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「やらなくていい理由」を探すのをやめるには。


こんばんは!相変わらずの不定期更新ぶりですが。。。
ずっと何か書きたいことがあるようででも違うようで、、、と考えたり少し書いてみたりしては消してを繰り返してたのだけど、ついにこれだ!と思うことがあったので夜中の12時から書き始めてみる。


 プログラムが個人プロジェクトになり、毎日みんなと会うことはなくなったが、ひとりでやるのではなくいかにこれまで培ったチームの輪を持続させられるかとか、1人の学びではなくてチームとしての学びにできるかというところも意識がプログラムとしても、チームメイトみんなの中にもある。なので例えばco-workingしようよということだったり、遊びに誘ったり、お互いに合うタイミングを定期的に作るようにみんながかわるがわる誘って好きな時に参加したり、しなかったりできるコミュニティ作りが行われている。
今日は(un)learning & emerging という週1定期開催企画の日だった。毎週2人スポットライトにいる人が、その人のプロジェクトにおいて困っていることや悩んでいることについてみんなで聞き合ったり、アイディアを出しあったりするというもの。ファシリテーターが毎回変わるので、週によって雰囲気が変わるのが面白い。

 

 ここ最近ずっと私を悩ませているこの個人プロジェクト。あまりにも自由で、あまりにも一人ぼっちな気がして、これまでにも何回か書いてあるように不安はなかなかなくならないし、時間はたくさんあるのになぜか何もできないまま進んでしまっている。どうしたもんかと。

ただ今日2人の話を聞いてて、どっちの気持ちもうわー死ぬほどわかるなあ、、と思ったのである。その一方で、この人たちただ自分の殻からでることがあまりにも恐ろしくて、でもその恐怖に気づきたくないから色んな理由つけて目を背けているようなだけにも少し見えてくるなあとも。
みんなそれぞれに違うやりたいことやプロジェクトを持っているけど、誰も絶対できないようなこと(例えば自分だけで宇宙に行くとか)を掲げているわけではない。細かく再分割してタスクにしていくとひとつひとつはとても単純で誰にでもできそうなことなのだ。またはただの気の持ちよう次第でできることなのだ。

が、それがなかなか難しい。


 今回のプロジェクトは必ず他の団体とコラボすることが条件となっているのだが、それがなかなかに難しくて、みんながコラボする相手を見つけることに苦戦している。
そこを受けて1人のチームメイトが、学校側が押し付けるような形でなくとも、コラボできる可能性のある団体を提示してくれればいいのにね。という話をした。

私もそれに大きく同意した。
ここ最近の日々で自分だけの意思でやりたいことなどあまりないのだなあ、と思わされているからだ。でも誰かが必要であればそれをいくらでもやりますよ!なんて思っていた。必要かどうかわかんないのに自分からやります!というのはなんだか独りよがりすぎて自分には向かないのではないかと思えてきたのだ。


が、別のチームメイトがこう言った。

私は逆に、この自由がすごくいいと思うな。だって実際の社会/世界は誰かが候補者リストみたいなものを提示してくれることなんてないでしょ。私もコラボしたい団体はすでに見つけていて、連絡してみたらいいのに、ただそれだけがすごく怖いんだよね、むずかしいことなんて何もないはずなのに。(かなりニュアンス)

その時すごくハッとした。

いやそうじゃん、私はやらなくていい理由を探してただけじゃないか。と。


 そっかーこのプロジェクトのカナメはそこにあったのか。。。


 これまでのプログラムは毎日学校に通って、毎日インプットがあり、チームで何事も取り組んでというスタイルである意味そこにいけば私が何もしなくとも全てが提供される形だった。私は受け取るのはすごく得意だから毎日充実してるなあなんて思っていたのに、1月から急に何もなくなってただ膨大な自由だけが与えられて、
え?プログラムは?こんなの何も学びにならないじゃん、、私は何かを受け取ることを求めてたのになんか期待外れな感じがするなあ。
と思い始めていた。が、それは違う。おそらくこの状態を作ること自体にプログラムとしての意図があったのではないかと思わされたのである。


 カオスパイロットは元々アントレナーシップ(起業家精神)を学ぶ場所で、ベルリンのはアクティビズムフォーカスとはいえ、プログラムのどこに元々の要素があるのだろうとずっと考えていた。

