#62 「18禁スピリチュアル」 赤いドア 後編
こんばんは。id_butterです。
人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の62話目です。
前回↑の続き、赤いドアに入った記憶の後編です。
それから数年、王との儀式は続いた。
隣国との境界にある火種、南の方の天災による飢饉、水路の計画、政治上の問題、、、いろいろなものを見た。
オレイリーには知識がなく、詳しい事情は何もわからない。
けれどたくさんの人に渦巻く感情が恐ろしかった。
食物を奪い合って争う人々も、子どもを喪って泣く親も、ライバルを蹴落とそうと巡らせる策略も、初めて見たオレイリーには刺激が強すぎた。
人間に近づきすぎると、酔ってしまう。
なんというか、発するエネルギーが重いのだ。
オレイリーの側には今までアリランとおばば様と数人の巫女しかいなかったし、神殿での日々は退屈なものだったから、人間を知らなかった。
外の人々はみな、嘆き、悲しみ、笑い、怒り、憎み、妬み、絶望し、立ち上がり、蹴落とされようとももがきながら生きていた。
オレイリーの当たり前は当たり前ではなかった。
オレイリーの前にはすべて揃っているのに、何もないのだった。
悲しみは怒りに変わることを知る。
人の醜さに触れるたびに、もう見たくないと何度も顔を背けた。
黒い欲望に取り憑かれた人たちは恐ろしかった。
固執とか執着といった感情がレイリーにはあまりよくわからなかった。
優しさも見た。
けれど、それはたやすく傷つけられ奪われ踏みにじられるものだ。
降る雪のように積もっても積もっても淡く溶けていく。
そのたびに、オレイリーは傷ついた。
王はその象徴みたいな存在だった。
王と通い合えば、彼が傷だらけであることは一目瞭然だった。
彼が来るたびにその傷は増えていく。
けれど、その傷を誰も知らない。
王自身ですらその傷を見ようともしない。血は流れ続けているのに。
彼は自分のためじゃなく、いつも誰かのために傷ついていた。
王は、オレイリーより人間に近く、優しく、強く、けれど同じくらい傷つきやすかった。
彼は王である前に生身の人間だった。
せめて、と儀式には力がこもった。
けれど、それは王をしあわせにはせず、焼け石に水のような気がする。
ただ、王は決してあきらめようとはせず、弱音すら吐かない。
だからオレイリーができるのはただ黙って王のサポートに徹することだった。同じように隣で傷つくことしかできないのだった。
夜、びっしょりと汗をかいて飛び起きる、そんなことが増えた。
アリランが心配そうにこっちを見ている。
「だいじょうぶか。悪い夢でも見たのか。」
「どうして、いるの。」
アリランの優しさは時々つらい。
「あぁ、リンに相談されたんだ。
最近レイリーが寝られないみたいだって。」
リンは巫女の見習いで、オレイリーの世話係だ。
もう6歳を過ぎたが、うまく声が出せない。
いつか部屋を変わるときにアリランを案内して以来、アリランはリンを可愛がっていたし、リンもことあるごとにアリランを頼る。
「ただの夢だわ。リンは心配しすぎるのよ。余計なことばっかり。」
リンはいい子だけれど、アリランに筒抜けなのは困る。
心がささくれだつけれど、リンに説明もできないからアリランに当たる。
リンみたいに無邪気にアリランに近づけたらいいのに。
「リンのせいじゃない。おれが言ったんだ。
だっておれは、レイリーのお兄ちゃんみたいなもんだろ?
