幼少期の事

私が産まれて4年後

弟ができた。

私をおばあちゃんの家に預け、帰ってきた両親は

可愛い可愛い赤ちゃんを2人で嬉しそうに運んできた。

「なんだよ」と思った。


不機嫌な私を「もう眠たいねんなぁ」と

おばぁちゃんが寝かせてくれた。


眠たいんじゃない!と思いつつ何も言わなかったけれど、この時から感情を素直に表に出さない性格だったのだと思う。


そのまた3年後

妹が出来た。

何も分かっていなかったけれど、

何となく気をつかって過ごすようになっていた。


弟や妹には確かに意地悪だったけれど

親には結構気を使っていたと思う。


お母さんがよく口にする

"うちは貧乏やからな"

と言う言葉を信じきってしまっていて、

私の家は貧困な家庭なのだと思っていた。

 

大人になってから、裕福な家庭で育ってきたんだなと思うようになった。


そのせいもあって、

ご飯を食べに行く時は極力安いものを選び、

我儘は言わない子だったと思う。

私が我慢している一方で、

常に高いものを好き勝手に強請る弟と妹に、

いつも腹が立っていた。


小学生の時も中学生の時も、

弟と妹はお小遣いをしっかり貰っているのに対し、

私は    "渡された時は受け取る"    という感じで、

忘れている所をあえて請求はしなかった。

その為、殆どお小遣いは貰っていなかった。


私が小学3年生になった頃、大好きな叔母と、祖父母と、二世帯住宅をたてることになった。

年に数回しか会う事の出来なかった3人の家が隣になる!

最高の出来事だった。

それからの楽しみは毎日隣の家に遊びに行く事。

母親には常に

「あんたばっかり」

と嫌味を言われていたけれど、毎週末色んな所に連れて行って貰った。

もはやこの時期から私にとって叔母はお母さん以上に

"お母さんの様な存在"になっていた。


小学6年生になった頃、

念願だったアイススケートを習わせて貰える事になった。

親の反対も、叔母の

「私が通わせる」

の一言でひっくり返った。


今思い返してみると、このときから

1度やりたいと思った事はやらないと気が済まない頑固な性格が出ていたのだと思う。


親に反対されるなら、他の人に頼む。

もし、親に反対されて諦めた事が、本当は天職だったとしたら? 損するのは自分だろう。と思っていた。


幼稚園の頃から既に、

「お母さんがあかんって言ってたで!」

という弟や妹に、 

「大人がいつも正しい訳ちゃうからな」

などと言っていた私は

さぞかし可愛くない子供だっただろうと思う。



親が反対しているにも関わらず、叔母に通わせて貰っている事。

その叔母に誰よりも懐いていること。

母親からすれば、何もかも気に入らなかったと思う。


この頃から憎たらしいと毎日言われていたし、

家中追いかけ回され、

ビンタで倒れた所を踏みつけにされた事もあった。

その度に何度死んでやろうと思っただろうか。


殆ど誰かに甘える事無く育ったが、

1度だけ我儘を言ったことがあった。


叔母と行ったデパートで見つけた

" エンジェルブルーのリストバンド " 。

リストバンドが流行っていた当時、人と違う物が欲しかった私は、デニム生地で出来たそれを、どうしても学校に着けて行きたかった。

「買うまで帰らない!」

とその場から動かず、呆れた叔母が買ってくれた。

買って貰った直後から嬉しさよりも罪悪感が勝ってしまい、もう二度とこんな事はしないと誓った。




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