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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』小ネタ伏線の考察・解説 ~サクラチヨノオー編~


注意

 この記事はゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』のサクラチヨノオーに関するキャラクターストーリーおよび育成シナリオのネタバレが含まれます。
 全編のあらすじを追うのではなく、作中のセリフや演出の元ネタと思しき小話を解説していきます。「本編をもっと楽しみたい!」という方向けに、競馬に関するネタから細かすぎて伝わらないネタ、シナリオ構築上の演出などを綴っていきます。
 ネタバレ絶対許さない派の方は本記事をご覧にならないでください。

キャラクターストーリー

 まずサクラチヨノオーの競走馬データはコチラ(net keiba さんより)です。

 キャラクターストーリーは泥臭いスポ根モノの王道なのでぜひ読んでみてください。

 史実の基本情報として押さえておきたいのは、サクラチヨノオーがマルゼンスキーを父に持つこと。史実の血縁者がウマ娘同士で親しみを感じる、というのは多用される演出です。
 この史実の血縁が物語にけっこう関わってくるので、マルゼンスキーのデータもペタリ。
 マルゼンスキーについて少しばかり解説を添えると、生涯無敗半分以上を大差勝ちのめちゃくちゃ強い馬だったのですが、持込馬(子を宿した状態で輸入した母から生まれた馬)であったため、外国産馬と同じく出走可能なレースが限られ(有馬記念以外の八大競走は出走不可とされ)ていました
 特に日本ダービーでは主戦騎手の中野渡ジョッキーが「枠順は大外でいい。他の馬の邪魔は一切しない。賞金もいらない。この馬の能力を確かめるだけでいい」と主張して出走を希望したとされています。なおダービーの大外枠はこれまで勝っていません(大外枠で初めてダービーを勝つのはトウカイテイオー)。

 キャラクターストーリーからは2話のこちらのシーンを解説。

キャラクターストーリー 2話

 こちらはチヨノオーの同期かつルームメイトであるメジロアルダン関係のセリフ
 アルダンは史上初の三冠牝馬メジロラモーヌの弟(ウマ娘では妹)です。
 このラモーヌを描いたURAの桜花賞CMで印象的な表現「嫉妬すら追いつかない 憧れすら届かない」から引っ張ってきたセリフかと推察されます。
 チヨとアルダンの関係性が示唆されていますね。

 ではこんなところで育成シナリオへ。


育成シナリオ ~ジュニア級~

サクラチヨノオー登場!

 まずは自己紹介イベントから。

覚えるべき転入生

 サクラチヨノオーと同世代の覚えておくべき転入生と言えば、競馬ブームを巻き起こした葦毛の怪物ですね!


ダービーへの思い入れ

 キャラクターストーリーでの解説の通り、マルゼンスキーがダービー出走不可であったため、その想いを託されることとなります。


お水休憩

 この時代はスポーツ練習中に水を飲むのを禁止される風潮が強かったので、そうした過去の悪しき風習への批判が込められているようです。


マルゼンスキーとミスターシービー

 マルゼンスキーとの対戦を希望する、戦闘狂っぽい描かれ方のミスターシービーさん。


ちゃんこ鍋

 唐突に出てきたちゃんこ鍋。これはサクラチヨノオーの名前が、冠名の”サクラ”と当時の大横綱”千代の富士”に由来していることに関係しています。
 ウマ娘のチヨノオーは大相撲の力士を父に持っており、この千代の富士関に関係する設定がモリモリ絡むので、千代の富士関解説を挟みます。


横綱 千代の富士

 大相撲の最高位である横綱に1981~1991年と10年以上在位した伝説的な力士です。エピソードには枚挙に暇がないのですが、象徴的なものを挙げていくと、イケメン鋼の肉体圧倒的な強さ指導者としての評判、といったところでしょうか。
 端正な顔立ちと切れ長の目から、イケメン力士として「ウルフ」のあだ名をつけられました。大活躍で横綱まで上り詰めた1981年から数年は、その実力とマスクの相乗効果で「ウルフフィーバー」と呼ばれるブームが巻き起こりました。取り組みの最高視聴率が36%だったということで、2023年野球WBCの大谷翔平選手のような注目度だった、と表すと伝わりやすいでしょうか。また、娘さんがファッションモデルをしており、顔立ちの端正さも遺伝している様子です。
 生まれつきの骨格により10回以上繰り返すほど左肩の脱臼癖がありましたが、これをウェイトトレーニングを含む筋力トレーニングにより克服し、長い期間にわたって活躍しました。体脂肪は10%ほどだったそうで、仕切り線で構えた際の肩から腕にかけた筋肉のバキバキ具合やうっすら割れて見える腹筋は、力士のイメージを覆すものでした。その肉体美はイギリスで美術品として評価されるほどだったとか。
 そんな鍛え上げた肉体からちょっと意味の分からない膂力を発揮し、千代の富士関は当時群雄割拠の大相撲で最高位の横綱にまで至りました。引退時の記録で横綱在位数が歴代2位(後に白鵬が更新し2024年現在3位)、通算勝利数が1位(後に魁皇と白鵬が更新し2024年現在3位)、優勝回数歴代2位(後に白鵬が更新し2024年現在3位)などの記録を残しています。
 現役引退後は師匠の運営していた九重部屋の名を引き継ぎ、弟子の育成に当たしました。部屋の施設や指導体制は弟弟子の開いた八角部屋へ譲ることとなりましたが、大関の千代大海を筆頭に関取力士を多数輩出し人気な部屋となりました。また自身の記録を更新した力士には、直接祝辞を述べたり贈り物をしたりしました。

