サッカーコーチの僕は昔サッカーが嫌いだった
自己紹介
現在社会人5年目の私の今の仕事は主に3つ。
「幼稚園の先生」「幼児体育の先生」
そして「幼児・小学生のサッカースクールのコーチ」である。
さらに言うならば、サッカースクールのコーチは雇われてコーチをしているスクールと自分自身で立ち上げてコーチを兼務しているスクールの2つを掛け持ちしている。
プライベートではJリーグチーム「アビスパ福岡」のサポーターでありよく応援に行く。
仕事でもプライベートでもサッカーに囲まれている今の自分の人生。
こんなにもサッカーが大好きなのだが、昔はサッカーが嫌いだった。
正確に言うと一度サッカーを嫌いになった。
実際、プレー経験は小学4年生〜5年生のみ。
それ以降サッカーをプレーしてこなかった。
それどころかスポーツすらしなくなった。
そんな自分がなぜ、またサッカーを好きになり、子ども達にサッカーの指導をしているのか。
それは自分の経験から子ども達に伝えたいことがあるからだ。
サッカーとの出会い
1993年5月15日 Jリーグ開幕
1993年10月28日 ドーハの悲劇
日本サッカー界でいろんなことが起きた1993年10月30日、私は熊本で生まれた。
父がサッカー大好きだと言うこともありテレビではよくサッカー中継が流れていた。
自分は正直そこまでのめり込んでいたわけではない。
でも父とよくサッカーボールを蹴っており、サッカーというスポーツは身近な存在ではあった。
そして小学4年生の時に本格的にサッカーを始める。当時熊本の小学校に通っていたのだが、その学校には部活動があった。
サッカー部、野球部、バスケ部、バレー部があり、入部は任意だった。
強制ではなかったので入らなかった人もたくさんいた。
私は「サッカーをやってみたい」という気持ちと「友達もやるから自分もしたい」という気持ちがあり、入部した。
小学4年生の時の顧問は若い男性の先生だった。
始めた当初は慣れない練習にきつさを感じることも多々あったが、日が経つにつれ顧問から褒められることが増え、自分自身も少しずつ上達してきたという手応えがあった。
サッカーがどんどん好きになっていたのだが、5年生になり転機が訪れる。
サッカーが楽しくない
5年生になると先生の異動により顧問が変わった。
新しい先生は中堅〜ベテランにさしかかったあたりの男性の先生だった。
イメージとしてはすぐ怒る、怒鳴る、そんなイメージがあった。
それでもサッカーはまだ好きだった。
ある日の練習試合。相手のボールが自分の顔面に当たり鼻血が…。
そのまま交代したが、そのときはもっと試合に出たかったと思えるくらい悔しさがあった。
試合に出られないことに悔しさを感じる。
それだけサッカーが好きになっていた。
しかし日に日にサッカーが楽しくなくなっていってしまう。
ミスをすると怒られる。
それが怖かった。
好きなサッカーを上手くなりたいという意識だったのに、怒られないためのサッカーをするという意識に変わっていってしまった。
そんな中迎えた夏の試合。
忘れられない大きな出来事が起こる。
この大会は負けたら終わりのトーナメント形式。
そんな大会のある試合にて。
自分はベンチスタート。試合は点の取り合いだった。
そんな中途中出場で出番が回ってきた。
攻撃的ポジションで途中出場。スコアは5-4の1点リード。点を取りたくて取りたくてしかたなかった。
そんな中、味方が出してくれたパスを受けてキーパーと一対一に。思い切り打った力強いシュートはキーパーの手に当たりながらもボールはゴールに吸い込まれた。
やっとの思いで決めたゴール。すごく嬉しかった。
試合はその後1点を返されるも6-5で試合終了。
結果的に自分のゴールが決勝点になった。
チームメイトみんなが祝福してくれた。
「やったな」「決勝点やん!」「ナイスシュート」
自分のゴールでチームの勝利に貢献できたことがすごく嬉しかった。
そして試合後のミーティング。
顧問から飛び出した言葉は今でも覚えている。
「この試合は10-0で勝たないといけない試合だった」
正直なぜこの言葉を発したのが理解できなかった。
大人になった今考えてみると、「勝ったからと言って浮かれてはいけない」「次に向けて切り替えろ」という意味合いがあったのかもしれない。
僕らの試合中の態度が悪かったのかもしれない。
しかし、これはあくまでも15年後の今の自分の想像でしかなく、顧問の言葉の真意はわからない。
仮に例えそういう意味があったとしても当時の自分の心には届いていない。
聞き手に伝わらなければ意味がない。
「10-0で勝たないといけない試合だった」はただの結果至上主義の言葉でしかなかった。
そして何より褒めてもらえなかったことが悲しかった。
認めてもらえなかったことが辛かった。
次の試合。チームメイト全員が「10-0で勝たないと…」という意識になっていた。
試合は点が入るたびにみんなで「あと◯点」と声を掛け合った。点が入っても喜びを表現することなく、得点をカウントダウンするという相手チームを煽っている状態になっていた。
相手チームへのリスペクトがなく、顧問に怒られないためには点を取らないと、という間違った意識になっていた。