だから、知っておかないとさ。ごはんは食べられてるのか。
昼は、来られないから。あぁ、またあの店のパンでも買ってこようか。
レイリーが好きなやつ、それと、、、」
アリランはお兄ちゃんなんかじゃないじゃない。
心の中で毒づく。
このひとは、こうやって無神経にわたしを傷つけるのだ、いつも。
のんきそうにパンの話とかして、わたしをイライラさせる。
「そんなに、だいじょうぶだって。
アリランこそ、だいじょうぶ?昼だって働いているのに。
奥さんは怒らない?ザイルだって、ほっておいちゃダメじゃない。」
腹が立ったから、わざと空気を、自分を凍らせる。
頭も心も冷やしておくべきなのだ、常に。
ザイルは、あの夜の半年後くらいに産まれたアリランの息子だった。
巫女たちがコソコソと話している噂を聞いたのだ。
おめでとう、というわたしに、アリランがありがとうと答えたとき、あの夜は何もなかったことになった。
少なくともわたしの中であの夜は砕け散った。
奥さん、というワードはなぜかいつもアリランの顔を曇らせる。
アリランを遠ざけるのにちょうどよかった。
ちょっとはわたしに悪いと思っているんだろうか。
愛していない女に夢を見させた罰だ。
これくらいは勘弁してほしい。
別に責める気なんてない。
あの夜がなかったら生きてこられなかったことくらいわたしが一番知っている。
ただ、今優しくするのをやめてほしいだけ。
もう何かがほしいなんて期待するのはやめたのだから、そっとしておいてほしいだけ。
「ああ、アイツもザイルもおれなんて必要ないんだよ。
店は親父さんが足を悪くしたから、人を雇うまでしばらく大変かもしれないけど。しばらくしたら、また前みたいに毎日来られるよ。」
アリランが苦笑する。
アイツ、という響きにざっくり心が抉られて、後半は耳に入らなかった。
返し矢が思いの外深く刺さった、けれどそれは自業自得だ。
目の前のアリランの声が遠ざかり、世界は色あせる。
「いいの、もうそんなに心配しないで。」
思ったより、声が冷たく響いてしまい、うろたえる。
もうアリランの顔をまっすぐ見られない。
なんでいつもわたしはこうなんだろう。
うまくできない、何も。
現実では何もできない役立たずなのだ。
アリランが少し傷ついたように、でも心配そうにこっちを見ている。
もう、見ないで。
その目で見ないでほしい。
手に入らないものをほしいと思い続けるなんて、そんな人間みたいなことわたしには無理だから。
「もう、寝る」
子どもみたいに言って、アリランに背を向ける。
アリランは黙って部屋を出ていった。
今もわたしを包む王のエネルギーの気配にアリランは気づいただろうか。
なぜか、気づかれたくはなかった。
気づかれようと気づかれなかろうとどちらでも関係ないのに。
明日リンを叱っておかなくては、と思う。
王が気づいたのは、次の儀式のあとだった。
オレイリーに命が宿ったのだ。
「オレイリー、そなたは、どうして、、、なんということを。」
「申し訳ありません。どうしても母になってみたかったんです。
サハラ様も気づいていらっしゃるでしょう。
わたしの命は残り少なくなっています。サハラ様と同じように。
わたしたちは、神の領域に近づきすぎている。
もう、限界なのではないでしょうか。」
「オレイリー、そんなことを言っているのではない。
アリランを愛してるんだろう。
それなのに、なぜこんなことを。
・・・
いや言っても詮無いことのようだな。
お前は、生きると決めたのだな。」
「えぇ、サハラ様。
わたしは人間として0から生き直してみたくなりました。
サハラ様と見た景色は今までみたことのないものでした。
あの中で、生きてみたいのです。
笑ったり、泣いたり、それらを味わってみたいのです。
わたしの勝手をお許しいただけますでしょうか。」
「因果なことだな、オレイリー。」
王はオレイリーを抱きしめた。
愛おしそうに髪を撫で、頰を両手で包み、目を合わせて言った。
「アリランと逃げろ。
わたしの子どもだとわかれば様々なことに巻き込まれる。
自由に生きて、しあわせになってくれ。
後のことはすべて引き受ける。いらないものは全部置いていけ。
今まで、本当に申し訳なかった、そしてありがとう、レイリー。」
「サハラ様。
サハラ様はわたしを救ってくれました。
本当に今までありがとうございました。
どうか、おしあわせに。」
王が出て行ったのち、オレイリーはひとり笑った。
「生きろ」
どうして男たちはみんなわたしに同じことを言うんだろう、と思ったのだ。
