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自己紹介

はじめまして。べるです。

「この人だれ?潜在意識?スピリチュアル?怪し~い」と思ってるでしょうから
自己紹介しますね。

その前に、

あなたは大切な人の死を
経験したことがありますか?


私が学生だった頃
突然父が亡くなりました。 (享年50歳)

病気ではなかったので心の準備などできず
いつか帰ってくるんじゃないかと
何度も何度も考えました。


当時のことは今でも鮮明に覚えています。


でもこの経験があったからこそ
わたしが熱量もって伝えたいこと。

それは

【今の人生最高ですか?】

この問いかけです。


いつ、どのタイミングで、
なにが起こるか分からないです。

でもだからといって
不安を抱える必要はなくて

ただいつ死んでも悔いがないよう
全力で生きることを
忙しく過ぎる毎日で忘れないでほしい

そう思っています。

では自己紹介に入ります!

-------------------幼少期-------------------

埼玉で生まれ、歌ったり踊ったり明るい子でした。

毎日外で友達と遊ぶ活発的な小学生時代。

人前に出たり目立つことが好きになり
気付けば女子グループのリーダー的存在に。

人生で最初で最後のモテ期でもありました。←自分で言っちゃう

当時は自己肯定感が高く
自分が最強メンタルでした。

人前で話すのも緊張するけど楽しい。
お楽しみ会などの司会には必ず立候補するように。

SPEEDや宇多田ヒカルさんが大好きで
将来の夢は歌手になりたい!
と思っていました。

そんなメンタル無敵な小学校生活でしたが
小学校高学年のときに他県へ引っ越すことに。

初めての転校は寂しさ半分
ワクワク半分といった心境。

新しい環境に
少しづつ馴染むことはできたのですが
住み慣れた埼玉とは違う田舎。

・テレビ東京が見れない。(おはスタ見たかった)
・ヤンキーが怖い。(ルーズソックスを履いて登校したら翌日、中学のヤンキーがごそっと小学校に乗り込んできた)
・田舎ならではのルール。

同じ日本なのに
すごく遠い場所にきたみたいで
はじめは新しい環境に慣れることで必死でしたが
少しづつ「私はよそ者」といった
疎外感を感じるように。

母からも
「目立つことはしないで」と
釘をうたれていました。

そんなことを考えるうちに
本当の自分が出せない
・本当の自分とは
・私はなんでここに存在しているんだろう
・私はなんなんだろう
・わたしとは・・・・ 
・幸せとは・・・・

そんなことを考えるように。


だれかに聞いてみたくても
「こんなこと聞いたら変な人って思われると嫌だな」
と思って聞けるわけはなく
『自分』について悶々と悩む日々が続きました。

いつのまにか
人前に出るのが好きだった性格は消え
人がどう思ってるか
他人の目が気になるようになっていました。

しかし音楽だけは没頭でき
唯一夢中になれる時間でした。

色々な歌詞に感動する度に
「人の心を動かす歌手になりたい」
という気持ちが強くありました。

合唱クラブにも所属したり
オーディションを受けたりと
歌うこともしてきました。

しかし表に出ることへの自信のなさや
夢を語ることへの恥ずかしさが芽生えていきました。

------------------思春期------------------

幼少期は歌手になりたい夢に対して
母から否定も肯定もされていませんでした。

しかし、中学生になる頃には
「歌手とか芸能人ってのはね、一握りの人しかなれないの。もう少し現実的な夢にしな」

母からそう言われ
多くの歌手が口にしてた
「願い続ければ夢は叶う」という言葉
これは私には無理なんだ

というブロックがかかりました。


中学になり両親への反抗が始まりました。

元々厳しい両親でしたが
わたしが密かにギャルへの憧れを持つようになり
両親の厳しさがエスカレート。

【あれはしちゃダメ、これもしちゃダメ】

専業主婦だった母親の監視にうんざり。

「よそはよそ、うちはうち」と言いつつも
世間の一般常識から外れることに対し
すごく嫌がられました。

皆に合わせておけば安心といった
典型的な日本人の考え方に
私は違和感を感じました。

家では両親との関係に悩み
学校でも本音が言えない。

そんなとき飼ってた犬が私を癒してくれました。
その愛犬の名前が【べる】です。

赤ちゃんの頃

私がどんなに悲しくても尻尾を振って喜んでくれる。
そんな存在でした。

このアカウント
【べる】という名前も
どんなときでも無条件に支えてくれた
愛犬からつけました。


話は戻りまして

家では反抗期、友達関係も本音が言えず
自分が分からない時期でしたが
好きな人との恋が実り
大好きな彼氏ができました。

彼が心の拠り所となり
『愛』で見える世界がこんなにも変わるのかと。
彼に会えるから学校行くのも楽しい!
彼に会うから美容に力入れて可愛くなりたい!
全て彼のために、彼中心の生活。