デビュー戦にむけて

 デビュー戦直前のイベント。

ウマ娘の多くは本格化を迎えてデビューする

 ウマ娘作品の中でたびたび出てくる「本格化」という用語。詳しくはゲーム内や公式HPの用語集を読んでほしいところですが、ザックリ言うと「肉体の全盛期」です。
 アスリートは(技術職は皆そうですが)「肉体の全盛期」と「技術の全盛期」を有します。現代人の肉体の全盛期については、MLBで活躍する大谷翔平選手が2021年に「肉体のピークは長くない」と言及して話題になりました。中にはNPBソフトバンクホークスの和田毅投手のように、42歳で自己最高球速を叩き出した人もいますが、逆に極端に全盛期の短い人もいます。現代の人間では25~32歳の8年ほどがそう表されることが多く、平均寿命で比してサラブレットを考えると2年ほどになるでしょうか。
 逆に、自身の体の状態を把握していれば、技術力には限界が無いとされています。サッカー元日本代表の長谷部誠選手、「マルゼンスキーのおかげで選手寿命が延びた」と語る元NPB中日ドラゴンズ山本昌投手、そして永く横綱に君臨した千代の富士関など……晩年でも「今が1番上手い」と自信満々に語りました。

 この「本格化」「ピーク」「全盛期」といったものが、サクラチヨノオーのシナリオの根幹となっていきます。

チヨノオーの瞳に戦慄するヤエノ

 競技の前、その瞳に冷や汗が出るのは、千代の富士関が取り組みへ向かう際の鋭い眼光に対戦相手が冷や汗をかいたという逸話と、そうした逸話から千代の富士関が引退後に東京新聞で持った「ウルフの目」という相撲解説コラムの存在が元ネタに含まれていそうです。

パドック

 サクラチヨノオーの好調時のパドックは、力士が土俵へ上がる際の気合入れを模したモーションを行います。
 ゲーム『ウマ娘』リリース時の大相撲における気合入れは、土俵へ塩を撒いた後に手のひらでお腹を叩き、太鼓のように音を鳴らすことが流行しています。チヨノオーのモーションに見られる、自分の頬を叩いてからこぶしを握って肩を上げ下げする動きは、2000年代大相撲の人気力士である高見盛関のものをやや簡略化したもの。

パドックの様子

高見盛

 1999年に初土俵、2000年に十両へ昇進したがその後ケガで休場・降格。
 2002年に再入幕を果たしてから、土俵へ上がる際に大量の塩を撒く両の頬に加えて胸など体の各部を自分で平手打ちする肩をすくめては下ろす、などの気合入れを行うようになり、このパフォーマンスとギリギリの戦い(大相撲の1場所15日の最終日を7勝7敗で迎えることが多い)を繰り広げることから人気力士になっていきました。
 当時の横綱の曙の露払いを務めた他、大相撲の大きなスポンサーであった永谷園のお茶漬けのCMに抜擢されるなど、一般への露出の多い力士であった。なお力士としては小食で、体重の維持や食品CMの撮影では苦労したというエピソードを持つ。


朝日杯FSにむけて

 チヨノオーのG1挑戦を観戦するヤエノムテキ。だがメジロアルダンは体調が優れず来れなかった。
 これはアルダンのデビューがクラシック級3月と遅かったこと、競走馬生活の半分以上が故障での休養であったことが元ネタになっている。

体の弱いメジロアルダン

 サクラチヨノオーとメジロアルダンは、個人(個馬?)として同期のライバルであるだけでなく、「スピードのサクラ、スタミナのメジロ」と対比された冠名を背負った関係でもありました。

サクラとメジロ家

 アルダンと自分を比べて「公式レースを走ること」に焦点を当てたチヨノオー。その違いと、違いに対する想いはまだ口にできない様子です。

レースを走れるウマ娘と走れないウマ娘

 これからレースに出てくるだろうアルダンを含め、自分たちジュニア級のウマ娘は伸び盛りなんだ!と自分ごと友人を励ましています。

ジュニア級は伸び盛り!

