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#29 呪いを手放そうと思います

こんにちわ。id_butterです。

人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の29話目です。
#20 で書いたあの絶望したときの話と #28 で書いた痴漢の話がリンクしていたことに気づく。内容がエグすぎて、物語に昇華できそうもない、そう何度も考えたけど、この話はどうしても避けられないみたいだ。
これ以上進めない。他のこともかけない。
今書かなければ、手放せるチャンスがない気がする。

フラッシュバックの可能性がある方、男性に対する恐怖がある方はどうか読まないでください。



呪いのはじまりは、何度か書いた。
子どものころ痴漢に遭った経験は、わたしの人生を大きく変えた。

わたしはきたない。穢れている。
だって、痴漢にあったのだ。
拒否もしなかった。
母は「汚い」といってわたしをゴシゴシ洗った。
これからはわたしはわたしがきたないことを隠し続けなくてはいけない。
だから、きれいな人に触ってはいけない。近づいても、いけない。

#28 優しくされたらダッシュで逃げたくなってしまう件 にこう書いた。
中学くらいから始まる女子同士の恋バナに話を合わせることは難しかった。
わたしのファーストキスは、その言葉を知る前にもう終わっていた。
レイプこそされなかったけど、その先もだいたいわかる。友だちの話すそれは、まったく違うもののように語られていたけれど、わたしの知るそれと同じ行為であることは紛れもなかった。
塾からの帰り道、何度も振り返って誰もいないことを確認する毎日は続いた。
あのとき以来、なぜだろう。電車に乗るたびに痴漢の人たちはわたしにめがけてくるようだった。「額に印でもついているんだろうか」本気で思った。

わたしは、同年代の子たちが知らないでいられるはずのものを知ってしまっていた。
それは、悪意だった。
心を通わせあうための体験が裏返しになるというのは残酷なことだ。
一見普通に見える男の人がわたしにだけ牙を剥く瞬間をひとに説明することは難しい。
「母親が嫌い」そんなことを口にしようものなら今まで育ててくれた恩を忘れて、と大人も子どもも言ってくる時代だった。
周囲の子たちの笑顔をどうしても遠くに感じてしまうわたしがいた。

こうやってしてもらえないかな、と言った男の顔は覚えていない。
場所は、家の目の前の階段だった。
なんで、たすけを呼ばなかったんだろう。
なんで、いやだって言わなかったんだろう。
なんで。なんで。
記憶を擦り切れるほど反芻したけど、脳内を塗りかえることはできない。
思い出すたびに、記憶はより鮮明になっていって、血は常に流れていた。

人に言えない体験は、わたしの中で膿んでいった。

カウンセリングやつきあった男の子に、話をしてみたこともある。
話したら軽くなると思っていたけど、そんなことはなかった。
いや、そもそもセックスをしたらこんな思いは消えると思っていた。
だけど、モヤモヤはそれから10年以上もくすぶり続けた。

それから20年以上経って、わたしは女の子を授かった。

看護婦さんから、「キレイなお子さんですねぇ」とため息をつかれるほどに綺麗な子が産まれてしまった。
怖じ気ついてしまったわたしは、「この子抱っこしていいんですか?」とおずおずと尋ねてしまい、「〇〇さんのお子さんですから」と笑われた。
それほどに綺麗で、なんなら綺麗を通りこして神々しく輝いていた。

こんなときすらもわたしは汚い自分を恐れていた。
抱っこしたらこの子が汚れてしまう、そんなこと言えるはずもなかった。
小さく上下する胸が、あくびが、うすいピンクの爪が、乳首を探す口が、母親を必要としているのだ。

夜、わたしは病室で不安に襲われた。
「この子がわたしを同じ目に遭ったらどうしよう」
妄想はとめどもなく進み、頭の中ですでに痴漢に遭ってしまった娘をわたしは「だいじょうぶだよ」と抱きしめていた。「汚い」とは口が裂けても言ってはいけない、と固く決意しながら、涙を流している。
なぜだろう、こういう時ほどわたしの頭はフル回転してしまうのだった。

「女の子が産まれたよ」
と伝えたら、友人は「なんか、運命みたい。あなたらしい。」と言った。

たしかに、今思えばそうなのかもしれない。
わたしは、彼女を育てながら、自分を育て直して、自らを癒すチャンスを得たのかもしれなかった。
少なくとも、自分を卑下することはやめなくてはいけなかった。それは遺伝するからだ。卑下なんて行為は、小さなお姫様に似つかわしくない。
とはいえ、呪いへの恐怖を忘れることはなかった。

呪いを恐れることは、呪いがあると肯定すると同じことだ。
それを思い知ったのは、さらに8年後。
呪いは、夫という家族の一員である人によって成就した。

「なんでやらしてくれないの?あんまりやらしてくれないから、最近お風呂一緒に入る時〇〇(上の子ども)の体を見て一瞬ムラムラして、やばいんだよ。」

この呪いを引き寄せたのは、わたしだ。
シンデレラに呪いをかけたのが実の母親であったのと同じように、娘に呪いをかけてしまった。
夫をモンスターにしたのもわたしかもしれない。

最近、そんな結論に達した。

わたしは、間違っていたと思う。
人の昏いところばかり見てはいけないのだ。
世界に絶望した人の世界は、真っ黒になっていくのだ。
人が怖いと思ったら、怖い人があちらからやってくる。
自分が汚いと思えば、ほんとうに汚れていく。

とはいえ、こどもだったわたしにはわかることではなかったけど。

わたしがみたものは、本当は悪意じゃなかった、単なる弱さだ。
自分の子どもを守れなくて傷ついた母は、子どもを責めることで傷ついた自分の憂さを晴らしただけだ。弱い人だったのだ。その時、父がどうしていたかを、わたしはまったく知らない。
痴漢が弱い人たちだってことを今は知っている。彼らは自分より弱い人間を傷つけることで優越感に浸りなんとか生きながらえているのだ。
そして、たぶん夫も。

傷つける人は、傷つけられた人。ループなのだ。

それが、子どものわたしには悪意に見えていただけだ。

母は、優しい人だった。
小学生のとき、お墓参りで手に大きな火傷を負ってしまった子がいた。
「線香を持っていてね」そう親にいわれた彼女は、線香が燃え続けて火が自分の手に迫ってきてもなお、線香を手から離さなかった。手のひらと手の甲が3分の2以上焼けただれてしまったピンクの手は痛々しかった。
「かわいそうだね」と母は何度も話していた。

「わたしは?」とその時思っていた。
わたしはかわいそうじゃないの、お母さん。
わたしもね、お母さんの言いつけを守ったんだよ。
「大人の人のいうことを聞かなくちゃいけない」そうでしょ?

でも、もう、ゆるしてすべてを手放したい。
母も、痴漢も、夫も、今までわたしを傷つけたものすべて。
何もできなかったわたしも、娘にまで呪いを伝播させてしまったわたしも、全部ゆるす。

それが自由だと思う。
わたしは自由になりたい。


離婚するとき、決意したことがある。
信じることと、自分の心をオープンにすること。
二つとも結局は同じ意味だ。
自分のやわらかい一番大事な部分を人にそのまま見せることが、その人を信じることだし、自分を信じることだ。
「嫌われるかもしれない」そう疑っているのに、「あなたがすき」と伝わるわけがないのだ。

これを決めたときから、わたしは今日みたいな日がくることをわかっていたんだとしか思えない。
やはり、最近ハジメが絶好調なようだ。


わたしは、自由に生きる。
何が起きるかわからない日々を、ぜんぶやわらかく受け止めて、大切に抱きしめてみせる。

たぶん、そのために離婚した。

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