勝手すぎる。
もうひとり、話すべきひとが残っている。
「おばば様、今までありがとうございました。」
「出ていくのか。
お前も母親に似て本当にばかだ。
あんな恋なんていう感情に駆られて、神殿に紛れ込んで女を襲うような男の子どもを産むなんて。
お前は王の子どもなんかじゃない、あの馬鹿な男の子どもだよ。」
あぁ、王は子どもが暴漢の子だと知っていて、母をかばったのだ。
彼らが母とわたしを庇うことが、余計におばば様の嫉妬に火をつけたのかもしれない。
おばば様が急に小さく見える。人間のようだ。
もう何も、感じなかった。
「おばば様、わたし忘れないから。
愛は空気に溶けるって教えてくれた。
愛がやっとわかったの。
だから歌えるわ。
毎日歌う、気持ちを風にのせて、空に届くように。
普通のなんの力もない人間になっても、おばば様に教わった通りに歌い続けるから。離れていても、おばば様に届くように。」
「レイリー、本当に、お前はばかなんだから。
どうしようもないよ。
暖かくして、毎日ちゃんとごはんを食べるんだよ。
母親になるんだろう。自分をもっと大事にしなさい。」
「うん、わかってる。おばば様も体に気をつけてね。元気で。
本当に今までありがとう。」
おばば様はもう振り返らなかった。
おばば様、ごめんなさい。
おばば様はわたしをこの地に縛り付けたかったんでしょう、あなたと同じように。
でも、できないの。
わたしは人間を知って、愛してしまった。
神様より、人間を選ぶ。
部屋を出ると、まだ空は明るいが月が出ていた。
あの夜と同じ月だ。
荷物はもうまとめてあった。
夜になる前に麓までおりられるだろうか。
いつも猟師たちが使う小屋に夜は泊まるつもりだった。
そのころ、アリランは王と話していた。
「アリラン、このようなことになってすまない。」
こんな風に肩を落とす王を見たことがなかった。
「なぜ謝るんです。」
「そなたの気持ちもレイリーの気持ちも知っていたのに、それなのにまたわたしは。」
「サハラ様、わたしはこの国の民として王であるサハラ様に忠誠を誓っております。この国の民は皆サハラ様を慕い、信頼申し上げております。」
「…そうだったな。肩からこの荷を降ろすことは叶わないのだった。
アリラン、オレイリーとお腹の子を頼む。
つらいことばかり押し付けてすまない。けれどそなたしかいないのだ。
追っ手をとどめておけるとしたら、次の儀式までだろう。
それまでにオレイリーとどこかに身を隠せ。
オレイリーとその子にこの重責をもう背負わせたくないのだ。
どうか、頼む。」
「仰せの通りに。」
アリランはオレイリーの部屋に走った。
けれどドアを開けると、そこにはリンしかいなかった。
泣いているリンの顔を覗き込むと、顔がくしゃっと崩れる。
「オレイリー様が、」
手にした手紙をアリランに渡す。
それはアリランに向けた手紙だった。
レイリー、違うんだ。
いつだって、死んだ方がしあわせなら死なせてあげたかったんだ。
けれど、生きたがっているように見えたから。
違うのか。
レイリーに生きて欲しかったのは俺なのか。
間に合いたいのに、いつも届かない。
部屋にはまだオレイリーの体温が残っていた。
まだ間に合うはずだ。
「リン、泣くんじゃない。落ち着け。
誰にも気づかれてはならない。
おばば様にどうすればいいか相談しろ。」
リンが泣くのをやめた。
目に力が戻る。
「リン、俺はレイリーを追いかける。
もう会えないかもしれないけど、元気で。」
リンの目が潤む。
「オレイリー様をよろしくお願いしますね。」
そう言って笑うと、リンは台所から食べ物を持ってきて、袋に詰めてきてくれた。
「アリラン様もお元気で。」
これからの神殿で起こるであろう騒動を思うとやりきれなかったけれど、リンはそれも覚悟しているようだった。
「ああ、リンも元気で。」
オレイリーの部屋を後にした。
まだ夜が始まったばかりだ。
オレイリーの足ではせいぜい山の麓までしかたどり着けていないはずだ。
今夜の月は明るいな。
月明かりで照らされる山道はいつもより歩きやすかった。
状況は絶望的なのに、なぜか心は軽かった。
わたしの中に、ふと降りてきたことがあった。
「ねぇ、アリランが『お父さん』なの?」
お父さん、とはこの回の登場人物であり、もうひとりの彼だ。
「そうだ。」
「ってことは、この(回の)女の子がオレイリーの娘ってこと?」
「そうなるね。ねぇ、だいじょうぶ?」
「だから、だいじょうぶだって。過保護だな。
ねぇ、この後会えたんじゃないの?
