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見える音楽


見える音楽と聴いて、何を思い浮かべるだろうか?楽譜が見える音楽?奏者の動きという意味で、見える音楽?はたまたまた違うものだろうか

私が今回の記事をこのタイトルにしよう、と思ったのは先日の合奏中だ。その時、音楽が見えるという感覚が今までで一番わかった日でもあった。

最近、合奏中の自分の感性を研ぎ澄ませるために視覚情報を意図的に制限している。「なるべく楽譜を見ない」ことだ。これをするのはまあまあ難しくて、たくさんのリスクももつ。当たり前だけど音程だけでなくアーティキュレーション、ボーイング、注意書きのメモ等々楽譜に書いてあることは全て体に染みついた状態で演奏しなければいけないわけだ。でも、最近その状態が自分がありたい「奏者」の姿なのではないかと考えるようにもなってきた。

なぜ急に視覚情報の制限をしようと思い始めたのかというと、これまた話が長くなるのだが、簡潔にいうと自分の研究に通じることだからだ。
人には幾つ感覚があるか?と尋ねると、多くの人は5つ、五感を思い浮かべるだろう。実は人の感覚はもっとあるのをご存知だろうか?特にここでは述べないが、私たちは五感以外の感覚に普段気が付いてそれらを使えているだろうか?

視覚に頼っていることって実は多いのではないか?

一つの感覚に頼るということは、そこに注目し過ぎてしまって、他の感覚が使いづらくなってしまう状態ということだ。それによって自分の感性が狭まってしまうことは勿体無いことだと私は常々感じている。

ざっくりいうと、こんな感じ。視覚情報を制限することで、もっと音楽を豊かに捉えられるのではないか?そんな実験的なことを一人でしていたわけだ。自分のいつもやっている研究では音楽に全振りしているわけではないので、その点が少し違うところだ。

密かに実験をしていたのだが、正直最初の方は全然うまくいかなかった。でもこの間はとてもうまく行ったので嬉しくなってnoteを書いている。



暗譜している状態ではなく「楽譜の内容が全て体に染みついた状態」と上で表現したのには暗譜という概念をただ楽譜を暗記しました、覚えました。という状態だという理解にしてほしくないという私の考えがあるからだ。

紙面上にある記号を、自分の中で消化して、それを技術として身につけるように練習して、再現できるようになる。これが暗譜した状態だ。

「自分の中で消化して」というところが私は重要な部分だと常々感じる。
一つ聞いたら、正しいと思われる答えがすぐに返ってきてしまう時代。大変生きづらいなと思う。しかもその正しいと思われる答えを、自分のものにしようとしてしまう人をみると私はとても悲しくなる。あなたの考えやあなたの感性はどこに行っちゃうの?

たくさんの情報を平均化させたものがAIで、AIが言ったことをそのまま吸収してしまったら情報の消化の作業は自分の中でやっていないことにならないか?
AIは便利だし、純粋に賢いなとも思う。だけど、自分で消化する、自分で情報を捉えることを忘れちゃダメだと思う。

楽譜の情報を自分の中で消化して、演奏として外に出す音楽は自分で情報を捉えることができるいいツールだなと常々思う。だから私たちは音楽に惹かれるし、音楽をやっていて楽しいのだ。

ただ、楽器が弾けるから、いい音楽だから。そういう理由じゃなくて、自分が自分の感性に気づく瞬間があの快楽につながっているのだと思う。


さて。この実験をして何がわかったかというと、「音楽は見える」ということだ。先に述べたような見えるではなくて、この先に何が続いているか、予想ができる、そういう見える瞬間があった。

この先に何が続いているかなんて楽譜を見ればわかるじゃない、と思われるかもしれないが、ここでいう「見える」は、今このメンバーで作っているこの大きな流れの行き着く先が「見える」の見えるに近いというと伝わるだろうか。

オーケストラは水族館にいるような鰯の大群のように、流動的な物体の中で常に影響し、影響されて音を響かせている。あの鰯の大群が、急な方向転換にもみんなが対応し、みんなで同じ方向に泳げるように、オーケストラもそういう瞬間があると私は信じている。その時初めて「みんなで音楽ができた」と言えるのだ。


すずめは間合いの本を読んでから、世界がたっぷりの水の中にあるように見える。水の中には色々な感性の人がいる。それが影響されつつも共存しているのが世の中。水の中で私が動いたら、同じ水の中にいる誰かに私の動きによって、動いた水が伝わる。誰かは私によって押し出された水の圧力を感じ、またそれが誰か別の人へも波のように伝わっていく。

最近はそんなふうに世の中をとらえるようになった。

いい演奏会だったね、と思うものは奏者の間のあった演奏(気を張らず楽にしていて乱れない状態)がさらに聴者にも伝わり、ホール全体が大きな海になってみんなで探し物を探すような演奏会だったな、と振り返ってみれば思う。

まだ難しいこともあるけれど、次の演奏会はそれくらいのことができる(既にその瞬間は何度か訪れているし!)と思うので、本番が楽しみでしかたない。


最後に。
たいせつなこと。

何かに対してお金や値じゃない、自分にとっての価値・感想を持つことができること。

それは他人に意見されるべきものではなくて、ただ自分の心の中にあり続けること。

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