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流す、と放つ

5がつ1にち


時間を共有すること

視界が一度ぼやける。

そして鼻筋に重みを感じた瞬間にまた視界がはっきりする。「見える」という意味では同じだが、もう一つのレンズ越しから世界を覗くのは丸一日ぶり以上だろうか。

私が24時間以上、もう一つのレンズで覗いていた世界を今から残してみようと思う。

時間の共有は、空間の共有でもあり、その場所に一緒に乗っているという意味では何か乗り物に一緒に乗る時と同じような気分になる。

同じ時間でもゲームをする時間と、おしゃべりする時間と、夜にしっとりした気分で涙を流す時間と、授業の時間感覚が違うのはなぜだろうか。

「共有する人・もの」が違うからだと思う。

時間というのは自分一人の空間では流れないものだと思っていて、対象となる人やものがあって初めて時計の針は動き始める。

最近の私の時計の針は元気に動いている。


涙の意味

涙の意味を考える日が来るなんて思わなかった。

今日の涙は、あったかくてゆっくりした涙だった。自分でもなぜ涙が出ているのかわからなかったけれど、きっとありがとうの渋滞で涙が止まらなくなったのだろう。

涙の意味なんて、言う必要ないと思ったけれど、気持ちを外に出すためにはちゃんと涙の意味を考えなきゃいけないんだろうなと思う。

だから今はちょっと真面目に考えてみる。

しっとりした時間と、静かな時間の中で流れる涙は個人的にとても美しくて、慈しみの深いものだと思っている。この環境の中で涙を流す日があるのもなかなかいいことだ。

そういえば、ここでいう涙を流すって流し切るみたいに、どこかへやっちゃうって感じがするからあまり自分の気持ちには近くない。どちらかというと放つと言う意味合いの方が強いだろうか。

もやもやしている時の涙を流すは、流すだけれど、温かい涙は放つ涙だと思う。

表現って難しい。上手に行間を楽しめる人になりたいと強く願うすずめでした。

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