なのになんでわたしの中にこんな感情が残ってるの?」
わたしの中が大変なことになってるんだろうな、きっと。
だからついてこなくてよかったのに。
でもいなかったらこの程度じゃないのかもしれない。
「それは。」
まだいい淀む彼にイライラする。
こっちは限界なんだよ、心配とかいいから早くしろよ。
頭痛やら胃痛やらで頭がぼーっとする。
「もう、隠し事はやめてよ。」
「レイリーは俺のことを見抜いてた。
俺がほかの男に嫉妬していることを知ってた。
だから、受け入れられないと思って、黙って出ていったんだ。
レイリーが無理したのは俺のせいだ。」
俺というのはアリラン、僕というのは彼だ。
「ああ、あの気配にアリランが気づいてて、それにレイリーも気づいてたってことか。まぁ、そうだよね。」
今も、そうだ。何も隠せない。
だから、全部僕に委ねて、抵抗しないで。
エネルギーが流れていく。
怖がらないで、疑わないで、信じて。
エネルギーが突っかかるのはわたしが傷ついて彼を疑った証。
わたしは彼に何も隠せないのだった。
彼を愛していることも、嫉妬していることも、疑ったことも、すべて。
彼がわたしの中にいるということは、彼にわたしのすべてを明け渡すことでしかないのだった。
そして、わたしはそれを拒めない。
それなのに、彼は自分をわたしに隠し続ける。
今も続く、それは一体なんなんだろう。
レイリーとアリランは麓の山小屋で会えた。
アリランが着いた時、レイリーは寝ていた。
顔色があまりよくないのが気にかかる。
額の汗粒に布をあてる。
月の光が照らすレイリーはいつもとは違う顔をしているように見える。
今はふたりだけだ。
胸の中が暖かい。
「アリー、なんでいるの。」
「お兄ちゃんだから、かな。」
言えない。言ったらもうおさえられない。俺はレイリーを壊す。
せっかくひとりで立っているレイリーの邪魔をする。
レイリーの顔が曇るのがわかったけれど知らぬふりをする。
「だめじゃない、今からでも戻れる。わたしにつきあう必要ない。」
ほら、言うはずがない。
アリーはわたしなんかに本音を話さない。
もう、たくさん。
なのになんで離れられないの。
わたし、アリーにもう見られたくない。
「そんなことないよ、サリー様の命令だから。ほら、行こう。
まず街を出て海の方に向かおう。
俺がいやでも、お腹の子と体を優先しろ。俺を利用しろ。
今はそれが一番大事なことはなんだ。
ひとりより男の俺がいた方がいいことくらいわかるだろ。」
レイリーは観念したようだった。
どちらにせよ、レイリーを手放す気なんかなかった。
けれど、レイリーはそんな凶暴な俺を知らない。
レイリーと街から街へ移動した。
レイリーは長い髪と白い肌を手放した。
体調はあまりよくないままだったけれど、はじめての自由を手にした気分は悪くなさそうだった。
生き生きとした表情は子どもの頃のようだ。
「ねぇ、これなに。」
毎日飽きもせず子どものようにはしゃぐレイリーの心のうちに気づいていなかった。
海のそばの街、その市場でレイリーを見失った。
買い物をしてふと振り返ると、レイリーがいなかった。
カバンの中を確かめると、いくらかの現金が消えていた。
レイリーは俺を許してなかった。
心が折れそうになる。
このまま諦めた方がレイリーのためなのか。
でも。
離れてからレイリーをまた見つけられたのは偶然だった。
刀を研いで欲しいと店で話したら、裏にある家で祖父に直接聞いてみてくれと店番をしていた女に案内された先に、レイリーがいた。
あれから数ヶ月経っていた。
ベッドに横たわるレイリーのお腹ははち切れんばかりになっていて、今にも生まれそうだった。
そして、あまり顔色が良くなかった。
レイリーは顔を強張らせて、体を起こしそれでも逃げようとした。
「レイリー、逃げないで。
ごめん、なんでもするから、もう逃げないで。」
振り返ったレイリーの目から涙がこぼれ落ちる。
「なんで。アリーはなんでも持ってるじゃない。
わたしがいなくてもいいじゃない。わたしとは違うじゃない。」
「本当に、そう思うのか。」
「ねぇ、わたしもうすぐ死ぬの。
この子は他の男のひととの子どもなの。
アリーにあげられるものなんかもう何もない。」
「知ってるよ、全部知ってる。一緒に育てよう。
だって、ひとりじゃ無理だろ。
レイリーは生活能力がポンコツじゃないか。
子どもを生まれてすぐ死なせる気か?
