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ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』小ネタ伏線の考察・解説 ~ダイワスカーレット編~

注意

 この記事はゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』のダイワスカーレットに関するキャラクターストーリーおよび育成シナリオのネタバレが含まれます。
 「本編をもっと楽しみたい!」という方向けに、作中のセリフや演出の元ネタと思しき小話を、競馬に関するネタから細かすぎて伝わらないネタ、シナリオ構築上の演出まで渡って解説していきます。
 ネタバレ絶対許さない派の方は本記事をご覧にならないでください。



キャラクターストーリー

 まずダイワスカーレットの競走馬データはコチラ(netkeiba さんより)です。

 ダイワスカーレットはアニメ1期から主人公のチームメイトとして登場しており、ゲームにも最初から配布キャラクターとして実装されています。またゲームアプリをインストールしてすぐのチュートリアルで育成体験をするキャラクターでもあるので、ゲームに触れたトレーナーさんなら1度は見ているキャラクターです。
 初期キャラクターなだけあってウマ娘のコンセプトをハッキリ伝えるためのシナリオとなっています。キャラクターの造形や内面の描き方が凝っているのです。

 史実の基本情報として押さえておきたいのは、生涯成績が12戦8勝で2着4回の、12戦12連対という記録を残しており、シンザンの19戦19連対に次ぐ2位の記録を達成していること。また牝馬として4例めの有馬記念制覇を果たしていることが挙げられます。めちゃ強。
 ちなみに鞍上は生涯にわたり安藤勝己ジョッキーでした。地方競馬の笠松競馬場で騎手となり、後に中央競馬へ移籍し、ジョッキーの中央移籍の先駆者とされています。笠松時代にはオグリキャップへ騎乗し、中央移籍後は本記事のダイワスカーレットの他、ビリーヴブエナビスタなどに騎乗しています。
 ちなみに生涯同一ジョッキーで古馬戦線まで走った競走馬は、他に吉永正人ジョッキーのミスターシービー、岡部幸雄ジョッキーのシンボリルドルフ、小島太ジョッキーのサクラチヨノオーサクラバクシンオー、吉田豊ジョッキーのメジロドーベル、武豊ジョッキーのマーベラスサンデーなど。
 ウマ娘に関わりそうな血縁では、父がアグネスタキオン、母の父がノーザンテースト。母スカーレットブーケの交配相手には、大種牡馬トニービンやサンデーサイレンス、ディープインパクトの他、ナリタブライアンスペシャルウィークネオユニヴァースがいます。母系は母の母であるスカーレットインクから始まる「スカーレット一族」と呼ばれる流れにあり、良いトコのお嬢さんです。


時代背景

 ダイワスカーレットの生まれた2004年当時、競走馬としての牝馬の評価は牡馬より低く扱われていました。それまで牡馬混合G1レースで活躍した牝馬と言うと、ダイイチルビー、ノースフライト、エアグルーヴ、シーキングザパール、ファインモーションなど。短距離競走ではさらに評価がされにくかったため、牡馬・牝馬の扱いを論じるならばエアグルーヴとファインモーションに着目するのがよいでしょう。
 いずれも牝馬限定レースで圧倒的な勝ち方をし、混合レースで良い勝負をする、という形。牝馬・牡馬の差という意味では大きな開きがありました。
 それが2005年の宝塚記念でスイープトウショウハーツクライ(2005年有馬記念にて国内で唯一ディープインパクトに勝利した馬)を下して優勝した辺りから、少しずつ変わってきました。ダイワスカーレットとそのライバルであるウオッカは、そうした牝馬の評価向上に拍車をかけた存在と言えるでしょう。

 ウマ娘のゲームにおけるメインシナリオ第2部では、そうした牝馬の時代に焦点を当てています。日本競馬の2000年古馬と2005~2006年は特異点なので、この期間をどう扱うのか難しいだろうと思いつつ楽しみなのですが……

 といった所で、ダイワスカーレットのキャラクターストーリーへ入ってまいりましょう!


キャラクターストーリー

 デビュー前から注目を浴びるダイワスカーレット。実馬は社台ファーム期待のアグネスタキオン×スカーレットブーケの仔であり、彼女が生まれた年に兄ダイワメジャーが皐月賞をはじめG1競走に勝利したこと、生まれつきの馬体がそのダイワメジャーよりも雄大であったことから、大きな期待を寄せられていました。
 ストーリー中のこのシーンはそうした実馬の期待を表したものでしょう。

デビュー前から注目を浴びるダイワスカーレット

 ウオッカとのライバル関係はストーリーを通して描かれることになる、ダイワスカーレットの物語と切っても切れないテーマです。またその中で、キャラクターストーリーの選抜レースで描かれた叩き合いのシーンは、育成シナリオで描かれるチューリップ賞をモデルにしたものでしょう。両馬の叩き合いではより有名なレースもあるのですが、その伏線にもなっている様子です。