 かつてトレーナーにかけられた言葉を借りて自分を励ますチヨノオー。
 『夢』とは何を指すのか、今の彼女はまだ漠然とその言葉を使っている様子です。

絶対に夢を譲らないウマ娘

 ちなみに。ウマ娘のチヨノオーは特徴的な耳カバーをつけていますが、史実ではこの朝日杯から耳カバーを付け始めました。


朝日杯FSの後に・燃ゆる炎

 チヨノオーを見守るマルゼンスキーに「我慢する必要はない」「大人になる必要はない」と語るミスターシービー。自分勝手ともとれる言葉でかつての伝説的選手を焚きつけようとしています。
 この愚か者の考え方とも言える方針は、優等生的な性格のチヨノオーと真っ向からぶつかりそうな気がします。

マルゼンを焚きつけるシービー


育成シナリオ ~クラシック級~

新年の抱負

 この年(1987年)の最優秀2歳牡馬に選出されたのはサッカーボーイでした。全143票中127票でトップ。2位のサクラチヨノオーは15票でした。
 サッカーボーイは後に函館記念でシリウスシンボリに勝利(芝2000mのレコード勝ち)したり、有馬記念でオグリキャップタマモクロスと競ったりしました。代表産駒にナリタトップロードヒシミラクルがいます。競走馬生産で言われる「マイル(1600m)を走る馬は良い仔を生む」の好例かもしれませんね。
 チヨノオーが期待に胸を高鳴らせていたマルゼンスキーへの台頭は、この10年後にグラスワンダーが果たすこととなります。

表彰

 ちなみにこの後の選択肢の「レース展開を読む力かな」にてタマモクロスが勝っているのは京都金杯です。
 「まずは休養」を選んだ際のくつろぐ様子と、「むしろ新たな一面を開拓しよう」を選んでシリウスシンボリに師事しようとする=パピー(仔犬)になろうとするのは、どちらもワンコっぽさを演出しています。
 このワンコっぽさは、千代の富士関のあだ名『ウルフ』に関わってくるのですが……


カレーにチョコを入れても隠し味

 新年でのチヨノオーに触発されて自分の足の脆さという運命と真っ向から闘う覚悟を決めたメジロアルダン。
 「トロフィーを1つも得られなかったとしても」とのセリフには、競走馬メジロアルダンの戦績が反映されています。
 また「妹ではなく私でありたい」は、姉のメジロラモーヌを強く意識したセリフとなっています。

メジロアルダンの覚悟


我が脚歩むは、真新しい畳

 クラシック競走への出走を表明しているウマ娘たち。しかしそれを見る記者の評価は……
 史実では、メジロアルダンは本イベントの3月時点でデビュー戦を迎えたため賞金が足りず、皐月賞には間に合いません。なのでNHKマイルからダービーを目指す方針を取りました。画像で言及されている連勝娘は前述のサッカーボーイで、こちらもNHKマイルからダービーへ向かいます。

クラシック組の寸評

 言及されている眼光は、ワンコっぽさからウルフっぽさへ移り変わっています。

鋭い眼光

 このイベントではサクラチヨノオーのケガについて扱っています。
 史実ではここまで、共同通信杯、弥生賞と走り、弥生賞ではサッカーボーイを下し勝利し、ケガの記録はありません。
 ここでケガについて持ち出したのは、史実でダービー後に右前脚の浅屈腱炎を発症し長期離脱したことを盛り込もうとしたと考えられます。実際に他のウマ娘の育成シナリオではダービー後からレースを離れる描写がされています。

チヨノオーのケガ

 ちなみにここでチヨノオーのケガとして描かれているシンスプリント炎症は、脛部の筋肉を痛めて発症するもので、作中で描かれているように成長期に練習量を急増させた選手に現れやすい症状です。患部がストレッチなどケアしにくい部分であることから、治すには自身の治癒力に任せて休むしかありません。

 さてそんなこんなで、チヨの実家へやって来てリハビリ&患部以外のトレーニングをするわけですが、すり足で畳がボロボロになるエピソードが差し込まれます。
 これは昭和のスポーツ選手の逸話で頻出の描写で、低負荷の自重脚部トレーニングを畳で行うことにより、その努力量が畳の傷み具合で測れる、というもの。力士のすり足の逸話でもよく出てきますが、最も有名なのはプロ野球の王貞治選手が一本足打法を習得する際の素振りでしょうか。

