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生きるは、表現すること

■スタートライン

 私達は、この世に生を受けて、同じスタートラインだろうか?
仲の良い両親、不仲の両親、父子家庭、母子家庭、育ての親、
親戚、施設で育ったり、親の再婚で親が変わったり。
スタートラインが最初から違う。

 そして、健常者もいれば、生まれながらにして
病気だったり、障害があったりと。

 そんなスタートラインも環境の違う人間が、
学校や社会で出会っていく。そして、その中で共存して
いかないといけない。

 その親だって両親の国籍が違ったり、
外国から日本で暮らしていたり、今叫ばれている
ジェンダーの在り方でこれからまた大きく変わって
いくだろうし。

■アーティストの世界

 私は、高校から音楽科に進学し、
大学も芸術大学。そういう空間で過ごしてきたので
今社会が取り上げている問題が、そこには凝縮されている
世界で、それが自然にあった様に思う。

 表現者は、世間では、問題や病気と思われている
事が勲章な事が多い。だから、発達障害なんて、自分も
あてはまるだろうし、自閉症やアスペルガーの人達も多いし、
LGBTの人達も元から多い世界に思う。
僕が学生時代によく思ったのは、美の追求に優れている人が
多いし、今よく言われているアウティングやカミングアウトとか
そんなものが無くても、
例えば音楽を聴けば、その表現の仕方で気付いたり分かる事が
結構あるし、学生時代に「~は、まさに、あれだよー♪」
と言う会話が飛び交っても、そこで皆「へぇ~♪そうなんだー」
レベル(笑)いたって自然な会話でしかない。

 皆が皆がそうでないにしても、他人の事を聞いても、
それが犯罪性や残虐性を持たない限り、
アーティストは「でっ?」ってなる人が多いと思う(笑)
別にその人がそうであれば、それでいいのでは?って。

私自身昔から「変わってるよね~♪」とか、
「キャラ濃いよね~♪」とか、付き合う人には、
「ほんとのとこ、何考えてるのか分からない!」とか、
まあ、色々言われてきているけれども、
本人は、いたって普通と思っていて(笑)、そして、
私の場合は、本能、直感、感覚を大切にしているだけで
ある。

■誰しもがしている表現

 表現って、アーティストだけがしている訳ではなくて、
また、特別な事では無い。
生まれて、言葉を持たない時も、小さな体を
一生懸命動かし、言葉にならない声をあーあー出し、
泣き、それで、一生懸命何かを伝えようとして、
「伝える」を毎日一生懸命する中で、
言葉も覚えていくのだと思う。

 だからこそ、人間は誰しも伝えたい事があり、
表現したい事がある様に思う。
言葉だって、自分以外の人に向けるコミュニケーションの
為の言葉もあれば、自分自身に向ける自問自答の
言葉もある。対話というのは、他人ともするし、
自分ともしているということ。

 喜怒哀楽の感情も全てが人間の表現である。
沈黙というのも黙っているがその沈黙にも感情があり、
表現があるということ。

 そこに、意思や意識が無くとも人は、表現していると思う。
それは、雑草の様な花だって、道端に咲いていても、
そこで可憐に咲き、そこに存在し、そこに意識や意思がなくとも
そこに咲く事で、植物だって何か表現している様に見える。
ひょっとして、表現と言うより、植物の見せる表情と
言った方がいいのかもしれないが。

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