選抜レースでの叩き合い

 作中でダイワスカーレットが”1番”にこだわるのは、実馬が勝ち気でレースの勝利にこだわっていた(と鞍上の安藤ジョッキーをはじめ関係者が語っている)ことと、前へ行きたがる性格で先行逃げ切り型のレースをする性格であったことを理由にしていると思われます。
 こうした性格により、マイル戦など短いレースでは先行、2000m以上になると押さえられず逃げる形のレース運びをしています。またこの性格ゆえに脚を溜めきれず、末脚に切れ味が出ないことから「中団に位置取るとメリットが少ない」と陣営がコメントしています。

”1番”を譲らない性格

 スカーレットの頼れる先輩として登場するエアグルーヴ。初期実装の名牝で先輩に当たるキャラクターが少ないことからのチョイスと思われます。実馬の2頭に共通するのは、社台ファームの生産であることと、当時G2の大阪杯を勝利したことくらいでしょうか。

エアグルーヴ

 言及されているエアグルーヴの母親は、史実では1983年オークス覇者のダイナカール。2024年現在までダイナカール系として発展しています。
 ちなみに近いニュアンスの励ましの言葉で有名な『ダレル・ロイヤルの手紙』ですが、こちらは1976年までのテキサス大学で選手に贈られた言葉となります。なおダイナカールは1980年出生。近い年代から引き合わせた……と考えるのは少々こじつけ感が強いでしょうか。

エアグルーヴの母親

 弱音を吐こうとするダイワスカーレットに、それ以上言わないよう待ったをかけるエアグルーヴ。
 こちら特に元ネタがあるわけではありませんが、「語ると夢が近付く」といった言霊信仰のようなもので、弱音や諦め、自分を納得させるための言葉を言い続けると人は簡単に弱くなります。これは脳が人称や時制を本能的に理解できないためだと証明されています。愚痴や悪口も同様ですので、極力使わないようにしたいですね。

弱音を止めるエアグルーヴ

 ダイワスカーレットには父の父サンデーサイレンスの気性の荒さが受け継がれており、そのために陣営はゲート練習を通常の数倍の時間をかけて施したとされています。

ダイワスカーレットの気性

 より早く仕掛けてウオッカへリベンジしよう!と話すシーン。これは実馬の鞍上である安藤勝己ジョッキーが桜花賞で施したウオッカ対策をモデルにしています。コンセプトを陣営で共有し、そのための調教をチューリップ賞の敗戦後から施している部分も重なっています。

ウオッカへのリベンジ


ウオッカとのライバル関係

 終始描かれているウオッカとのライバル関係ですが、これはウオッカを担当していた角居調教師が、ダイワスカーレットを担当していた松田調教師の弟子であり、また松田師がかつて担当したダービー馬タニノギムレットの仔でもあること。そして何より、チューリップ賞での直接対決前に松田師がウオッカを名指しでライバル宣言したことが大きく関わっていると思われます。
 そして直接対決5戦で2勝2敗1分け(ダイワスカーレットの先着)という互角の戦績を残す熱いレースを繰り広げ、ファンにもライバルとして認識されたことがこの描写に関わっているでしょう。


育成シナリオ ~ジュニア級~

ダイワスカーレット登場!

 ゲームチュートリアルでトレーニング、お休み、お出かけ、レースを新米トレーナーと共にするダイワスカーレット。栗毛のロングツインテール、名前から想起される赤色、鋭い目つきといったデザインと、彼女の気の強い言動から、1990年代のアニメファンはあの頃の記憶を刺激されるのではないでしょうか。実馬のダイワスカーレットが活躍した頃が、その作品のリメイク映画が上映されていた時期と重なります。
 そのキャッチーさから「この子はこういうキャラクターです!」をプレイヤーが捉えやすいようにし、世界観やその先の演出へ引き込みやすくするためのツカミが上手くデザインされたキャラクターではないでしょうか。

ダイワスカーレット

 このイベント中、デビュー前の時点で世代のNo.注目ウマ娘はウオッカだと言われます。これは、ウオッカがデビュー前からオープン馬とトレーニングをしていたことや、ダイワスカーレットが母スカーレットブーケの16歳時の仔である(高齢出産でありサラブレッドは母の年齢が高いほど仔の能力が低い傾向があります)こと、直接対決したレースにおいて全てウオッカの単勝人気がダイワスカーレットを上回っていたことなどの史実を元にしていると思われます。

1番期待のウマ娘ウオッカ

 友人から「スカーレット」と呼ばれているダイワスカーレット。これはメジロマックイーンがマックイーンと呼ばれたり、アグネスタキオンがタキオンと呼ばれているように、同じ冠名のウマ娘と呼称が重ならないようにしているためと思われました。兄ダイワメジャーをモデルにしたウマ娘の登場も楽しみです。
 しかしそのダイワメジャーはゲームリリースから3年が経っても存在せず、示唆もされていません。
 というワケで、なぜ彼女の呼称が「スカーレット」なのかを考察します。
 本命は上述の冠名を苗字扱いするウマ娘全体の風潮なのですが、対抗として挙げたいのが馬名の元ネタである『風と共に去りぬ』の主人公「スカーレット・オハラ」の作中呼称が「スカーレット」であることです。両スカーレットのキャラクター性と物語で描かれる場面に共通点があるため、馬名の由来でもあるこのお話をオマージュした部分をシナリオへ織り込んだのではないでしょうか。

