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あえて言葉を使わず

障害者雇用と発達障害について書いてます。毎週日曜日に書いてます。障害者雇用管理者目線で書いてます。ときおり、障害とか関係ないこと書いてます。

テーマ

これは実現させない実験的な想像ですが、あえて配慮をとっぱらったコミュニケーションというのはどうなのだろうかと思います。

・自分の言いたいことを人に伝えるのが苦手
・相手の言いたいことをくみ取るのが苦手

という人が発達障害では多いのですが、先に苦手意識を優先してしまっている場合もあるのではないかと思います。

背景1

最近、「要請は命令じゃないから出歩いて何が悪い」とか「20:00まで営業しているので、それまでなら外出していいんでしょ」という類の声もあがっています。
結局これらはどういう現象かと言えば、政府・自治体の言葉の一部を切り取って、自分の都合の良いように解釈しているのです。

もし、この自分の都合の良いように解釈するのが、「上司の命令」に対する「部下の行動」だと、めちゃくちゃ怒られます。「おまえ、人の話聞いてんのか?」と。

何が言いたいかというと、世間の人々も、ロクにコミュニケーションとれているわけではありません。私も苦手です。たまたまちょっと過度にコミュニケーションエラーがあったり、業務上不都合なコミュニケーションエラーがあっただけなんだと、緩やかに考えてもいいような気がします。

背景2

コミュニケーションが苦手な方と、長く対話を続けていますと、お互いの慣れから、言葉での伝達が上達するわけではないにしろ、意思の疎通は測りやすくなります。

これは、言葉は手段であるためだと思います。

言葉では伝わってないものの、たぶんこういうことを考えているだろうとか、嫌なんだろうな、とか、理解することができます。

相手の言うことを理解するのが苦手、という人も、殺気には気づくものです。

言葉だけで伝える必要もなく、過ごす時間が多いほど、言葉以外の伝達が図れるようになるもの、だと考えるわけです。

背景3

最近、新しく仕事を共有する人と会話する機会と、久しぶりに仕事を共有する人と会話する機会がありました。

圧倒的に、かつて同じ時間を過ごし、意見を交わし、酒を交わし、トラブルを共にした人とは、ちょっとした一言でも、どういうことを思っているかがわかるなと感じました。(例:言葉は乱暴だけど、怒っているわけではないな、とか。)

実験的な

そこで、最初のテーマに戻って、何を実験してみたら面白いんじゃないかということですが、配慮とかどうのこうのをとっぱらって、イベントやってスポーツやって飲み会やってなんやかんや話したらいいということです。

集団が苦手だとか、今どき会社の飲み会は(もちろんいろいろ落ち着いたらで良いですし、そもそも私はこの実験は実現させない)参加したくないとか、運動が苦手だとか、いろいろありますが、そういうチマチマしたこと考えてるから余計疲れちゃう人もいるんじゃないかと思います。

あと、障害者雇用管理者の人も決して神様ではないので、欠点あるし、癖もあるし、配慮してもらいたいこともあるでしょう。毎日気を張ってくれているわけです。そんな一面を感じ取ってもらいたいものですね。

そんなごちゃごちゃした時間を超えた先には、言葉の数を減らしても通じることができる関係も見いだせるのではないでしょうか。


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