完全に依存しきっていて
今考えるとすんごく嫉妬深かった。


そんななか突然
埼玉へ戻ると親から告げられ衝撃が走ると同時に
酷い悲しみに襲われました。

「彼と離れたくない、絶対に行きたくない」

「彼ができて、やっと楽しい毎日に変わったのに
どうして、、、」

無力な私は家出をする勇気などなく
散々反発するが無謀に終わり
ただただ親の指示に従うだけでした。

そして彼と遠距離恋愛が始まりました。

早く大人になりたかった。
遠距離恋愛でも大丈夫。
彼がいるから大丈夫。
そう思い、新しい学校も頑張りました。

また人の目が気になりましたが
『私には彼がいる』
それが心の支えになり
つまらなくてもちゃんと学校は行きました。

会いにいくための交通費を稼ぐため
バイトも始めました。


毎日連絡をして気持ちを繋いでいましたが
彼の気持ちが冷めていく様子が
連絡頻度から分かりました。

そして、彼の気持ちが続かず
とうとう別れを告げられました。

本当に辛く、毎晩泣いてました。

彼がいたから新しい環境でも頑張ってこれた。
自分には彼しかいなかった。

その彼がいなくなった私には何が残ってるの。

そして悲しみはのちに
怒りへと変わっていきました。

引越しがなければ彼と続いてた。
私の人生をめちゃくちゃにされた。
両親が憎い。。
なんで両親の都合でこんな思いをしなきゃいけないの。親の強いたレールの上でしか私は生きられないの?


親への反発心がより一層強くなり
「私は絶対両親のようになりたくない」
「子供は親の所有物ではない」
「早く家を出たい」
「早く親から離れて自分の人生を生きたい」

自分の人生がうまくいかないことを
全て親のせいだと考えていました。


その後、進路決めのときも
特にやりたいことはなく
「料理はできたほうがいいと思うし、調理師になろうかな」
と言うと断固拒否。

「大学以外お金は出さない」
という親の指示に従い
行ける大学へ進学することに。


他の人からすると贅沢な悩みなのかもしれない。
でも私には
自分の意見を持ってもねじ伏せられることを経験し
自分の意見に自信をもつことが
できなくなっていました。

人に合わせてたほうが楽だし
自分がよく分からず
ただただ生きづらかった。。。

-------------------自由とは------------------

そして月日はたち、大学入学。

門限からも少し解放され
親からの干渉も少なくなりました。
自由となり、親と関わる時間も減りました。


新たな環境で、新たな出会いもあり
大学生活は新鮮で楽しむことができました。

合コン、飲み会、クラブ
毎日寝ずに遊び回っていたそんなある日、





父の訃報


頭の中は真っ白。

心臓の音が物凄いスピードになり
呼吸がうまくできなくなりました。


しかし泣きじゃくる家族を目の前に
長女である私は
「しっかりしなきゃ」という気持ちが先立ち
泣くことを後回しに、状況整理をしはじめました。


海外での死亡事故だったため
外務省への電話、様々な連絡や手続きを
「私がやらなきゃ」
その一心で自分の感情は後回し。


今思うとこんな状況でも
自分ではなく人のことを優先していたなと。


そこからはとにかく辛い日々。

自分も辛いけど
辛そうな家族や親戚を見るのも辛い。


なかなか現実を受け止められず
頭のなかでは

あぁすれば良かった
こう言えばよかった
もっとこうしたかった
もっと親孝行しておけばよかった
孫の顔を見せてあげたかった
なんでもっと話さなかったんだろう
未来を見せてあげられなかった
何もしてあげられなかった

長い反抗期を死ぬほど後悔しました。


次から次へと
できなかった後悔だけが私を襲い
失恋とは比べ物にならない心理的ショックでした。


今思うと、
こんなに辛い思いを一気にさせたら可哀想だから
先に失恋を経験させてくれてたのかも。

神様、この場を借りて
ありがとうございます。

当時、とにかく
たった1つ思ってたこと。

それは
『もう一度だけで父に会ってありがとうと言いたい』

でもこれは誰にも言えなかった。
そんなの無理だと分かっていたから。。


そんな不安定な状態でしたが
多くの本を読む時間を作り
多くの人、多くの言葉に励まされ
少しづつ立ち直ることができました。


そのとき潜在意識の本に出会い
とても興味をもち始めました。

そこから引き寄せの法則や潜在意識について
夢中になって学び始めました。


そして

【過去を書き換える】
この言葉でハッとしたのです。

私は過去、両親に反抗し続け父を亡くし
自分のしてきたこと
他責思考だったことを悔やみました。

父が亡くなった事実も
私が反抗し続けた事実も変わりません。


しかしそれがなかったら
潜在意識について知ることもなかったかもしれない。

今生きてることのありがたみを
ここまで感じなかったかもしれない。

全て私に必要だから起きている。

親孝行って何かをしてあげることだと思っていた。

でも私が今、幸せだと感じながら生きることが
亡くなった父への最高の親孝行なのでは?