実家の和室でトレーニング

 詳細な描写はされていませんが、トレーニングに使える和室があり、かつ空きを作れることから、普通の一軒家ではないことがうかがえます。
 父親が長く現役でいた力士であることが示唆されていることも相まって、相撲部屋の親方をやっているのではないか、と予想が立ちます。


皐月賞にむけて

 中山レース場の改修に伴う皐月賞の東京開催は史実通りです。

中山レース場の改修

皐月賞の後に

 レース後の父親との通話で、父もまた和室でトレーニングをしたことが触れられています。
 これはケガにより土俵で稽古をつけられない(他の力士とコンタクトする練習ができない)ための措置であり、ここからも父が故障と闘いながら長く活躍したことが示唆されています。

父と同じリハビリ

 余談ですが、相撲部屋の稽古の様子は、元NPB選手で横浜DeNAベイスターズ元監督のA・ラミレス氏が宮城野部屋(千代の富士関、魁皇関を抜いて勝利数1位を記録した元白鵬関が運営)を見学する動画が見やすく面白いです。一般見学霊長類最強の女の人もいます。

 なお、史実のレースではチヨノオーは2番人気の3着。
 1着は9番人気のヤエノムテキでした。
 これを受けて当時の有名な競馬評論家である大川慶次郎は「チヨノオー自身が、優等生的なものを打ち破るだけの力がついていなかったことが結果3着となった」と評している。


日本ダービーにむけて

 マルゼンスキーの日本ダービーへ向けた思い入れが重ねて描写されています。「手に入らなかった夢」と「夢を継ぐ者」との運命の出会いが回顧されています。
 そうして「あたしの分まで」とチヨノオーを応援するマルゼンスキーに、「本当に託してしまうつもりなの?」と不満げなシービー。思いが交錯する日本一の舞台となります。

マルゼンスキーと日本ダービー

 そうして、サクラチヨノオー、ヤエノムテキ、メジロアルダンが揃って、ダービーのゲートが開きます。


日本ダービーの後に

 サクラチヨノオー、ヤエノムテキ、メジロアルダンの3人は激闘を繰り広げます。
 史実では、3番人気のサクラチヨノオーが1着、6番人気のメジロアルダンが2着、2番人気のヤエノムテキが4着でした。ちなみに1番人気のサッカーボーイは15着。
 最終直線ではチヨノオーとアルダンで差して差し返してのデッドヒートを繰り広げ、レースレコードでの決着となった。

 そうして日本ダービーの激走を経て、マルゼンスキーが「あなたと走りたい」と告げたチヨノオーのために動き出すのであった。

レース復帰を決めるマルゼンスキー

 レース後のチヨノオーの言葉「この時間が終わってほしくない」「いつまでも競い続けていたい」の純粋な響き。良いですよね……

ライバルの良さを噛みしめるチヨノオー

 しかし史実の通り、そんなライバルの1人であるメジロアルダンが故障でレースから離れてしまいます。
 それを寂しく無念に見ているチヨノオーですが、アルダンは「あなたのおかげで私は限界の先に触れられた」「だから悔いはなにもない」と告げるのです。
 そんなアルダンにチヨノオーは「再び勝負したくなるライバルとして走り続ける」「あなたの後悔となってみせる」と、自らへの誓いを込めたエールを送るのでした。

チヨノオーとの出逢いを奇跡と呼ぶアルダン

 ちなみに。
 日本ダービーへ勝利した場合にチヨノオーが勝利者インタビューで答える「ダービーウマ娘の名を汚さないよう、一生懸命頑張ります!!」は千代の富士関の横綱昇進伝達式における口上「横綱の名を汚さぬよう、一生懸命頑張ります」が元ネタです。


ウグイス、ホトトギスにならず

 ダービーを経て憧れへの挑戦権を得たチヨノオーに、ミスターシービーが「あなたの夢ってなぁに?」と問います。同時に、頭の抜けた強者が持つ、強いがゆえの寂しさも。
 うまく言葉にして答えられないチヨノオーは、そのままマルゼンスキーとの模擬レースを走ります。

あなたの夢

 走っている間に気付きます。自分の夢は何なのか。自分が何になりたいのか。

あなたのライバル

 そうしてサクラチヨノオーは、マルゼンスキーのライバルになるべく次の道を選ぶのでした。
 そんなこんなで目標となる天皇賞(秋)。この時点では、クラシック級の馬は出走こそすれど勝利に至っていないレースです。

 ちなみに史実では、サクラチヨノオーはこのタイミングで右脚の浅屈腱炎を発症して350日の休養を取ることになります。
 育成シナリオ中では、皐月賞前にこの予兆に気付いたトレーナーがトレーニングを調整したことで故障を回避しています。


夏合宿

 諦めないことを改めて宣言するチヨノオー。

夏合宿(2年目)スタート!