友人から「スカーレット」と呼ばれている

風と共に去りぬ

 『風と共に去りぬ』は1936年にアメリカで出版された、マーガレット・ミッチェル作の南北戦争時代を描いた長編時代小説です。ピューリッツァー賞も受賞しました。日本で近い作品を挙げるとしたら、司馬遼太郎の『燃えよ剣』ないし『竜馬がゆく』でしょうか。

 作中の背景となる南北戦争(The Civil War, American Civil War とも言います)はアメリカ合衆国の唯一の内戦です。
 黒人奴隷による大規模農業により経済を回していた南部の州が、米英戦争によるイギリス製品の途絶により急速な工業化を果たしたことで奴隷制と相容れなくなった(労働力の流動性を欲した)北部の州と対立し、南部の州がアメリカ合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成して北部の合衆国と戦争をするに至りました。1860年に開戦し、1864年に終戦。この間の南北合わせて50万人、民間人を合わせると70~90万人の上る戦死者は、戦争におけるアメリカ合衆国の最大死者数となっています。
 この戦時中、北部大統領エイブラハム・リンカーンと南部大統領ジェファーソン・デイヴィスに講和するよう手紙を書いた合衆国皇帝ジョシュア・ノートンⅠ世が筆者の最推しアメリカ人なのですが、その話は割愛。

 『風と共に去りぬ』は、そんな南北戦争時の南部農園を管理する貴族の娘「スカーレット・オハラ」が主人公です。彼女は気が強く、頭が良く、プライドの高い美しい才女です。「12本の樫の木 (Twelve Oaks) 屋敷」でのパーティから彼女の運命が大きく動きます。
 後の夫となるレットが彼女の淑女の仮面を剥がそうとちょっかいを掛けてきたり、陥ったピンチで嫌いだった彼を頼ることになったり、窮地を脱したところで彼に置き去りにされたり。そうして戦争で荒廃した故郷でスカーレットは時代の風と格闘していくことになります。

 『風と共に去りぬ』は、そんなお話。


デビュー戦

 デビュー戦は京都芝2000mです。デビュー戦は、競走能力が本格化してから明らかになった距離適性と新馬として走行可能な距離が異なることも多く、それゆえに史実と異なる距離を走るウマ娘も多いのですが、ダイワスカーレットは史実通り。
 陣営は彼女の気性を考慮したときに短距離の適性を見出していたとのことですが、松田調教師の「スプリントのみを得意とする馬にしたくない」との意向により長い距離のレースとなったそうです。
 ちなみに1番人気の1着。好位から抜け出しての「強い」内容でした。

 なおこの日の京都競馬場のメインレースはG1のマイルチャンピオンシップ。スカーレットの兄ダイワメジャーが勝利したことで兄妹同日勝利となりました。
 ダイワメジャーはこの日に続いて翌年のマイルチャンピオンシップも制覇し、ニホンピロウイナー、ダイタクヘリオスタイキシャトルデュランダルに続く5頭めの連覇を記録します。

 ダイワスカーレットのデビュー戦後、ゲームシナリオでは次の画像のようなテキストが出てきますが、史実ではこの日の京都の新馬戦はスカーレットの制したものが最後です。
 と、いうことは、デビュー戦以外の、オープン戦やG1まで彼女が視野に入れている可能性もあるでしょう。つまり未実装ゆえ描写されていませんが、この日に同じレース場を走るダイワメジャーを捉えての描写である線も否定できないのです。

次のレースを見詰めるスカーレット

 次の目標としてティアラ路線を宣言するダイワスカーレット。
 競馬を知らずウマ娘を始めたプレイヤーにも遊びやすいよう、グイグイ自己決定をしてバリバリ進んでいきます。これは世界観を伝えるチュートリアルとしての役割とキャラクターの印象付けを同時に行える構成です。さすが初期配布キャラクターですね。
 ちなみにウマ娘世界のティアラ路線とは、現実世界における牝馬三冠路線です。牝馬(メス)よりも牡馬(オス)の方が平均競走能力が高いため、競技の公平性を保とうと牝馬限定レースが整備されています。
 時代背景の項で詳述しましたが、この頃は牝馬の評価が相対的に低かったのです。

進路選択


1番は1人だけ

 デビュー戦後の本イベントで登場するウマ娘2人はいずれも牝馬で、牡馬との混合レースで勝利ないし好走しました。ダイワスカーレットから見て、スイープトウショウは3つ、カワカミプリンセスは1つ上の先輩です。
 スイープの牡馬牝馬混合G1戦績で輝かしいのは2005年宝塚記念です。11番人気ながらハーツクライ、ゼンノロブロイタップダンスシチー、アドマイヤグルーヴ、スティルインラブを下して勝利。同年の天皇賞秋ではヘヴンリーロマンスの5着に敗れますが、ここでもゼンノロブロイやタップダンスシチーと競ります。
 カワカミプリンセスはクラシック年のエリザベス女王杯からなかなか振るいませんでした。

スイープトウショウとカワカミプリンセス

 史実のスカーレットのデビューから2週間後に阪神ジュベナイルフィリーズをウオッカがレコード勝ちしたことで、翌年の牝馬三冠路線の主役はウオッカになると目されていったことをモデルとして書かれています。

