見出し画像

「好きな人と同化したい」という狂気

好きな人とは、「同じ」でありたいと願う。
これは、不思議な感覚だと私は思う。

印象的なのは、お笑い芸人の徳井義実だったりする。
チュートリアルというコンビの徳井だが、
彼は、ミキティ(こと、藤本美貴)が好きすぎて
本人になりきって、なりきり動画を撮ってしまったりする。
そこが彼の面白さであり、センスであり、
感性であり、変態じみたところなのだとも思うのだけれど。

科学的には「ミラーニューロン」というものがある。
私たちは、好意を寄せる相手を真似るのだそうだ。
また、同じような仕草やペースで話す人に
好意を寄せたりもするそうだ。
コーチングやコミュニケーションでは、
「ミラーリング」という技術として活用される。

そういう意味で、チュート徳井の狂気とも思えるこの行動は
実は、ミラーニューロン的には自然なことをやっているともいえる。

同じことが、自分にも言える。
私は、カナダが大好きで、大好き過ぎて
「カナダ人になりたい」と思っている。

私の中で、「カナダ人になる」とは
カナダ人が初対面で私に遭遇したとしても
「カナダ人として同等に扱ってもらえる状態」を意味する。

そこには、カナダ人が私と話していて
違和感なく、現在の社会の不満や
会話の中でにじみ出る感性やユーモアを
カナダ人と同等の感覚で共有できる
言語能力と文化理解が必要となる。

私が、英語をネイティブレベルに
それもカナダ英語のネイティブレベルにこだわったのには
ここにある。

発音も、スペルもカナダ式。
(発音やスペルは、カナダ独自のルールがあります)
使う単語もカナダ式。
移民であることにたとえ変わりはなくとも
幼い頃に移民してきた人か、移民2世だと思ってもらえたら、
私の中で「カナダ人になれた」という目標クリアである。

正直、トロントではこれを成しえることができた。
移民(カナダ国外で生まれた人)が人口の半数を占めるトロントでは、
私は立派に「カナダ人」になれた。

ところが、私はなかなかに欲深い人間である。
英語だけ話せても、本当の「カナダ人」ではないと
心のどこかで思ってしまったのである。
コロナ禍でフレンチカナダの人達の存在を改めて思い出し
自分はカナダ人と同じように
フランス語の教育を受けていないことを思い知った。

「そうだ、フランス語を話せずして
 本当の模範的なカナダ人とは言えない」

そう思い、更にカナダ人になる努力として
フランス語を学び始めた。
が、そのうちに、
カナダで話される「フランス語」の複雑さを思い知ることになる。

一般に市販されている教科書の多くは
「ヨーロッパ(フランス)のフランス語」。
ところが、カナダで話されているのは
「カナダフランス語」。
でも、カナダのフランス語話者(フランコフォン)コミュニティは
複数存在し、各コミュニティによって言葉も異なる。

有名なものは
ケベコワ(ケベックフランス語)
アカディ(アカディアフランス語)
オンタロワ(オンタリオフランス語)
メティス(北米先住民の言葉とフランス語が混ざった言葉)
チアック(アカディのフランス語と英語が混ざった言葉)
・・・など。

その中でも、フランス語話者がマジョリティとなって
州として存在する「ケベック」に異様に惹かれてしまった。

発端は、ケベックフランス語がオンタリオではかなり嫌われていたこと。
私は、そこにシンパシーを感じてしまった。
「なぜ嫌われているのか」、その理由が知りたいと思った。

ケベックは、カナダという国レベルで見ると
マイノリティが織りなす州になる。
公用語とは言え、英語話者(アングロフォン)とフランス語話者では
圧倒的に英語話者の方が多い。

でも、そのマイノリティが州を形成している。
そして、世界で話されるフランス語というレベルで見ると
「ケベコワ」は独自の立ち位置にある。
「ケベコワ」の知名度はフランス語話者の中では名高いものの
ポジティブイメージはあまり伴っていないようだ。

「ケベコワ」と聞くと
「面白い」「田舎くさい」「変」「品に欠ける」「プライドが高い」
といったイメージが付随されている印象を受ける。
私はここにもシンパシーを感じてしまった。
かつての「関西弁(大阪弁)」の立ち位置がそうだったからだ。

同じフランス語とはいえ、他の地域から来たフランス語話者は
こてこてなケベコワは分からないという。
かつての「関西弁」もそうだった。
関東圏の人から「何言ってるかわからない」と揶揄されたもんである。
関西弁が全国区になったのは、
テレビで活躍するお笑い芸人のおかげである。
特に、明石家さんまの功績は大きいと勝手に思っている。

こうした背景から、勝手に「ケベコワ」にシンパシーを馳せてしまった私は
今や「カナダ人になる」からやや脱線して
「ケベコワになりたい」と思っている。

ここは、アイデンティティの問題として非常にややこしいところである。
ケベックの人は「カナダ人」というよりは
「ケベック人」というアイデンティティが強い人も多いという。
そこも関西人(特に大阪)とすごく似ているので
余計に、「ケベック」に強烈に惹かれてしまうのだが。

このアイデンティティの違いが故に
過去、ケベック州は、カナダから独立しようという動きが何度かあり
90年代には、投票の結果、
票数が51% vs 49% でギリ独立しなかったという経緯がある。
子供ながらに票数の結果がドラマチックすぎて
当時日本にいたのに、覚えていたくらいの衝撃。

私のお花畑な脳内では、こういう理屈が通っている。
「ケベックを攻略することができたら
 カナダの最難所をクリアできるということでは??」

きっと「何言ってんだこいつ」と思われる思考回路だろう。笑

でも、それほどまでに
私は大好きな「カナダ」と同化したく、
そのあまり、
「ケベック」と同化したいと
今は思ってしまっているのである。

「好きすぎて同化したい」
この狂気、
あなたは何と同化したいですか?

いいなと思ったら応援しよう!