 注目ウマ娘の紹介コーナー。
 菊花賞の本命とされるヤエノムテキと注目株のスーパークリーク。そして1つ上のタマモクロスと葦毛の怪物オグリキャップ。
 史実ではこの後ヤエノが菊花賞前哨戦の京都新聞杯を勝ち、菊花賞では1番人気を得ます。スーパークリークは早春の骨折から復帰してくるタイミングですが、前年に新人最多勝記録を更新した武豊ジョッキーが主戦とあり、3番人気を得ます。

夏合宿(2年目)にて

 ゲームのサクラチヨノオーが目標レースとしたこの年の天皇賞(秋)は、時代を変えるレースとなりました。
 それまで「葦毛の馬は走らない」と言われてきた競馬界の常識を覆す2頭がついにぶつかるのです。

 そして割と謎の存在である「ドリームトロフィー」シリーズ。ゲーム内のいくらかのシナリオと、アニメ3期で描かれた内容から、2024年現在では「フィギュアスケートの競技選手を引退してプロのショースケーターになるようなもの」という解釈がされています。
 つまり、チヨノオーの努力を見たマルゼンスキーがアスリートとしてのガチンコ勝負から身を引くか迷っているということが描かれています。

ドリームトロフィーへの移籍

 「チヨノオーをそそのかしたのはあなた?」とマルゼンスキーに聞かれてごまかすシービー。この裏側に「君と走りたいから」が隠されている感じですね。

夏合宿(2年目)終了

 「世界が変わる」とはどんなことなのかを語るシービー。穴馬に賭けるような見方で、この例え話が何かを描くための伏線を含んでいると仮定すると、モチーフのチョイス、逆行、世界という言い方から、タロットカードのネタを仕込んでいるんじゃないかと匂います。
 すると、ワガママで子どもなシービーは、さしずめ愚者のカードでしょうか。

夏合宿(2年目)終了


天皇賞(秋)

 史実ではサクラチヨノオーは出走せず、最終直線でオグリキャップとタマモクロスの一騎打ちとなります。
 2012年のJRAが作ったCM『The Winner』シリーズの天皇賞(秋)がこのレースをピックアップしており、格好良く仕上げられています。
 オグリキャップは漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』で熱く描かれています。
 タマモクロスは、同馬をモデルとした往年の漫画『みどりのマキバオー』がおススメです。こちらはアニメも良いです。

 さてシナリオに戻りましょう。

 レース後のチヨノオーの目を表するマルゼンスキーの言葉は、千代の富士関の勝負前の目を他の力士が表した言葉が元ネタです。マジウルフ。

狼の目

 その走りは療養中のメジロアルダンに届き、マルゼンスキーにも迫るのでした。

 そうしてチヨノオーはマルゼンスキーへ挑戦状を叩きつけます。
 翌年のジャパンカップで対決をしよう、と。

チヨノオーの挑戦状

 その宣誓を受けたマルゼンスキーは、アスリートとしての晩節を顧みず、再度限界へ挑戦することを決めるのでした。
 この、ピークを過ぎた肉体との対決、選手としてのシフトチェンジ、老いへの挑戦が、チヨノオーのシナリオの大きな部分を占めていきます。

アスリートとしての晩節

 そうして新たな大目標を掲げたチヨノオー陣営は、次なるG1へ狙いを定めます。
 ここで選択肢となる安田記念宝塚記念は、どちらも史実でチヨノオーが走ったレースです。ダービー後に浅屈腱炎で休養し、350日空けのレースが安田記念であり、その直後の宝塚記念が競走中の故障により引退レースとなりました。

次のG1

ジャパンカップとは

 ジャパンカップは1981年に創設された日本初の国際G1競走で、八大競走(いずれかの1着を獲らないとJRA表彰の騎手・調教師賞に選ばれない競走。桜花賞、皐月賞、オークス、ダービー、菊花賞、天皇賞(春・秋)、有馬記念の総称。めっちゃ歴史のあるレース)と同格とされました。世界最高峰のレースの1つである凱旋門賞と同様、ダービー条件の国際競争として設定されています。
 そうしたコンセプトであるため、ダービーの再戦を期するにはベストなレースでしょう。


育成シナリオ ~シニア級~

初詣

 史実で1988年有馬記念(オグリキャップの2着)にて引退したタマモクロスですが、シナリオ中では同じタイミングでレースから離れる休養宣言をしています。
 この宣言で触れられている食事量ですが、ウマ娘の本格化の兆候として「身体能力の向上」とともに「食事量の増加」が上げられており、それが逆に減少したということは肉体がピークを過ぎてしまったことの示唆となっています。
 ここでもアスリートとしての肉体の衰えが描かれていますね。

タマモクロスの休養宣言

 チヨノオーに触発されてつい力の入るアルダン。
 アニメ2期のラストからメジロの主治医がめっちゃ好きです。

「あなたの脚になる」メジロの主治医

 初詣の屋台のたこ焼きの匂いに「おいしそう」と言いつつ、お腹は空いていないとして食べないチヨノオー。
 ソースの焼ける匂いって、それだけでお腹が空きがちな気もしますが。

初詣の屋台で


福引チャンス!

