愛知万博とはなんだったのか? 「モノづくり神話」がとりこぼしてきたもの

ふとYoutubeで見かけて大変感心してしまった田中久重の万年時計。(江戸時代、1000点を超える部品で組み上げられた脅威のからくり時計。参考:東芝未来科学館:田中久重の万年時計に迫る - 万年時計復活プロジェクト
と同時に、この復元プロジェクトが2005年の愛知万博の一環で国家プロジェクトとして行われたことにとても複雑な気分になって考え込んでしまった。

愛知万博とは一体なんだったのだろう。

幸い、愛知万博の公式webサイトが今もしっかり残っていて、当時の日本が国策として一体どういう未来産業を打ち出そうとしていたか(つまり、公費を投入してどういった産業を育てようとしたか)を窺い知ることが出来る。

「伝統文化」「モノづくり」「人と自然」というキーワード。そして、日本の高度成長期を創りあげた大企業の2005年現在の取り組みを紹介するパビリオン。
因に、NHKでプロジェクトXが放送されたのは、2000年〜2005年である。
つまり、愛知万博が計画された2000年代前半というのは、日本政府が「伝統文化」から昭和の高度成長期の大躍進を一片に編んで、「モノづくり神話」を国民に浸透させようとした時期だったと考えられる。


愛知万博は2005年3月開幕。
その一方で、、、
Amazonが日本語サイトをオープンしたのが2000年11月。
AppleがiTunes Storeを開始したのが2003年4月。
Googleが株式公開したのが2004年8月。
Youtubeがサービス開始したのが2005年2月。
Facebookも、やはり2005年ごろのサービス開始。
AlibabaがYahoo!中国を買収したのも2005年。
Twitterは少し遅れて2006年7月開始。
そしてAppleがiPhoneを発売したのが2007年。
現在、プラットフォーマーとして世界経済の覇権を握っているIT企業のサービスは、2000年頃に胎動を始めて、2000年代中頃に一気に成長を始めている。

2005年、愛知万博で日本が国の威信をかけて打ち出した未来の産業像と、"あのころの未来"だった現在(2019年)のコントラスト。


日本の「モノづくり」の発想と、高度成長期を支えたメーカー企業は現代でも日本の産業の要であることは重々承知している。
その一方で、万博において上記の様なIT産業を打ち出す機運はほぼ皆無だったのではないか。
現在の目から見ると、「”モノ”づくり」という神話一本に賭けてしまって、”情報”産業(さらに言えば、情報サービス産業、「"コト"づくり」か?)を軽視してしまった痕跡が愛知万博から浮かび上がってはこないだろうか。
当然あっていいはずのピース、無くてはいけないピースがすっぽりと抜け落ちて見えるのである。


非常に皮肉なのは、"モノ"づくりの神話に使われた田中久重の万年時計は、歯車でかなり複雑な「プログラミング」を行っている、という所なのである。田中久重の凄いところは、プログラミング能力、アルゴリズムを設計する能力だ、と言っても良いかもしれない。
江戸時代に、歯車を使ってプログラミングを既に行っていたのである。


日本政府が、情報産業の人材育成に対して本格的に動き出したのは2018年。
遅っ!!
(参考:第5期科学技術基本計画 「第4次産業革命に向けた人材育成総合イニシアチブ」

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