そう気付かされました。


たくさん泣いて
たくさん悔やんで学んだこと。
多くの人の何かキッカケになるのかも。

そう思ったのです。


この経験があったからこそ、わたしが熱量もって

【今の人生最高ですか?】

の問いを伝えていきたい
と考えはじめました。


----------------スピリチュアル----------------

潜在意識を勉強していくうちに
少しづつ自分のことを認められるようになりました。


そして就職した先で、今の旦那さんと出会いました。

当時、彼は6年付き合ってる人がいたため
少し気になる存在ではありましたが
私には無理なのかなと考えました。

しかしここで潜在意識の知識を思いだし
潜在意識から彼と一緒になってる姿を
想像し創造したのです。

不思議ですよね。
気付いたら結婚して10年たちました。
ものすごく気が合うし一緒にいて楽。

これ言うと嘘だって言われるんですけど
ケンカしたことないんです。

いつも寛大に私のやってることを尊重し
自由にさせてくれ愛してくれる
最高の旦那さんと出会えました。


元々スピリチュアルや目に見えない世界、宗教には
あまり興味がないというか
「なんか怪しいな~胡散臭いな~」
っていうイメージしかありませんでした。


でも潜在意識ってすごいなと思うことが
活用しはじめると起こるんです。

そうなると自分の考えも
変わってきてるのが分かりました。


その後も潜在意識について100万円以上かけ
学び続けたある日

常識がひっくり返ることが起きました。



ある明け方、
夢と現実の狭間
鮮明に父が現れたのです。

私の家に、
目の前にいます。

私は思わず起き上がり
「お父さん、お父さん、ありがとう」
と言いました。

何も言わず笑顔で頷く父がいました。

大泣きしながら目を開けました。


もうそこに父の姿はありませんでした。


しかし今までに感じたことないくらいの
充足感と感謝の気持ちを体感しました。

そして
「あっ、これって潜在意識の力だ。」
と気付いたのです。

「いやいや夢じゃん」
そう思うかもしれない。
でも夢に出てきてほしくても、出てこなかった。

一般的には
会えるはずない、故人に会うなんて無理。
そう考え、思い出を噛み締めて
生きてる人も多いと思います。


でも辛かった時期に
私が立ち直るキッカケになった言葉があります。

「この別れは一生の別れじゃないよ。
またいつか必ず会えるから大丈夫。」


私はこの言葉を信じ
悲しい気持ちになるときは
潜在意識に言い聞かせてきました。



肉体はなくても魂は存在する。
これがいわゆる超意識と繋がることなのかも。

その日から

見えない世界への信用。

『もう一度だけ父に会ってありがとうと言いたい』
この思いが叶ったこと。

『「願い続ければ夢は叶う」は私には無理』
という幼少期のブロックが完全に外れました。

今までの人生
外側ばかりに意識を向けていました。

見た目、ファッション、体型、髪型、車、家、、、

もちろん大事です。

人からどう見られてるか
こう思われたら嫌だなとか
色んなこと気にして生きてきました。

でも誰の人生を生きているの?
そう昔の私に教えてあげたい。

潜在意識を活用してから
自分自身と向き合い
内側に目を向けることができました。

母とは今は良好な関係で
私自身、好きな仕事ができ
大好きなハワイにも行け、
ヨガで健康に、今生きていること感謝でき
毎日幸せに過ごしています。


自分がどうなりたいか。
いま、望んだ人生を生きているか。

【今の人生最高ですか?】

あなたの心に問いかけます。


潜在意識を活用することで
あなたの人生は
より幸福度の高いものとなります。

願望は潜在意識を活用すれば叶うんです。


そして今の私の夢は
歌手ではないけど
「人の心を動かせる人になりたい」という
幼少期の夢を実現するため行動しています。


私自身、辛かった時期に
多くの言葉、多くの人に支えられました。

今度は私が救う番です。

もし現状に不満や悩みがあるなら
過去を書き換えて
今の人生
最高の状態に変えていきましょう。

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