レイリーの子なんだから俺の子みたいなもんだろ。」
レイリーの目からぽろぽろこぼれ落ちて頬を伝う。
「アリーはほんとばかだ。」
このひとわたしのことなんて愛してないのに。
でも、もういいや。愛されてなくてもいいの。
そばにいられるなら。
「アリー、あのね、
この町の人に親切にしてもらったの。
スープが作れるようになったんだよ、ずっとアリーに食べて欲しかった。
それに友達ができたんだよ、一緒に買い物にいったの。
アリランに紹介したかったんだ、セシリアっていうんだよ。」
「レイリー、そんなに無理して喋らなくていいから。」
「アリー、あのね、」
「レイリー、黙って。」
「愛してなくていいから、そばにいて。」
「…レイリー。愛してるから、ずっとそばにいるから、黙って。」
「はーい。」
もう、そんな嘘吐かないでいいのに。
わたしのせいだけど。
結局、あの夜以来、アリーがわたしに触れることはなかった。
手が触れただけでもすぐに手を離した。
きっと、サハラ様と肌を合わせたわたしを許してくれない。
サハラ様と見た景色に見とれたわたしを許してくれない。
ましてやお腹の子の父親はサハラ様なのに。
わたしが汚れているのを一番知っているのは、この人なのに。
それを見せ続けるのがどんなにつらいのかこの人にはわからない。
このときも、俺はレイリーの気持ちなんてわかってなかった。
隣にいることが嬉しくて、まだ時間があるから間に合うと思ってた。
こんなに伝わってないなんて思ってなかった。
レイリーに触れるのを避けていたのは、自分の欲望がレイリーを壊してしまいそうで怖かっただけなのに。
レイリーをこれ以上傷つけたくなかっただけなのに。
俺だけはレイリーを、レイリーの力を利用してはならない。
結局、アリーを巻き込む。
この子のそばにだって、わたしはいつまでいられるだろう。
アリーと一緒に育てる?
そんな夢を見ていいはずがない。
親がいないわたしが、ザイルから父親を奪い、この子からは母親を奪う。
奥さんからは、夫を。
わたしは、人を不幸にする。
願ったからだ。
わたしなんかが、普通を願ったから。
この後、オレイリーは子どもを産んですぐ、亡くなった。
「悔しいな、いろんなことができるようになったのに。
パンも作れるようになりたかったな。
アリーと、もっと一緒にいたかった。
子どものころは、楽しかったね。
ねぇ、この子のことお願いしてもいい?
アリーしか、いないの。ごめんね。
アリーからいろんなもの奪った。ザイルも。」
「レイリー、違う。違うんだ。」
「あの夜、嬉しかった。迎えに来てくれたことも、嬉しかった。」
「レイリー、俺は。」
「愛して、ごめん。でも、アリーしかいなくて。」
「レイリー、愛してるんだ。」
「嘘。アリーはいつも優しいから。」
「レイリー、愛してる。レイリーが一番綺麗だ。」
レイリーの瞳が一瞬揺れたように、見えた。けれどすぐ曇って目を伏せる。
「何にもアリーにしてあげられなくて、約束も守れなくて、ごめんね。」
「レイリー、一緒にこの子を育てるって約束しただろう。」
意識が朦朧としているようだった。
レイリーに俺の言葉は最後まで届いてなかった。
オレイリーは近くの墓地に葬られた。
アリランはレイリーの子どもを連れて、そのまま森へ向かった。
全部俺のせいだ。
レイリーを苦しみの中で死なせた。
アリーを理解しようとしなかった。
本当はわかってた。
愛されてるって、わかってた。
でもどうしても信じられなかったの。
彼からのエネルギーが強まっていた、少し前から。
あぁ、レイリーがわたしの中で泣いている。
今、わたしの中は感情の洪水みたいになっている。
体がひとつしかないのに、みんないるからしょうがない。
もう受け入れて、そのままにしておいた。
誰も悪くないし、もう終わったことなのだ。
ねぇ、無茶してごめん。大変そうだね。
でも、知りたかった。
あなたのことも、レイリーのことも、アリランのことも。
心配させてごめんね。
君に自由にしててほしい。
笑っててほしい。
待ってないで、楽しくしていて。
でも、絶対に君のところに行く。
全部持っていくから。
今もどこかで「レイリー」と呼ぶ声が聞こえる。
その声からこの記憶が始まった。
それからずっとこの記憶が脳内再生されている間、これを書いている今も涙がとめどなく流れ続けて、頭がガンガンして、胸がトクトクとなり続ける。
なんでこんな記憶をわざわざ思い出して、もう一度傷ついて彼に癒してもらう必要があるのか、わたしにはさっぱりわからない。
けれど、レイリーとアリーにはもう静かにどこかで暮らしてほしい。
今度こそふたりきりでもっと話してほしい。
赤いドアを閉めてわたしはそこをでる。
わたしは、これからもドアを開け続けるんだろうか。
いや、しんどいな。
サポート嬉しいです!新しい記事執筆のためシュタイナーの本購入に使わせていただきます。