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今日はあれから4年

2016年3月22日火曜日。ブリュッセル同時多発テロが起こった。

あの日もうらうらと春の陽光注ぐ日だった。私は通訳の仕事で欧州議会にいた。空港の後の2つ目の爆発が起こったのは、メトロ最寄り駅Maalbeek(マールベーク)駅から市中心部へ向かって僅かに出たすぐのところで、欧州議会からは400mほどしか離れていない。テロリストたちは実は、あと一駅中心部に近く、王宮や議会などが集まるArts-Loi / Kunst-Wet駅での自爆を企図したものの、自爆装置の起動に失敗したためそこでの爆破となったようだ、というのは、後の報道が云うところである。

更に遡って2015年11月13日金曜日、パリ同時多発テロが起こった。私はベルギー代表のサッカーの試合中継を観ていた。主犯たちがブリュッセル北西部Molenbeek(モーレンベーク;日本語の報道はモレンベークという表記を採るが現地発音に照らすと正しくない)出身者、と、結構早い時点で特定されたこともあり、「次はブリュッセル」という予断の下、「テロリストを生んだ街の独占取材」的なTVクルーが続々と現地入り、メディアスクラム的な取材バブルが降って湧いた。翌週25日から戒厳令(ロックダウン)が発令、前後して取材陣も撤収し、パリ郊外で派手なドンパチがあった以外は幸いにして特段の何事もなく収束、2015年は暮れて2016年になった、のであった。

コロナウイルス対策として、屋外での集会の類は昨今は極めて厳しく制限されているために、今年はその記念追悼式典は限りなく縮小規模開催となった。テロのサバイバーである被害者の方々は、「残念だ」としながらも「今我々が直面しているのが何かは分かっている」と理解を示してくださっている。

ブリュッセル同時多発テロでは、死亡者は32人、負傷者は300人超だった。不幸中の幸いと云うべきか、日本人で被災された方はお二人だけだった。お一方は一時期は重症が伝えられていたが、今はどうされているのだろう。No news is good newsという、中学生英語の諺が改めて思い出される。

ウィルスとの戦いの方が、テロとの戦いよりも、見えない相手の見えなさ度合いが違うのもあってか、まだ、救いがあるような気がする。少なくとも、あのテロ後のどうしようもない閉塞感や、アラブ系の移民の皆さんがヘタするとみんな潜在的敵対者に見えかねなかったような空気感は、今はないだけ随分マシだと思える。あの時ほどは暗くない。しかし、終わりが見えていないのもまた、現実ではある。

2020/03/22日(日) 13時のニュースから

感染が判明し入院している人の数:1380(前日比+586)
のべ感染者数:3401
そのうち、ICUに収容された人の数:164(前日比+34)
退院者数:204
死亡者数:75(前日比+8)

本日のニュースとして特記しておくべきは、集中治療室のキャパシティが759床分増強されて合計2650になった、ということだろう。

昨日までの言い分だと、予想ピーク1300いくらか、に対してベルギーは既に1900超がICUで受け入れ可能だから余裕だし大丈夫、ちうことだった。

それを増強したよーん、というのはつまり、予想ピークが上方修正された、ということであり、だとすると、それ、誇らしげに言うところと、ちゃうんとちゃうん??と思っちまったんだが。

まあただ、フランス、オランダは少なくとも既に病床不足が伝えられているので、そこいらを実質サポート出来ますぜ、という、EU内アピールでもあったのかなあ、とも言えるのかなあ。

オランダの(ICUではない)病床数はイタリアよりも少ない、という話だし。

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