1番人気のウオッカ


育成シナリオ ~クラシック編~

チューリップ賞

 牝馬三冠(ティアラ)路線の1戦めとなる桜花賞のステップレースです。
 史実でのダイワスカーレットは2番人気で出走し、1番人気のウオッカにクビ差で敗れ2着となりました。3着を6馬身を大きく離していることから、この2頭の力が見て取れます。
 ゲームシナリオではウオッカに1着を譲った際の第一声が、この史実を大いに取り入れたものではないでしょうか。

敗北しての第一声

 このレース前に、ダイワスカーレットの松田調教師が、ウオッカを名指しでライバル視した発言をしたことから、2頭のライバル関係が囃されることとなっていきます。
 ウオッカの角居調教師が松田師に師事していたことから、互いを励ます発破のかけ合いだったのかもしれませんね。


桜花賞

 史実の桜花賞でのダイワスカーレットは単勝5.9倍の3番人気。1番人気はウオッカ、2番人気は阪神ジュベナイルフィリーズでウオッカと競って2着のアストンマーチャンでした。4番人気のショウナンタレントを単勝34.7倍と離しており、3強の様相でした。
 チューリップ賞でウオッカとスカーレットが火花を散らしたのは事実ですが、2番人気のアストンマーチャンへ言及がありません。これはリリース時に同キャラクターが実装されていなかったためと見るのが妥当なところですが、ダイワスカーレットの育成シナリオはファン感謝祭イベントが後から一部改変されています。
 こじつけと言われるとその通りなのですが、ここでアストンマーチャンへの言及が無いのは、アストンマーチャン育成シナリオにおける春がどんな季節なのかを示唆している説を私は提唱します。

 シナリオライターの端くれとしては、実装未発表のキャラクターを登場させないという情報商品を取り扱ううえで必須の縛りをダイワスカーレット育成シナリオで丁寧に守り、そうした仕様上の必然的不在をアストンマーチャン育成シナリオで効果的に利用した……のだろうと読み取ります。
 が、しかし。多くのウマ娘育成シナリオで「トレーナーと出会って実馬の辿った運命から外れる」ことが描かれていることを考えると、運命を変える人と出会わなかったアストンマーチャンを描いているのがダイワスカーレットおよびウオッカ育成シナリオの桜花賞であると言えるのではないでしょうか。

1番人気と3番人気に言及する解説者

 史実ではハナを切った9番アマノチェリーランを最終直線でアストンマーチャン・ダイワスカーレット・ウオッカが捉え、残り300mで人気馬3頭が横並びとなる熱戦に。
 道中で掛かってしまったマーチャンはそこから伸びず馬群に沈みますが、スカーレットとウオッカは抜け出して後続を振り払いワンツーフィニッシュを決めます。
 熱戦の動画はコチラ(JRA公式より)

 ダイワスカーレットはこの勝利で、2004年皐月賞を勝ったダイワメジャーと並び、史上15組めとなる兄弟姉妹クラシック競走勝利となりました。
 ウマ娘となっている競走馬では、メジロデュレン・メジロマックイーン兄弟、ビワハヤヒデナリタブライアン兄弟、アグネスフライト・アグネスタキオン兄弟がいます。
 クラシックに限らないG1勝利となると、タマモクロス・ミヤマポピー兄妹、サクラチヨノオー・サクラホクトオー兄弟、オグリキャップ・オグリローマン兄妹、ヒシアケボノ・アグネスワールド兄弟、メジロブライト・メジロベイリー兄弟、アドマイヤベガ・アドマイヤドン兄弟、ドリームジャーニーオルフェーヴル兄弟、ブエナビスタ・ジョワドヴィーヴル姉妹、ヴィルシーナシュヴァルグランヴィブロス姉弟、も加わります。
 G1制覇兄弟姉妹を輩出した母としてエアグルーヴシーザリオの名も挙がるでしょう。

 キャラクターストーリーで詳述しましたが、この勝利は鞍上の安藤ジョッキーら陣営のウオッカ対策が功を奏しました。


アタシの1番

 ウオッカとダイワスカーレットの対戦成績として13戦、ウオッカ8勝-スカーレット5勝という数字が出ています。
 史実ではレースで5回の対戦をしていますが、ウマ娘の世界ではルームメイトでクラスメイトという関係から、より多くの対戦を(非公式戦を含んでいますが)しているようですね。
 関係しそうな数字を探しましたが、大きく関わりそうなものは見つけられず。最も近いのはダイワスカーレットの生涯成績である12戦8勝でした。

ウオッカとダイワスカーレットの対戦結果

 ナリタブライアンに師事するウオッカと対比して、エアグルーヴを頼るダイワスカーレットが描かれています。
 ウオッカがナリタブライアンを頼る理由はウオッカの記事に任せるとし、なぜスカーレットがエアグルーヴを頼るのかを考えます。
 ウオッカは日本ダービー挑戦をすることになるのですが、それと対比するようにオークス勝利者に師事していることが考えられます。オークスを勝利しているウマ娘ならば、メジロドーベルやこれまでのイベントで登場しているカワカミプリンセスも該当しますが、サービス開始時点で育成ウマ娘として実装されているオークス馬はエアグルーヴのみでした。それゆえの選出でしょう。

