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ふわふわしたい時と、ふわふわしたくない時

ここ数日苦しさをおぼえるので、文字表現と向き合う時間を取ることにした。

まず、世界観に浸るために有線イヤホンをして、サントラをかける。この曲から。

とわこの世界だ。この曲を聴いただけで、あの世界に入り込めるから、音楽って素晴らしい芸術だなと思う。
この世界に来れただけで、安心感で涙が出る。

普段そこまで意識もしないけど、結局自分は「普通」がきかない人間だから、何かしらの生きづらさを感じながら毎日過ごしていて、それがきっと溜まってしまったんだなということに気がつく。

よく頑張った。この数週間よく頑張った。

考えてみれば、最後にnoteを書いたのが不定期更新の日記で2/12くらいだろうか。インスタの写真垢の投稿もその1週間くらい前が最後だった気がする。実に2週間ほど文字の世界や芸術的思考の世界から離れていたわけだ。どんな時に一番自分が自分なのか考えると、業務の話をしている時じゃなくて研究の話をしたり、音楽の話をしたり、芸術系の案を出している時なんだよね。最近それが少なすぎた。

デザインとまではいかなくても、「見やすさ」みたいなのを求められることを最近少しやっていて、でもそれには決められた枠組み(デザイン)があって。
その枠は越えられないから、そもそものその枠の仕組みに納得いかないのにそれを自分の名前を入れてどこかに提供するというのがだいぶ苦痛だったのかな。と気がつくなど。そりゃ自分もおかしくなるわけだ。納得いくものを出したいけど、どんなに時間をかけても絶対に納得いくものにはならない辛さよ。。。。

お、ここでまめ夫序曲が終わりそうだ。さいりちゃんの声でナレーションが聞こえる気がする。

ということで、ここでいっぱい、いっぱい、お話の世界に浸ります。元気になれるからね。

そしてこの作品、何周目かももう分からないけど、今日の感想をメモできればなと思います_φ(・_・




ひとりでも大丈夫になりたい?誰かに大事にされたい?
大豆田とわ子と三人の元夫 1話 pp.43

「ひとりでも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい」と幼き頃のとわ子は答えたが、彼女の人生はまさしく彼女の思うままでなっているんだなぁと分かる部分だ。ひとりでも大丈夫な時間と、誰かに大事にされる時間がこの話では明確に区別されている。
区別されているけれど、どっちも自分にとっては大事を貫いていてとわ子の信念の強さやブレない軸があるのが分かる。


優しいって頭がいいってことでしょ。頭がいいっていうのは、優しいっていうこと...
大豆田とわ子と三人の元夫  1話 pp.49


こういう時あるよなぁと。「⇔」のイメージ。

悲しいっていえば悲しいんだろうけど、言葉にしたら、言葉が気持ちを上書きしちゃう気がしてさ、なんかね、ふわふわしちゃってんだよね...
大豆田とわ子と三人の元夫  1話 pp.51

言葉にまとめると、気持ちが全部なくなっちゃうというか、満足してしまうような感覚に陥る気持ち。とてもわかる。放送を初めて見た時に共感の嵐だったこの言葉。ずっと大事にしたいし、何ていうんだろ、、、この気持ち、、、となってたのをこうして言語化してもらうことで自分の中に落とし込めているというか、納得できるというか。。とてもスッキリした気持ちになったのを覚えている。

気持ちには2種類あって、ふわふわしたい時(言語化したくない時)とふわふわしたくない時があるよね、を自分の中でも再確認できて心が軽くなった。

あまり一つのことや場所に足を突っ込みすぎないで、神出鬼没的な存在?でいることは色々な意味で結構大事な気がする。



この記事の初めの方の文章を見て、自分はこんなに追い込まれてたんだ。。ということに気がつく。別に特別何があったわけでもないけれど、ちょっと違うなが重なるとこうなっちゃうらしい。

1話分だけ読んで随分と元気になれた。

絵の具の緑色が美味しいと教えてくれるかごめちゃんのお話は第2話以降いっぱいできるかな。

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