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旅とは?

■移動の制限

 コロナ禍になり、
移動の制限が叫ばれる様に、
まだ、自由に海外には行けない。
人類は、信頼できる仲間の数を
増やす様に進化してきたと言われている。

 移動する事によって集団と集団との
関係を密接に作ってきたと。
人が集まることで、人が移動することで、
グローバルな社会は生まれてきた。

 しかし、コロナ禍になり、
人との接触や集いや移動を
禁じる様な要請が増えた。
疫学というのは、数学であり
人間を1つのコマとして見て、数字とだけしか
追われていない。

人が移動するという事は人間にとって
どういう事なのか?人が集うという事は
どういう事なのか?

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(写真は、ドイツのミュンヘンにて)

■モーツァルトがパリからザルツブルクの父へ
宛てた手紙

 モーツァルトは、生涯の3分の1を旅にあてたと言われている。
訪問した大きな都市だけで30を超え、
訪ねた都市、町、村をなど合計207にのぼると。
私がよく講義や講演で話すのが、
モーツァルトが1778年9月11日にパリから
ザルツブルクにいる父レオポルド・モーツァルトに
宛てた手紙である。

「旅をしない者は(少なくとも芸術や学問に携わって
いる人達なら)全く哀れむべき存在です。
優れた才能を持った人間がいつも同じ場所に
留まっていたらダメになってしまいます。」

 モーツァルトが22歳の時の手紙である。
この手紙が、地域活性化や地方創生のこと、
国際化やグローバル、大陸文化、島国文化
について、さまざまな分野で進化していない
業界など、この手紙が問いかけている事に
答えがある様に思う。

この動画は、我師匠のいるオーストリアは、
ウィーンのトラムからの何気ない景色。

ウィーン国立歌劇場での舞踏会の外観の光景の動画。
同じウィーンでも季節によって行われるイベントも違う。
同じ都市でも色々な光景がある。
紹介した手紙のモーツァルトもウィーンで過ごした事があり、
当時と変わった景色もあれば変わらない景色もある。

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 このシュテファン寺院は、モーツァルトが結婚式と葬儀をあげた教会。
モーツァルトもこの地で何を思い感じただろう?
その影響は、彼の作品の中や残っている手紙から
推測できる様に思う。

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ヨーロッパで長距離移動の電車に乗っている時に、
昔は馬車で移動して、何日もかけながら
その景色を見ながらどういう気持ちで移動していたの
だろうと思う。

この動画では、ウィーンで借りた事のあるアパートの部屋の様子。
ウィーンでは日本では住んだ事の無い環境で
明るい刑務所みたいな部屋で生活したり(笑)
SNSや動画も当時モーツァルトが各地で見て感じた事を
手紙に書き記した様に、現代は当時に比べたら
容易にさまざまな情報を知れるのは恵まれた時代に
感じる。それでも、現地に行かなければ知れない
事がたくさんある。それは、今も昔も変わらないのかも
しれない。

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