試合は結果的には10点を取って勝利し、自分もスタメンで出た。ただ試合自体は全く楽しさを感じることなく点も取れずに試合を終えた。
限られた時間の中でもしミスしたら、自分のせいで10点に届かないという恐怖があり、「ボール来るな」とさえ思った。
試合後のミーティング。
顧問は「次もこの調子で」と言った簡単な言葉のみだった。
チームは決勝に進出できた。
この大会のトーナメントは1回戦から準決勝までは1日の中に詰め込まれていたが、決勝戦のみ別日だった。そのため、この日は一度解散。決勝戦の日に改めて集まった。
(翌日だったか翌週だったか…さすがにそこまでは覚えてないが)
決勝はスタメンではなかった。ただ、この大会は交代人数の制限がななく、きっとどこかで出番があると信じていた。
自分の心の中では「今までの試合もそうだったし、この決勝戦1試合のために遠征に来た。どこかで出れる」そう思っていた。
試合は相手の一方的な展開でチャンスを作れない。
そしてベンチスタートのメンバーが次々と交代で投入される。なかなか自分の名前は呼ばれない。
まだかまだか。そう思うもただ時間だけが過ぎていく。呼ばれてほしい。試合に出たい。呼んでくれ。
そう思うもタイムアップ。試合に出れず。チームも敗れた。
決勝で出れなかったメンバーは自分を含めて2人のみ。
「え、出られなかった」「なんで」「ほとんどみんな出たのに?」
頭の中は真っ白だった。チームメイトみんなの自分を見る目が痛かった。私はみんなの顔を見れなかった。
応援に来た父親からは「あれ?出なかった?」と聞かれ、自分自身が情けなく思わず「ディフェンダーで最初の方に出たよ。ディフェンダーだから遠くて見えなかった?」と思わず嘘をついた。
試合後のミーティングで、顧問はみんなの前で「試合に出れなかったお前らは〜」と何か理由を言われたが内容は全く覚えてない。どんな言葉も耳に入らなかった。それだけショックだった。
試合に出られなかった理由は何だったのか。きっと自分に問題があったのだろう。顧問が判断したのだからしょうがない。今思い返せば自分はまだまだ未熟な人間だったと思う。
ただ顧問は何を伝えたかったのか。真意がわからない。
最初は好きで始めたサッカー。
自分がやりたいと思って始めたサッカー。
楽しいと感じていたサッカー。
そんな風に思っていたのにいつのまにか意識が変わっていた。
「任意の部活に入らなければもっと遊べていたであろう休日や放課後になんで顧問に怒られないようにサッカーをしなければならないのか。
自分は顧問に怯えながらサッカーをやり、結果的に決勝戦には出れず、怒られるために遠征に行ったのか。」
自分の気持ちは完全に冷めきっていた。
最初は自分が単純にやりたくて楽しみたくて始めたサッカー。それが怒られないためのサッカーになり、なんでこんなことをやっているんだろうとなってしまった。
そして「楽しくない。やめよう。」と決めた。
今思えば自分が甘えている部分もかなりある。
まだまだ自分自身未熟だったしルールの理解や戦術理解も足りず、サッカー本来のおもしろさに気づけていなかったと思う。
もっと自分もやりようがあっただろう。
試合に出られなかった悔しさをパワーに変えて次につなげることができなかったのは確実に自分の甘い部分だった。
だか後悔しても後の祭り。
当時子どもの自分にはここで前向きに考えることができなかった。
ちなみに自分を含め3人がほぼ同じ時期にサッカーを辞めた。
「楽しくなくなった」
自分のサッカープレイヤーとしての人生はここであっけなく終わった。
指導者なんて信用できない
サッカーを辞めてからあまりサッカーそのものに興味がなくなった。
友達と遊ぶのもサッカーより野球をするようになった。
もともと全く興味のなかった野球だが、サッカー辞めてから野球って面白そうだと思った。
父親に野球のグローブを買ってもらうくらいに野球に興味津々。
もうサッカーなんてどうでもよかった。
そんな中自分は小学校6年生の2学期に親の仕事の転勤で福岡へ引っ越す。
心機一転と思ったがあまり気持ちは前向きになれず。
体育や学校のクラブ活動でサッカーをしても全然楽しめないままだった。
そして福岡市の中学校に進学。
中学校に入学してすぐ、みんなが部活を決めていく。
しかし自分は部活には入らなかった。体験入部すらしなかった。
やる気が全くなかったのだ。
友達が「バドミントン部入ろうよ」「陸上部入ろうぜ」「テニスしよ」と誘ってくれたがやらなかった。
(ちなみにサッカー部は中学校にはなかった。あっても入らなかったと思うが)
興味のあった野球もそれとこれは別問題。
入部するつもりはなかった。
担任からは「何かしないのか」「みんな何かしらやってるぞ」と問われた。
部活動は強制入部ではなかったが、みんな部活に入っていった。
入っていない人は「サッカー・空手・水泳」等何かしらの習い事をしていた。
それでも自分は何もしなかった。
当時の自分はなかなか自分の意見を言えず、周りに流されやすいタイプだったが、この時だけは何を言われても意思を変えることはなかった。
なぜ?