 福引で2等のにんじん山盛りを当てたときのセリフ。
 ちゃんこ鍋がお母さん直伝であることと、食事が昼・晩・夜であることから、チヨノオーの実家が相撲部屋であることが示唆されています。

ちゃんこ鍋を作るチヨノオー

 大相撲は番付による実力主義の縦社会です。風呂や食事は親方や番付の高い者から始まり、番付が低い力士は所属する相撲部屋の調理番や掃除番も務めます。
 料理番では、食材を切ったり運んだりは若い衆でもすぐにできますが、栄養を考えたり味を調えたりは女将さん(親方の妻)が手を貸すことも多いのです。食事のタイミングなんかはそのまま相撲部屋の習わしですね。
 つまりチヨノオーの父親は部屋を持つ大相撲の親方である可能性が濃厚なのです。

 親方になるには幕内で20場所以上、十両と幕内で合わせて30場所以上、もしくは三役以上で1場所以上に在籍して活躍した力士で、かつ日本国籍を有する必要があります。つまり強い力士でないと親方にはなれません。
 また、チヨノオーの母が部屋の女将をやっていることから、父はどこかの部屋に所属してコーチする部屋付き親方ではなく、自分で部屋を持つ、他のプロスポーツで言うチームのオーナー兼監督である部屋持ち親方である可能性が高いです。
 となると、チヨノオーの父は元横綱・大関・関脇あたりであるでしょう。本当に千代の富士関モデルのお父さんが出てくるかもしれません。

 さて。そうしてちゃんこ鍋を作るチヨノオーですが、これをトレーナーと食べようとする際にこんな発言が出ます。

トレーナー寮の規則

 チヨノオーが模範的な生徒であるこれまでの描写から考えると、どうやらウマ娘がトレーナーの自室に入り込むのは失礼かどうかの問題であり、ルール上は入り浸っても問題無いようです……


バレンタイン

 誰かの期待に応えようとして強くなるマルゼンスキー。それはこれまでの彼女には無い力でした。

向けられる憧れを力に

 チヨノオーの描写で犬に例えられるのは、何度も出ていますが千代の富士関由来のネタです。

子犬

 そして日常のワンシーンが描かれていますが……
 お分かりになりますでしょうか。

肉まんを食べるチヨノオー
転ぶチヨノオー

 食事のペースが人間と同じ。量も控えめ。そしてこれまで無かった脚が絡んでの転倒(トレーナーのおかげで未遂でしたが)。
 彼女の体の変化が、小さく、けれども象徴的に描かれ始めました。


ファン感謝祭

 人気を博す三強。この3人は史実でも平成三強として騒がれていました。

人気の三強

 ホットドッグのフードファイトというと、1916年から(戦争による中断期間はあるものの)毎年開催されている、アメリカのネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権が有名です。
 2001年に日本人の小林尊選手が、当時の世界記録の2倍の記録を叩き出して優勝したことから、日本でも一気に名前が広がりました。
 商品のミニカーは2000年代後半の選手権タイプのバラエティ番組で、優勝者へ送られる商品として自動車がよくチョイスされていたことのパロディと考えられます。

ホットドッグ大食い大会

 唐突に出てきた具体的な160個という数字は、前述の小林尊選手がグリンゴ・バンディト・タコス・チャレンジというタコスの大食い大会で少なくとも8回優勝しており、その最高記録が159個であることから選出された値だと予想できる。

大食い・早食いの160個

 いよいよ明確に食べきれない描写がされています。
 食事量の減少は、初詣イベントのタマモクロスが「食べれなくなってきた」ことを理由に挙げ、レースから離れる宣言をしたシーンと繋がってしまいます。

