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道端に落ちている手袋が片方だけなのはなぜだろうか

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クリップと輪っか


フェイスタオルをかける輪っかに、前髪を止めるクリップが挟まっていた。なんで?と思いつつも、誰かが何かの理由でここにこのクリップを置いたのだなぁと考えると、黒いクリップをこんなとこに置き去りにした人の姿が想像できて面白い。こんなことでニヤニヤしている場合ではない、などと我に帰る。


全てが芸術に思える場所

第71回東京藝術大学卒業・修了展に行った。上野公園をぶらぶらするのにもってこいの良いお天気だった。初めて藝大の中に入ってみた感想は「自由で最高」だ。こんなに場所があって、いろいろな道具がある空間最高すぎないですか。同年代の若者たちの作品は尖ったものが多く、感性をバキバキにさせられた。みんなカッコよかった。
どんな形であれ自分の伝えたいことが伝えられれば生きてけるな、なんてことを思う。

藝大とは不思議な場所だ。芸術で埋め尽くされている空間だからか、しらないが無造作に捨てられているゴミや、誰かが落としてしまったのか(もしくは芸術と思って意図的に落としているのか)わからない服があるがこれすらも「藝大」をつくっている芸術に思える。
そんな時間を忘れられて自己表現ができる不思議な空間にまた足を運びたい、と強く思った。



片方の冒険

片側だけが落ちている手袋と、靴を別々の場所で見かけた。両方落ちていたら不気味なのに、片側だけだと冒険的になるのはなぜだろうか。
見つからないもう片側のことを考えて、持ち主はどんな人なのかとか、なぜ落としてしまった(もしくはここに一つだけあることになったのか)を想像してしまう。
揃っているはずのものが片側だけになると、その片側がある空間だけがちょっと浮いて見える。立ち止まって考えてくれ、と置いてかれた子が言っているようにも聞こえる。
ともかく、色々な理由でそこに置いてかれてしまったのだから、それを見つけた私にはちゃんとその理由を考えてあげる責任があるのだと思う。

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