好きなサッカーを嫌いにさせた部活動。
好きなサッカーを嫌いにさせた指導者。
そんな思いをしてなぜまた部活をしないといけないのか。どうせ指導者は怒るだけ。
怒られないように、と顧問の顔色を伺うような時間を過ごすことになんの意味があるのか。
かなりひねくれていた。
ただこの時は本気でそう思っていた。
結局中学時代の3年間は無気力な日々を過ごした。
ただ、そんな無気力な日々を過ごしている中、再びサッカーに出会う。
サッカーのおもしろさに気づかせてくれたアビスパ福岡
熊本に住んでいた頃、当時の熊本にはJリーグチームはなかった。そのせいもあってか、自分がサッカーをやっていた時期に実際にプロのプレーを観たことがなかった。
(今ではロアッソ熊本があるが、当時はまだJFLあるいは地域リーグに位置していた。)
福岡に引っ越してきたことでアビスパ福岡というJリーグチームがあることを知った。
正直最初は「サッカーはどうでもいい」と思っていたし、野球の方が好きだった。
実際福岡に引っ越してすぐにプロ野球、福岡ソフトバンクホークスの試合を観に行った。
ドーム球場の広さに感動し、当時のホークスの選手である松中や城島らを見て楽しんでいたのを覚えている。
そして野球観戦からしばらくしてリーグチームのアビスパ福岡を観に行った。
初観戦の時のことは正直そんなに記憶には残っていない。
「サッカー場もドームに負けず壮大だなぁ」程度。
あと「サポーターってずっと歌ってるんだな、疲れないのかな」と。
正直ホークスの方が楽しかった気がした。最初は。
しかし、父はアビスパの試合に何度も連れていってくれた。(野球もちょこちょこ見にいったが)
そしてアビスパの試合を見れば見るほど自分の心の中で眠っていたサッカーへの想いがふつふつと蘇ってきた。
当時観にいっていたアビスパ福岡はJ1(一部リーグ)だったが、なかなか勝てず苦しい時期だった。
それでも選手達はピッチでがむしゃらにプレーし、サポーターは大きな声をだしたり手拍子をしたりしてチームを鼓舞する。
そして勝利を掴むと選手、スタッフ、サポーターみんなで喜び合う。
サッカーのおもしろさを思い出した。
いや、違う。サッカーの本当のおもしろさを知ったのだ。
このシーズン。アビスパは入れ替え戦の末、J2(二部リーグ)へ降格。降格が決まった試合も観に行ったがこの時のスタジアムの雰囲気は今でもはっきり覚えている。
みんなが涙を流して悔しがっていた。
「サッカー」という一つのスポーツに対してここまで感情移入できることがすごいと驚いた。
サッカーってこんなに面白いのか。
アビスパ福岡が大好きになり、サッカーにのめり込んだ。この時中1の二学期の終わり。
今更サッカーをやろうとは思わなかった。
ただ、サッカーのおもしろさに気づかせてくれたアビスパ福岡にもう心が魅了されていた。
もっとはやく出会いたかった。そう思った。
自分がサッカーをプレーすることはないが、アビスパ福岡を応援し、Jリーグや日本代表の試合をかなり観るようになっていった。
学校から帰れば片っ端からサッカーの映像を繰り返し見て、サッカーにのめり込んでいた。
幼稚園の先生になって気づいたこと①
それから日が経ち、私は幼稚園の先生になった。
可愛い子ども達に囲まれて過ごす幼稚園の先生としての日々。楽しくて楽しくて仕方がなかった。
そんな中、子ども達の姿を見てあることに気づいた。
ある日。子ども達が体育の先生と体育をしている。
私はサポート役としてその活動の中に入っていた。
その時の子ども達の楽しそうな表情がすごく印象に残った。
「スポーツ」ということに対して子ども達が素直に楽しんでいるその姿を見て、これが本来の「子ども × スポーツ」の形だと思った。
そして自分の過去の経験を思い出した。こんなに楽しそうにしている子ども達に自分と同じような嫌な思いだけはしてほしくない。シンプルに楽しんでほしい。ずっと楽しんでいてほしい。そう思うようになった。
幼稚園の先生になって気づいたこと②
幼稚園では子ども達に「大きくなったら何になりたい?」と聞くことが多々ある。
幼児相手に聞くので噛み砕いているが、いわゆる「将来の夢」である。
皆さんには将来の夢はあるだろうか?