カオスパイロットのことを簡単には説明することができないなか、年末実家に帰り母と話している途中で今こそここだ!と思う瞬間があり、私が今どんな学びをしているのかについて話したことがある。

カオスパイロットの醍醐味とは、「勇気を出す出し方を学ぶこと」なのではないかと私は思うのだ。

 少し前にも書いたedge workのプロジェクトが私はとても好きだった。たった2週間だし、実際何かしたのはその中で2日とかだったのだけど、そのあと自分の態度が大きく変わったのを実感できたからだ。たぶん人は知識とか方法を求めて学びに来るのだろうけど、1番のミソはそこではなくて、恐れずに何かをやってみる、チャレンジしてみることただそれだけにあるように考える。


 ということを12月の時点でわかっていたのだが、それまではチーム内でやっていたため、自分はチームの中だからできたことだったのだ、と言い訳して今1人でやらなければいけない状態から目を逸らしていたのだ。



 先週までずっと、なんで私はこんなに弱いんだろうと思い続けていた。12月まで出せていた勇気が今や全くゼロじゃんか。なんでだよ。。。1人だからか。。。
って考え続けていたが、なんか急にこのモヤモヤが晴れた。

違う違う、何かに勇気を出してやってみるそのこと自体を面白がればいいのだった!


そして書いてて気づいたが、前にやったedge workも1人でやったことじゃないか!


 私は今すぐ何か企業するという気持ちはないのだけれど、ああ人って企業する時こういう気持ちなんだろうなと最近よく思う。そしてここでチームリーダーが言ってた言葉を思い出す。

 「このプログラムのいいところは全てのプロセスを経験できることなんだよね、ここで今ぶつかったことが将来絶対同じように起きる。その時にあーね!あの時やったこれね!って思えるというのがいいところなの。」

わー間違いなくそうだ。
例えばチームないで意見がまとまらないとか、アイディアが出てこなくて煮詰まるとか、そもそも何かを始める一歩が踏み出せないとか、
はからずとも私たちは全てを経験している。そして完璧な方法とは言えなくとも、どう対応すればよいか(もしくはどう対応したらうまくいかなかったか)を知っている。
私が今困っているコラボ先を探すとか、メールを書くということ自体は死ぬほど簡単な作業なのに、それでもできないみたいな気持ちとか。。。


すごいプログラムだなあ、、、、!!
と改めて感じさせられる。


 この感覚に再び気づけたことは自分で大きな一歩だったように思う。
自分が持っている何かしらへの恐怖そのものはなくなりはしないのだけど、
これまでの「なんで私はこんなに弱くて、こんなこともやることできないのだろう。これをした結果相手がどう思うかな、、。失敗もしたくないし、できればやりたくないなあ。。」から、

「確かにこれにチャレンジするのは怖いこと。でも作業自体はすごく簡単、相手がどう反応するかどうかが大切なのではなくて、ここで勇気を出してやってみたというところに意味があるのだ」
というマインドセットに変えるだけで、私のやる気とできそうという気持ちがかなり増える。


 そうだ、そうだ。私は意外と勇気が出せるタイプだった!


受動的だった気持ちが能動的になれればこっちのものだと思う。うむ、いけるかもしれない、、、!!

そうしたらn=1を一般化させるにはどうしたらいいのかに考える方向が変わってきた。

私がみんなにもたらしたいものはこの感覚なんだよなあ。。。

人は受け身である限り変われないと思う。なんというか感覚の話で伝えにくいのだけど、前のめりな気持ちがまず必要で、それがないと勇気は出せない気がしている。
まわりのチームメイトを見ていても、勇気を出してみることを楽しめている人と、その感覚がわからずにうーむなにかがうまくいかないようと思っているふうに見える人たちがいる。
私は自分のことを世界で1番ぐらい弱っちい人間だと思っているので、自分の殻の中でぐるぐると考えてしまう人の気持ちが痛いほどわかるし、ついさっきまでの私もそうだった。
けれど私は、そこから抜け出した経験が過去に一回(edge work)があるから、いつでもというわけにはいかなくとも、今日のようにまたいつかは悪循環な引きこもりマインドに入っても、そこから抜け出すことができるのではないかと思えるようになってきた。

最初の一回のきっかけを他の人たちは、どう作っていくのだろうか。

なんで考えながら1時がすぎたのでそろそろ寝ます。
今日の会話からインスピレーションを受けて明日は1人courage festivalをやろうと思います。


 

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