エアグルーヴを頼るダイワスカーレット

 また、本イベントではオーバーワーク気味のダイワスカーレットが倒れるシーンが挟まれます。
 これは実馬のダイワスカーレットがオークスの3日前に発熱し、放牧に出されたことが元ネタです。

倒れるダイワスカーレット


アイツの存在

 オークス・ダービーの直前のイベントです。実馬のダイワスカーレットはオークスへ出走登録をしており、その出走3日前に発熱してしまったため出走を取りやめました。ウマ娘ではその史実を元に、もしダイワスカーレットが健康だったらオークスとダービーのどちらへ挑戦しただろうかという if の物語を描いています。

 そんな中、精神的に乗り切らないダイワスカーレットを寮長のフジキセキが心配しています。

 史実のフジキセキは4戦4勝、うちG1は朝日杯3歳ステークスの1勝でした。クラシック戦線最右翼と目されながら、皐月賞前に故障により引退しました。いずれのレースも強い走り方で勝っており、2着に下した馬がダービーを制するなど、幻の三冠馬とも言われています。
 その後は種牡馬となり、内国産種牡馬として産駒のJRA勝利数ならびに重賞勝利数で歴代1位となっています。この種牡馬成績が寮長を任される点に表されています。

 そうした史実を鑑みると、「望んだレースを走れなかった自分のような悔いは残してほしくない」「ライバルがいるのは良いことだ」といった心の声が聞こえてきそうです。
 また「走りはウマ娘の心を映し出す鏡」というセリフは、映画『ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉』を視聴した人には響くものがあるのではないでしょうか?アプリ最初期シナリオですよコレ。

フジキセキの悔いとは
フジキセキのライバルとは
「走りはウマ娘の心を映し出す鏡」

 そしてここがダイワスカーレットの育成ストーリーで最も大きな「もしも」の選択です。
 もしもダイワスカーレットが健康で府中芝2400mを走ることができたら。オークスとダービーのどちらを選択しますか?

どちらを走るか

 こうした「もしも」の選択が可能となるのがゲームであるウマ娘の魅力と言えましょう。


ダービー/オークス

 既に述べた通り、史実のダイワスカーレットはオークス出走予定でしたが、結局どちらにも出走しません。
 そしてシナリオは、史実の2頭の次なる対決秋華賞へ向け、モチベーションを高めていくこととなります。

 オークス出走を選んだ際、自身のレースの後に差し挟まるダービー観戦イベントにて、ウオッカの走りが焼き付いて想いが変わる人の姿が描かれます。真剣勝負が呼び起こす感動心に火の点く感覚、そうしたスポーツの醍醐味が、作品の大きなテーマとして横たわっているのが分かります。
 最初のキャラクターの物語でそれが描かれているということは、ウマ娘とはそういった作品なのです。


夏合宿

 クラシック級夏合宿のイベントでカレー作りのシーンがあります。この中の選択肢でトレーナーがスカーレットを「お母さんみたい……」と評するものがあります。
 これは実馬のダイワスカーレットが10年以上の長きにわたって繁殖牝馬として出産と子育てに従事していることが元ネタと思われます。受胎率も高く11仔を競走馬として送り出しているのは良い母と言えるでしょう。本記事の執筆時にもまだ繁殖引退は宣言されていません。
 ちなみに交配相手となった種牡馬でウマ娘と関わりそうなものは、エイシンフラッシュやキングカメハメハ(ホッコータルマエドゥラメンテの父)でしょうか。

お母さん


秋華賞

 レース前、ダイワスカーレットがウオッカに謝ることで精神的な成長が描かれるシーンがあります。
 これは史実で夏の放牧を経て、スカーレット陣営が彼女を「精神的に成長した」と評していることからこのタイミングに盛り込まれたと考えられます。主役の成長はエンターテインメントとしての物語に不可欠ですが、それをシナリオ中盤のこのタイミングへ持ってきたのは史実へのリスペクトでしょう。

ダイワスカーレットの成長

 ちなみに史実の秋華賞では、1番人気は単勝2.7倍のウオッカ、2番人気が単勝2.8倍のダイワスカーレットでした。
 この年のクラシック世代は、アストンマーチャンが古馬G1スプリンターズステークスを制するなど、混合重賞で牝馬が活躍する割合が例年の約1.5倍と高く、牝馬の層が厚く全体的にレベルが高いと評されるようになっていました。
 その中でG1級優勝馬が4頭も出走することとなり、その数は秋華賞史上最多で、その秋再注目のレースと呼ばれるに至りました。

 結果はダイワスカーレット1着、ウオッカ3着でした。このレースのカンテレ競馬さん公式動画の最終直線における実況「外からダービー馬が襲ってくる!」は、秋華賞では2007年のレースでしか聞けない名実況と言われています。