私は高校生になってから「幼稚園の先生になりたい」という夢が見つかったがそれ以前は夢について聞かれても何も答えられなかった。
高校生の頃、周りの友達で夢がないと嘆く友人は多かった。
今の小学生でもなかなか答えられない子が多い。
しかし、幼児はみんな「大きくなったら〇〇になりたい」と答える。
そして私は気づいた。
幼児は「好きなもの=大きくなったらなりたいもの」になっている、と。
サッカーが好きな子はサッカー選手になりたい。
先生が好きな子は幼稚園の先生になりたい。
ケーキが好きな子はケーキ屋さんになりたい。
お花が好きな子はお花屋さんになりたい。
踊るのが好きな子はバレリーナになりたい。
ヒーローが好きな子は仮面ライダーになりたい。
歌うことが好きな子はアイドルになりたい。
YouTubeが好きな子はYouTuberになりたい。
虫が好きな子はカブトムシになりたい。
これはあくまで一例だが、私が今まで関わった子で実際に答えた「大きくなったらなりたいもの」である。
思わず微笑んでしまうような答えがたくさんあるが子ども達はいたって真剣に答える。
子どもは純粋な気持ちで、大きくなったら好きなものになりたいと思うものだ。
しかし子供は成長すると自分自身を客観的に見れるようになる。そして自分を他人と比較するようになる。
すると自信がなくなってしまい、夢を言えなくなる。
例えば「サッカー」
最初は単純にボールを蹴ることが楽しくて始めたサッカー。無我夢中でボールを追いかける。
それが年齢が上がると周りと比べるようになってしまう。そして「〇〇くんに比べて自分は下手だ」と思うようになったり、誰かに余計な一言を言われてしまったり…
大人で「好きならもう少し頑張ろうか」という人もいるがそんなの言語道断。そんなやる気をなくすような言葉は絶対に言ってはならない。
こんなことがあると自信がなくなり怖くなり好きなものを堂々と言えなくなり…「夢が言えない」となってしまう。
しかし幼児期の子供は堂々と言う。
実現可能か不可能なんて関係ない。真っ直ぐな瞳で子どもは答える。
その気持ちを大人はしっかりと汲み取る必要があると思う。
子どもから見える世界は狭い
大人の皆さん。
例えば「サッカー」のお仕事といえば何を思い浮かべますか?
私は「サッカー選手」「サッカースクールのコーチ」「ユニフォームやスパイク等を作る人、売る人」「トレーナー」「ホペイロ」「サッカーチームの職員」「ライター」等、ぱっと考えただけでこれだけ思い浮かんだ。
しかし、子ども達に同じ質問をしてもサッカー選手以外の答えはなかなか返ってこない。
それは単純に子どもから見た世界はまだ狭く知らないことばかりだからだ。
大人になるにつれ、知識が増え世界が広く見えるようになる。
大人になった時の選択肢は多い方がいいはず。
しかし、子どもの頃から「あれも無理これも無理」と諦めてしまうと大人になった時に選択肢がなくなってしまう。
子どもの時に興味を持ったことや好きになったものは決して嫌いにならず、心の中にその想いを留めていてほしい。
子ども達に伝えたいこと
はじめに言ったように私は幼稚園の先生をしながら、別の場所でサッカーや体育を教えている。
サッカーに関しては自分のスクールの立ち上げも行った。
立ち上げるために幼児体育指導検定やJFA公認ライセンス等の資格を取った。
そこまでして子供達に伝えたいこと。
それはサッカーを通して好きなことをとことん楽しんでほしいということ。
サッカーをやったってサッカー選手にはなれないかもしれない。しかし、せめてそれを好きでいてくれれば。大人になった時の選択肢はたくさんあるはずだ。
だから私は大好きなサッカーを通じて、まずは好きになってほしい。好きなものを楽しんでほしい。
上手い下手関係なくそれを好きでいてほしい。
自分自身が一度好きだったサッカーを嫌いになった過去があるからこそ、子ども達にしっかりと伝えていきたい。
夢がなくてもせめて好きなことがあればいつかそれが夢につながるかもしれない。
自分がそうだから。
サッカーは決して上手ではない。経験も少ない。それでも大好きなサッカーが日常にある。
子ども達のために自分の経験を伝えていきたい。
夢の応援はもちろん。
それだけでなく、夢を見つける手助けをしたい。
夢=好きなこと
だから好きなことをとことん楽しめ!
それが私が子ども達に伝えたいこと。
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