食べきれないチヨノオー


今宵の月は満月か、三日月か

 一部トレーナーたちの「あげません!」ネタを逆輸入したシーン。

全身全霊

 それはそれとして、このイベントはこのシナリオの核を露わにする転換点です。
 己の限界を実感し、それでも追いかけたい夢があるとき、どうするか。何ができるのか。

肉体の限界を感じてしまったチヨノオー

 また、このタイミングでこのイベントを挿し込んだのは、史実でこの直後に来る安田記念と宝塚記念を経て引退してしまうことが関係していると考えられます。


安田記念・宝塚記念

 どちらもゲームシナリオとしては大きく違いがありません。

 史実では、安田記念は10番人気のバンブーメモリーが勝利。3番人気のサクラチヨノオーは16着でした。
 宝塚記念では、2番人気のイナリワンが勝利。ウマ娘になっている他の競走馬では、8番人気のバンブーメモリーが5着、1番人気のヤエノムテキが7着、11番人気のゴールドシチーが10着。
 サクラチヨノオーは4番人気で出走しましたが、競走中に故障を発生し大差の16着。その後6月25日に引退しました。

 友人にピークアウトを隠し、1人なにかが欠けていく感覚を抱えるチヨノオー。この「なにかが欠けていく感覚」は、他のウマ娘の育成ストーリーでも触れられています

なにかが欠けていく感覚


夏合宿(3年目)スタート!

 晩年のアスリートが語る、自分の体の操作性が変わってくるというお話。

自分の体が自分のものじゃないみたい

 特にここで記す理由はありませんが、なんとなく書いておきたくなりました。トキノミノルとマルゼンスキーより、マルゼンスキーとカレンチャンの方が歳の差が開いているようですよ。

記者をまくマルゼンスキー

1度殻をむいた卵は食すのみ

 夏合宿中、これまでチヨノオーの走りに励まし続けられたメジロアルダンが復帰。そしてバンブーメモリーとのレースで勝利します。
 これは1989年高松宮杯がモデルです。メジロアルダンが勝った重賞はこの高松宮杯のみとなっています。

ライバルの帰還

 このシナリオきっての名シーンです。
 これまでチヨノオーがライバルへ与えてきたものが、また自分に還ってくる。それももっと大きくなって。

ライバル

 ぜひゲームで本編をお楽しみください。


天皇賞(秋)

 史実でもとても豪華なメンバーで行われました。
 1番人気オグリキャップ、2番人気スーパークリーク、3番人気メジロアルダン、4番人気イナリワン。ヤエノムテキは6番人気でしたが、東京芝2000mの鬼と化していきます。

 本編の素晴らしい描写はゲームをプレイして楽しんでいただくとして、紹介するのはコチラ。
 振り返ると、チヨノオーのことを表すとき、トレーナーがしばしばワンコ扱いするのに対し、マルゼンスキーは常に『』と表現していますね。
 初めから彼女はチヨノオーをライバルたり得ると感じて(実感を得たのはライバル宣言ですが)いたのでしょう。

対決を宣言


ジャパンカップ

 史実ではオグリキャップとホーリックスの叩き合いになる1989年ジャパンカップ。スーパークリークやイナリワン、バンブーメモリーも出走しています。

 シナリオ中では2着が目標ということで、ライバルキャラクターの能力が特段に高く設定されています。
 また、ダービーの再戦ということで、マルゼンスキー主戦の中野渡ジョッキーが語った「枠順は大外でいい。他の馬の邪魔は一切しない。賞金もいらない。この馬の能力を確かめるだけでいい」との言葉が汲まれています。

マルゼンスキーは大外18番

 世界を自分たちだけのものにした2人のレースを見て、自分のことのように楽しそうな娘も。そして「走りたい相手」としてマルゼンスキーだけでなくサクラチヨノオーも認められるのでした。

レースを見て燃えるシービー


クリスマス

 トレーナーにちょっと大人なクリスマスをねだって、ダービーの最終直線と同じ感想に行き着くチヨノオー。

この時間がずっと続けばいいのに

 時が流れることの喜びを知ったことが、彼女の大人への1歩なのかもしれませんね。


有馬記念

 サクラチヨノオー育成シナリオのラスボスはマルゼンスキーですが、裏ボスがこの有馬記念に出てきます。チヨノオーの長距離適性が低いので、勝てるよう育てるのは難しいのですが……


育成シナリオ ~汎用イベント~

ダンスレッスン

 ウマ娘育成でたびたび登場する幼少ウマ娘の養成クラブ『ヴィクトリー倶楽部』ですが、こちらは株式会社さくらコマースが所有している競走馬をまとめて呼んだ「サクラ軍団」が元ネタ。
 このサクラ軍団は、2000年辺りまで美浦の境勝太郎厩舎で調教され小島太ジョッキーが騎乗することが大変多かった。距離ごとのレコードホルダーも輩出し、伝統的にステイヤー育成に力を入れていたメジロ牧場との対比で「スピードのサクラ、スタミナのメジロ」と言われていたこともある。
 OGのチヨノオーがヴィクトリー倶楽部へ教えに来ている本イベントは、騎手を引退して調教師になった小島太氏がサクラプレジデント等を担当した逸話が元ネタに含まれているでしょうか。

ヴィクトリー倶楽部


新たなトレーニング!