エリザベス女王杯

 秋華賞のレース後にエリザベス女王杯での再戦を誘ったウオッカが出走取消。史実でもスカーレット・ウオッカ両陣営が再戦を希望しエリザベス女王杯でぶつかるはずでしたが、当日になってウオッカが跛行により出走を取りやめました。
 なおこのレースはダイワスカーレットにとって初めての古馬との混合レースでもありました。出馬したウマ娘化している競走馬は、スイープトウショウデアリングハート。単勝人気では、前日の時点でウオッカが2.1倍の1番人気でしたが、取消により返還。当日はダイワスカーレットが1番人気、スイープトウショウが2番人気となりました。
 レース結果はスカーレットが1着、スイープは3着でした。

史実通りの出走取消


空っぽの部屋

 ウオッカの海外挑戦が触れられています。史実では8月にフランス凱旋門賞へ挑戦するための遠征を企画するも脚部炎症から調整不足により断念。秋の牝馬クラシック戦線へやって来ます。彼女はその後、5歳、6歳の春にドバイ遠征を敢行するのですが、このイベントでは時をずらして海外挑戦の衝撃を伝えているようです。

ウオッカの海外挑戦


育成シナリオ ~シニア級~

初詣

 初詣でシニア級の大目標として有馬記念を提案するトレーナー。これにダイワスカーレットは驚きます。
 ウマ娘から入ったプレイヤーさんが大きな目標だと感じやすいようにスカーレットがオーバーなリアクションをしていますが、史実ではダイワスカーレットの挑戦まで1971年から牝馬による有馬記念優勝は果たされていません。距離が伸びるほど牡馬と牝馬の競走能力の差は開きやすく、2023年までの68回の歴史で牝馬の優勝は7回。ダイワスカーレット以前までで3回に留まります。
 史実ではクラシック級の有馬記念にも出走しているダイワスカーレットですが、その際は史上初のG1級優勝兄弟姉妹によるG1対決(vs ダイワメジャー)となり、マツリダゴッホの2着(3着にダイワメジャー)となりました。なお3歳牝馬の有馬記念2着は1994年ヒシアマゾン以来です。

 ともあれ、ただでさえ高い目標である有馬記念優勝は、牝馬にとってさらに高くなっているのです。

有馬記念への挑戦


大阪杯

 史実では春の目標をドバイ遠征と定めたダイワスカーレット陣営でしたが、そのリハーサルとしてフェブラリーステークス出走で調整していたものの調教中の事故で右目を負傷。幸い軽症だったもののフェブラリーステークス1週間前だったため出走を取消。それに伴ってドバイ遠征も立ち消えとなりました。
 そのため春のG1戦線に目標を再設定し、その前哨戦として当時G2の大阪杯へ出走したのです。

 史実のダイワスカーレットは1番人気で出走し逃げ切り勝ち。同レースの牝馬による優勝は1998年のエアグルーヴ以来10年ぶり5頭めでした。

 レース後に海外遠征から帰還するウオッカ。史実でもこのタイミングでドバイ遠征から帰国します。
 ここで再戦を天皇賞(秋)と定めるワケですが、このレース間隔は史実通りとなります。ウオッカはこの後ヴィクトリアマイル・安田記念と出走しますが、大阪杯で最大出力を出し消耗したスカーレットは春を全休することとなりました。

ウオッカの帰還


ファン感謝祭

 ダイワスカーレットの逸話に絡めたものは特に無いのですが、リリース最初期に立ち姿無しのモブウマ娘だった役どころに後からカレンチャンが登場しています。
 これは、基本的に育成シナリオを後から変更しない(ドゥラメンテ実装後もライバルキャラをブリュクスマンのままにしているキタサンブラック育成シナリオが代表的)ウマ娘で異例の措置でした。

可愛いカレンチャン


天皇賞(秋)

 2008年の天皇賞(秋)は、競馬ファンの語り草となる伝説的レースのひとつです。出走する14頭は全員が重賞勝利経験があり、どの馬が抜け出るにしろ名勝負の予感がありました。
 どんな勝負になったのかは、実際のレース映像(カンテレ競馬 より)を見ていただくのが最も早く確実でしょう。1番人気はウオッカ、2番人気がダイワスカーレット、他にウマ娘化している出走馬は4番人気のドリームジャーニーがいました。

 結果は、2022年のアンケート企画で「競馬史上最高の名勝負」3位にランクインする(1・2位はこれ以降のレースであるためこの時点で史上最高の名勝負と言える)熱戦でした。1999年にスペシャルウィークが樹立したレコードを0.8秒も更新し、1958年以来50年ぶりの牝馬ワンツーフィニッシュでもありました。「1977年有馬記念に匹敵するような20年、30年に1度のレース」とする評価もあったほどです。
 イベントでも述べられているように、多くの人が「天皇賞(秋)と言えば思い出す」レースと言えましょう。

天皇賞(秋)と言えば


有馬記念

 史実のファン投票ではウオッカが得票数1位となりましたが、歴史を変えたダイワスカーレットが1位を奪取しています。

有馬記念のファン投票

 有馬記念のレース前に、ウオッカと直接言葉を交わす最後のシーンが挟まれます。これは先の天皇賞(秋)が史実の2頭の直接対決の最後の一戦であったこと、そしてウオッカが最後のレースとして海外遠征を選択し、そのまま海外で繁殖牝馬となり日本へ戻らなかったことモデルに描かれています。
 その上で「また、いつか」と再戦を誓うのが、ウマ娘のウマ娘たるゆえんだと私は思います。「また走る姿を見たい」というファンの願いが形を得たもの、とでも言いますでしょうか。胸の熱くなるシーンです。

