人の元夫 第二話より

ひどい終わり方をして、そのまま終わるということがわたしのデフォルトだ。ひどいくらいじゃないと、終われない。
だから、とわ子のように一度捨てたものをもう一度拾い、見つめなおし、新しい関係を作り、丁寧に関係をまた続けていく、ということをわたしはしてこなかった。思いつきも、しなかった。

タルトを貰ったり、あるいはあげたり。

わたしと元夫にも、こんな未来はあるのかもしれない。
けれど、とわ子のような優しさの器がわたしにはなく、慎森のような情熱が元夫にも存在しない以上、今のところ叶わない未来だ。
それでも、こういう未来がこの世のどこかに存在するかもしれないことは、希望だ。

家族ですら、一度切り捨てたものをもう一度拾い直すことをしたくない。
けれど、これからのわたしがすべきことは、真新しい未来を探すことじゃなく、今まで捨てたゴミをゴミ箱から拾って、もう一度そのゴミを見つめ直すことなのかもしれない。

そのゴミの中に、自分が混じっている。
わたしは、今まで自分も一緒に捨ててきたのだ。
だから、捨てたものを振り返りたくない。
「黒歴史」という言葉には、必ずその時の自分が含まれる。
だから、わたしは今まで、自分の中の嫌いな部分を切り取ってゴミ箱に入れてきた、ということになる。

家族、そして元夫について、ただの自分を愛して欲しかったという本心。
ただの自分を愛して欲しい、と願いながら、めちゃくちゃがんばっていた笑
そして、それでも愛してもらえなかった。
そんな自分が恥ずかしかった。
という感情たちと起こった事実からなる粗大ゴミがわたしの中に散らばる。
そういう記憶を今、ひとつひとつゴミ箱から拾っては抱きしめている。

めちゃくちゃ疲れる。
一日中起きられない日もある。
マッサージの後の好転反応のようなものだ、たぶん。
掘り起こした嫌な記憶を上手に消化して排出しようとしているのだ。

上書きするのではなく、全部残るんだなとふと思う。
嫌な記憶を消すのではなく、優しい記憶に変えること。
過去も未来もここにありパラレルワールドにも似た何かを感じるのは、今の時代だからかもしれないと思う。

とわ子に切り捨てられた後、いちごのタルトの前のシーンも、実は印象的だ。
翼という女性と交わした会話は、慎森しんしんに影響を与える。

慎森:めっちゃ楽しい、めっちゃ最高、幸せ、ハッピー、この人に出会えた俺、世界一幸せだったと思えた瞬間があった、あったのに、自分で捨てちゃったよ。
翼:スポーツの世界の一番は、勝った人じゃないよ。金メダルとった人でもないよ。good loser。 負けた時に何を思ったか、何をしたかで 本当の勝者は決まるんだよ。

大豆田とわ子と三人の元夫 第二話より

グッドルーザーという表現が、優しくて胸に詰まる。
どんなひとも、同時にグッドルーザーだ。金メダリストすらも例外なく。

慎森しんしんに影響を与えた翼は、慎森に好意を持っているけれども、その後ふたりが結ばれることはなく、慎森の元を去る。
慎森しんしんは翼からもらった気持ちを、翼にではなくとわ子に返す。

世の中に循環しているのはお金だけではない。

人生は、物語じゃないから、節目はあっても死ぬまで終わらない。
結論は決まってない。
人はみな、エンディングがわからないまま、毎日現実に抗ったり、流されたりして生きる。

人を幸せにする機能が備わっていない、そう言った慎森しんしんを変えたのは、彼女でも妻でもない通りすがりの女性だった。
これがこのドラマの唯一残念なところだ。
グッドルーザー、そう持ち上げながらも、脇役のまま退場させ、彼女の続きの物語が描かれないこと。
まあドラマだからしょうがないか笑

とわ子を特別視しすぎている。
元夫たちは、慎森しんしんと同じように、それぞれ女性と出会い、通り過ぎて、またとわ子と出会う。
最後まで、元夫たちはとわ子を好きでい続ける。
とわ子になりたい、そう思ってしまう呪いにかかる。

だから、わたしも彼にとってそうなるのかなと不安な気持ちを持ち続けることをやめられない。
けれど、何回か観ていたら、この呪いの存在には気づけた。
そして、この呪いに気づいてなお、しぶとく抗うというか戦うのが大人ってものだとも思う。

今、ハッピーエンド結婚続き離婚の続きを歩いている。
ここまでに学んだことを、今回書いた。

これからは、急いで走るんじゃなく、ゆっくり歩こうかなと思っている。
走っても、どうせ戻ってもう一度景色を見直さないといけなくなったりするのだから、時々カフェに寄って、いちごのタルトでも食べながら歩く。


余談だけど、いちごのタルトって、例えばこういうことだと思う。


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