働くひとの通信簿
こんにちは。id_butterです。
先日、お世話になった元上司の方が定年退職した。
それで、鮮明に記憶が蘇った。
一緒に働いたことがなかったある男性(いやあえて愛を込めて彼をおっちゃんとよびたい)の定年退職の送別会である。
時々、働いていてよかったなと思うことがある。
これはそんな人生のひとときの話。
そのおっちゃんとは一緒に働いたことがなかった。
席も遠く、部署的に関わりもなかったので接触もほとんどなかった。
でも、一回だけ話したことがある。
3.11 そう、震災の日だ。
当時わたしの働いていたビルはすごく古くて、かなり揺れた。
対策も全然していなかったから、内側のガラスが割れたり、電気が落ちてきたり、書庫が倒れたりしていたから、みんなで公園に避難した。
少しおさまってから、近くにある別のオフィスにみんなで移動することになった。半袖で着の身着のまま避難してきたひともいて、みんなで寄り添いながら寒空を歩いた。
避難してからも、落ち着かなかった。
点呼すら上手に取れなかった。
パソコンは置いてきた。
今日誰が出社しているか全部署分把握している人間はここにいない。
いないひとがお昼に出たまま帰ってきていない可能性もあった。
点呼を取るはずの上司もそばにはいない。
少し遠くに知り合いを見つけ、同じく自部署の社員を見つけられない不幸を嘆く。
同じような不安をみんな抱えていた。
会社は海沿いにあり、避難場所の会議室の窓からは海が見えた。
多くのひとが、海を不安そうに見やっている。
「あぁ、みんな津波を心配しているんだ」
ふと気づいた。
避難先の会議室は重苦しい雰囲気が漂っていて、声を発するのも躊躇するほどだった。
そこに「だいじょうぶか〜」とちょっと呑気な感じで入ってきたのが、例のおっちゃんだった。
おっちゃんは両手に大きなレジ袋を三つも四つもぶら下げていて、サンタみたいだった。隣には同じ部署の男性が同じようにレジ袋をぶら下げている。
その中にはお菓子やらおにぎりやらコンビニ強盗をしてきたかのごとく色々なものが雑多に詰めこまれていた。
そして、おっちゃんともう一人はおもむろに一人ひとりに声をかけながらそれを適当に配り始めた。
知っているひとか知らないひとかとか関係なく、ニコニコしながら肩をぽんぽんたたいたりして。
わたしも全然一緒に仕事をしたことがないのに隣の知らないひとと笑い合い一緒にホームパイをいただいた。
会議室が少し温度を取り戻した。
そこは倉庫街みたいな大型のトラックしか通らないような辺鄙な場所で、近くのコンビニには徒歩で往復で30分近くかかった。
一時避難場所から移動するときに、おっちゃんとその男性はコンビニに向かい、あるだけのものを詰め込んで買ってきたに違いなかった。
わたしは、尊敬というかただひたすらに感動していた。
だれもそんなことを思いつかなかったから。
その会議室でひとしきり配り終えた後、おっちゃんは隣の会議室に消えていった。
そして、おっちゃんの定年退職の日。
送別会が開かれるいつもの空きスペースは人で埋め尽くされた。
役員クラスの送別会より、人ははるかに多かった。(その人はわたしの知る限りずっと平社員だったし、ずっと同じ部署だった。)
そして、終了後は直接声をかけたい人々が殺到した。
一人ひとりとの会話が長くて、見たことのない長蛇の列が途切れない。
特に女性が、老いも若きもそのおっちゃんにキャピキャピねだっている。
「〇〇さ〜ん、一緒に写真とろ〜〜❤️」
とうとう人事のひとがあきらめたように苦笑いで撮影係を買って出た。
当の本人はちょっと恥ずかしそうに、でも丁寧に言葉を返していた。
わたしには全然関係ない、だけどこのとき働くっていうのもいいなと思ったことを覚えている。
毎日働くということは、平穏じゃない。
いやなひとに出会うこともあるし、進まない仕事にイライラしたり、こんな仕事誰だってできるのにとか考えて凹んだり、やりたかった仕事だって楽しい部分は一瞬だけでそれ以外は雑務ばかりだったりすることもある。
いつもいつもやりがいがある、そんなひとの方が少ないと思う。
でも、こういうのを見ると救われた気持ちになる。
目の前で真摯に仕事と周囲と向き合ってきたひとが賞賛されていた。
ただ暮らすだけじゃ得られない何かや誰かに出会える瞬間を期待してしまうのだ、会社という場所に。