また、いつか

 史実ではこの有馬記念が、ダイワスカーレットの最終レース、そして歴史的な勝利となります。
 1971年以来37年ぶり史上4頭めの牝馬による勝利で、過去3例がイレギュラーな展開により牝馬優勝の追い風が吹いていたとする説がある中、堂々たる横綱相撲での優勝でした。

有馬記念を勝利

 また有馬記念勝利後には隠しイベントが用意されています。野良レースを含めウオッカの出走するG1レース全てで勝利することが条件です。
 そんなイベントの中で、スカーレットがウオッカを意識したレースを3つ挙げています。1つは史実でも専用の作戦を立てて臨んだ桜花賞、2つめはウオッカと走るために出走したダービー、3つめは史上最高のレースとされた天皇賞(秋)。2人の物語を描く上で重要なチョイスですね。

ウオッカを意識したレース


育成シナリオ ~汎用イベント~

 ダイワスカーレットの汎用イベントは、そのほとんどが彼女のキャラクター性……古き良きツンデレっぷりを印象付けるものとなっています。つい張ってしまう意地、素直に伝えられない心配と感謝、一緒にいるとつい出てしまう素の感情、などなど。
 以下ではそれ以外のものを挙げていきます。


がっかりツインテール

 「ママ直伝の髪型」とありますが、実馬のダイワスカーレットは自身も両親も栗毛。父アグネスタキオンへはサポートカード各種やタキオンの育成イベントで親近感が描写されているため、それと分けて演出されているこの母親への執着はゲーム内の母親も実馬の母スカーレットブーケと重ねているためと思われます。
 またイベント「アタシの止まり木」でのソファ仮眠の描写も合わせて、母親への執着が「あんたバカぁ?」が口癖の某赤いツンデレ娘を彷彿とさせます。これらは史実を元にした歴史物語に欠かせない懐かしい感じを呼び起こす演出だろうと推察できます。

ママ直伝の髪型


おススメのお店

 スペシャルウィークとのランチが描かれます。2人はアニメ1~3期で同じチーム「スピカ」に所属するチームメイトですが、ゲーム内ではそのようなチーム描写はありません。
 ゲーム内の継承相性にアニメ作品の関係性が含まれている場合もあるので、詳しいところは未確定です。
 実馬の関係性としては、スペシャルウィークの父と、ダイワスカーレットの父の父が同じサンデーサイレンスです。またスペシャルウィークが樹立した天皇賞(秋)のレースレコードを、後にダイワスカーレットが更新する走りを見せます。

スペシャルウィークとランチ

 そのランチで出てくるハンバーグプレートは、ヴィジュアルこそウマ娘の食事描写でよく出る大盛り・山盛りの定食ですが、名前は静岡県西部を中心に展開しているハンバーグレストランさわやかげんこつハンバーグと思われます。

すこやかハンバーグ


雨に降られて

 イベントの内容は、バディもの・ジュブナイルものによくある「トラブルを通して2人が互いをより理解する」という定番なものです。
 このタイトルについて、元ネタと言うほど元の成分が濃いわけでもなく、現代ではオマージュされすぎて一般化してしまっていますが、映画『雨に唄えば』を意識したものではないかと考察します。
 『雨に唄えば』は歴史物語の要素を持ち、ミュージカルであることから、ウマ娘という作品でオマージュするには大変相性が良いのです。また、無声(サイレント)映画全盛期から音声(トーキー)映画へと時代が移ろう中でのハリウッドを描いており、この時代の移り変わりというテーマはダイワスカーレットの名前の元である『風と共に去りぬ』とも共通します。
 ダイワスカーレットはウオッカと共に牝馬が活躍する時代の象徴的な競走馬であるため、『風と共に去りぬ』『雨に唄えば』のテーマと共通して時代の変わり目を走った馬でもあるのです。
 さらに──これはこじつけに近いのですが──『雨に唄えば』はサイレント映画の時代からトーキー映画の時代への移り変わりを描いていることは既に述べました。そして日本競馬でサイレンスと言えばサンデーサイレンス。この偉大な種牡馬は2002年に亡くなっており、彼の亡き後にリーディングサイアーへ輝くのはアグネスタキオン……スカーレットの父となります。つまりダイワスカーレットの物語に『雨に唄えば』のオマージュを含ませることで、牝馬の時代の訪れだけでなくサンデーサイレンスの時代の終幕も示唆していると読むことができるのです。

 そうやってこのイベントを見てみると、冷たい外気の中、穏やかで温かで微笑ましい希望が育っていくように演出されており、時の流れの残酷さと優しさの双方を抱えたイベントだと読むこともできるのではないでしょうか。

突然の雨

雨に唄えば

 1929年の同名楽曲を原案とした、1952年公開のミュージカル映画。ハリウッドを代表する作品のひとつで、今なおミュージカル映画の最高傑作とする声も多い作品です。
 サイレント映画からトーキー映画へ移る時代のハリウッドを、ある映画会社に所属する俳優たちの人間関係を通してコメディックに描いています。

 『雨に唄えば』の名シーンとして描かれる「雨に濡れてそれを嫌うか、雨の中で唄い踊るか、私たちは選択することができる」といった教訓は、時代を超えて人の胸を打っています。

 それゆえにこの作品をオマージュする作品も多く、作中人物がこの映画を見て周辺人物との関係を見直す、といった演出も多くみられます。


走れ、走れ、フットサル!