 父親が力士であることの言及がされています。「小さい頃に教えてもらった」というエピソードと、武術を修めているヤエノが「正しい型を見ているはず」と言っていることから、長く現役で活躍しているだろうことが示唆されています。

チヨノオーの父親は力士


どすこい!決まり手指導!?

 チヨノオーが千代の富士関に由来した名前なら、ヒシアケボノもまた横綱の曙関に由来した名前です。
 曙関はハワイ出身の204cm、233kgという巨漢力士で、外国出身者として初の横綱へ上り詰めている。なお横綱昇進の際に行う「横綱土俵入り」という儀式では、当時の九重親方(元横綱の千代の富士)が指導に当たっている。

サクラチヨノオーとヒシアケボノ


想いはバブリーに包め

 マルゼンスキーからトークイベントへ招待されたお礼にプレゼントを選ぶサクラチヨノオーとカレンチャン。
 チヨノオーの懐き具合は何度も触れていますが、カレンチャンは母の母の父が、ウイニングチケットとスペシャルウィークは母の父が、皆マルゼンスキーです。見てわかる通りの大種牡馬ですね。

 また大変に薄い線ですが、マルゼンスキーに関りがあってトークイベントを単独で行う人というと、ゲーム『ダービースタリオン』でマルゼンスキー産駒個体値マラソンをしたために健康寿命が延び世界一長く活躍したプロ野球選手となった山本昌さんがいます。
 関係性が競走馬マルゼンスキーと直接のものでないため、このイベントの元ネタとするには不十分な気がしますが……どうなんでしょうね?

 ちなみにバブル景気の時期はサクラチヨノオーの競走現役時期に重なっていて、マルゼンスキーの頃はまだありません。

マルゼンスキーへプレゼントを選ぶ
ウイニングチケットとスペシャルウィークも


そこにあるのが、日常である

 家族、特に妹にねだられて写真を撮って送ろうとするチヨノオー。そのポージングにゴールドシチーをチョイス。
 ゴールドシチーになった理由はおそらく2つあります。
 1つは史実で1歳上(ウマ娘ではデビュー年が1つ先輩)であること。同じレースを走ったことは1度のみ(89年宝塚記念で双方ともこれが引退レースとなった)なので、因縁などはほとんど無い様子。
 もう1つはチヨノオーの名前の元ネタ(ゲーム内では父親に投影されがち)の元横綱千代の富士関の関係。千代の富士関の次女である秋元梢さんがプロのモデルをやっていることから。……これ妹ちゃんがモデル業を始める流れか?

妹にねだられて写真を撮るチヨ


花は桜木、ウマ娘は……

 「花は桜木 人は武士 柱は桧 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの」という、一休宗純(とんちの一休さん)が残した「このジャンルの1番はコレ!」という言葉が元ネタ。これのパロディで有名なのは『ドカベン』や『スラムダンク』でしょうか。

花は桜木

 ちなみにここで出てくるグラスワンダーは、チヨノオーと血のつながりは無いものの、1998年の年度表彰で最優秀3歳牡馬(現2歳)に選出され、それまで史上最高の2歳馬として評価されていたマルゼンスキーと比較され最高評価を更新した。またこの1998年がマルゼンスキーの没年であることから、怪物2世として見られました。

花は桜木


育成シナリオ ~エンディング~

 いつの間にか最初の夢をかなえたサクラチヨノオー。

実はすごいウマ娘

 グッドエンドへ行き着くと、チヨノオーの父親がファンへ手形を送っている描写がありますが、この時点で大関以上の強豪だったことが分かります。

 また春一番の進化スキルに入っている「九重」は、これまで述べてきた通り千代の富士関が所属し運営した相撲部屋「九重部屋」と一致します。

進化スキル

 といった所で、サクラチヨノオーに関わるシナリオの小ネタ解説を終了いたします。

 全体を通して、トレーナーはチヨノオーの隣か少しだけ前にいて、一緒に進んでいくテイストでした。マルゼンスキーの横に並びたいという最初の夢も含め、ライバルたちとトレーナーを合わせた大切な人たちへのスタンスが、日本ダービーの最終直線と同じ形に仕上げられているのが大変印象的です。

 大変丁寧に織りなされたビター寄りの王道スポ根シナリオの中、随所に大相撲ネタがみられました。ウマ娘から入った人は世代的に知らないだろうネタが多かったのではないでしょうか?

 これを読んで、より楽しく本編をプレイできる方が増えたのなら幸いです。

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