 メジロドーベルを審判にファインモーションとフットサルをするダイワスカーレット。いずれも史実馬が牝馬であり、メジロドーベルとはG1級4勝、ファインモーションとは3歳馬でのエリザベス女王杯勝利という共通点があります。
 ファインモーションがフットサルを持ちかけるのは、彼女の設定としてリフティングがやたら上手いことから。出身地であるアイルランドの国技が、サッカー(フットボール)の発祥時の形に最も近いと言われる競技「ゲーリックフットボール」であることがモデルと思われます。

メジロドーベルとファインモーション


夢か、魔法か、天啓か

 イベントタイトルは「夢か現か幻か」をもじった定型詩かと思われます。
 導入と終わりに出てくるスイープトウショウは、もはやダイワスカーレットの育成シナリオでは準レギュラーと化している、同じレースも走った先輩牝馬です。

 イベント中で描かれるイマジナリーウオッカから褒められる差し返しは、2008年天皇賞(秋)の最終直線のイメージでしょう。

スカーレットの差し返しと言えば


1番は見逃せない!

 このイベントで出てくる「スタミナ丼」ですが、1971年の東京都国立市にあったサッポロラーメン国立店が発祥の、にんにくを効かせた醤油ダレの豚肉丼ぶりです。トレセン学園はその隣の府中市にあることが示唆されているので、隣町が発祥ということになります。
 2000年に独立した店として「すた丼屋」がオープンし、ダイワスカーレットのクラシック競走年である2007年までは府中市を含む多摩地域を中心に東京都内で出店していました。2008年から全国展開を始め、2024年現在は海外にも店舗を構えています。

 この「すた丼屋」では米4合(総重量1kg)の大盛りチャレンジが名物となっており、運動部の学生を中心に健啖家がよく食べています。
 期間限定で近隣の学校の食堂とコラボすることも多いので、もしかしたらトレセン学園ともそうしたコラボ中なのかもしれません。

国立市のソウルフード「すた丼」か?


最高のポーズ

 キメポーズに悩むダイワスカーレット。その中で出てくる空を指さすポーズは、シンボリルドルフの岡部ジョッキー、トウカイテイオーの安田ジョッキーらがそれぞれの皐月賞で取った「まず1冠」を表すものでした。

空を指差すポーズ


育成シナリオ ~エンディング~

温泉旅行

 温泉旅行イベントの冒頭で、講演会へ出席するようになったというトレーナーが描かれています。これはダイワスカーレットの主戦騎手であった安藤勝己元ジョッキーが、騎手を引退した2013年以降、精力的に講演会などに出演していることがモデルと思われます。

講演会


グッドエンディング

 イベントタイトルの「プリモ・リンケージ」は「Primo Linkage」と予想されます。Primoはイタリア語で「初め」「1番」の意味であり、英語圏で「素晴らしい」「一流の」といったスラングで使われることもあります。Linkageは「関係性」の意味。総じて「1番の絆」といった感じでしょうか。

イベント「プリモ・リンケージ」

 エンディングでもウオッカを気にするダイワスカーレット。
 史実では有馬記念優勝後、浅屈腱炎を発症し2009年2月18日に引退しました。ウオッカはこのタイミングで遠征先のドバイへ発っており、そうした2頭の関係性が描かれています。

ウオッカを想うスカーレット

 海外挑戦に言及するスカーレット。史実では2008年と2009年の2度挑戦しようとし、調整中のトラブルによって出発前に断念していました。
 挑戦目標はいずれも春のドバイ。2月のフェブラリーステークスを前哨戦とする予定でしたが、そのフェブラリーステークスに向けた調整中にトラブルがありました。2008年は調教中に跳ねたウッドチップで右目を損傷。遠征を回避し大阪杯へ向かいました。2009年は先に述べた通り、調教で左前脚の熱が治まらず浅屈腱炎を発症したと診断され、遠征取り止めどころか引退となりました。
 最後のイベントに海外挑戦への言及を置くのは、あの頃の夢の続きが広がっているという演出なのだと思います。

海外挑戦について問うスカーレット

 ちなみにこのイベントの「ばーか」は、スカーレットの発する罵倒で唯一「!」のついていないものとなっています。

教科書のようなツンデレ


 こうしたところで、ダイワスカーレットに関わるシナリオの小ネタ解説を終了いたします。

 チュートリアルキャラクターであるためか、牝馬に関する小ネタを散りばめつつ、ウマ娘の世界観、彼女たちの纏う空気感をよりプレイヤーに伝えようという試みの強いシナリオでした。こうした役割まで、レースの格や仕組みの説明を任されたウオッカと対になっているところがニクい構造ですね。2人セットでウマ娘の世界をより知ることができます。

 これを読んで、より楽しく本編をプレイできる方が増えたのなら幸いです。

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