♯17 耳管開放症という障害。
新生活
六年生になった頃何度目かわからない引っ越しが始まった。
すごくすごく狭い、当たり前の隙間風にドラマに出てくるような虫もたくさんの家からいきなり引っ越した。
あの時の小さなワンルームの家賃がいくらだったかは知らない。
ただ今もひっそりと建っている。
誰かが住んでいる形跡もある。
部屋のどこに何があったかも、匂いも、独特な時の流れも肌で覚えている。
何も知らされていない中、急に今日から引っ越すよと掃除用具を持たされ、歩いて10分程度の新しい家に行った。
一人で掃除をし始めたのをすごくよく覚えているが、よく家にきていた関西人のおかげさまで正直ここから中学後半までところどころしかお伝えできる内容がないのが残念だ。
言える事といえばお察しの通り私は相変わらず不登校で、耳鼻科も行ったところで良くならず。
変わった事はガッコウからグレードアップして直接鼻から耳管へ空気を送り込むやり方になったくらいだ。
以前も話した自分のタイミングで唾を飲み込み、凹んだ鼓膜の張りを戻す。
バリバリという音と感覚を思い出すだけで未だに悪寒がする。
これはもう一種のトラウマだ。
もう一つグレードアップしているのが鼻に刺す綿棒の数。
インフルエンザや、最近の流行り病であるコロナの検査時のような長い綿棒。
それに薬液、麻酔を含ませ鼻の奥に差し込む。
片方ずつ一本だったのが多い時は両鼻合わせて6本。
痛いのなんの。
人の鼻は思っている以上に広いようだ。
鼻に刺さってくるあの感覚だって、匂いだって、生涯絶対に忘れることはないだろう。
もう一つは保護少年の家に行っていたこと。
不登校、障害、いじめ、多様な問題で学校に通えない小学生から中学生までの子達が集まるフリースクールに参加していた。
私と同じような症状を持った子はいなかったが、それぞれ至って普通の人生を送って来ていないようで、みんながみんな互いに良い意味で気を使っていた。
わざわざなんで来たのかも、なんでこうなってしまったのかも聞かない。
返答に困ってるようであればすぐに話をやめる。
別にそんな風にしろなんてそこにいた先生方から指導があったわけではない。
個人個人が自分たちがされて嫌だった事を相手にしない、ただそれだけだったように思える。
だからこそ私が掠れ声だろうが、ジェスチャーしかしなかろうが誰も気にも留めずこちらの意図を汲んでくれて笑っていてくれた。
非常にありがたい場所だった。
そこは学校と同じように勉強もするが持ち込むものにあまり規制はない。
携帯、イヤホン、ゲーム機。
私はイヤホンをよく使っていた。
今もそうだが当時から私はカナル型を使えない。
できればヘッドフォンが一番楽だ。
そもそも気圧の問題、耳の中の湿度、圧、鼻すすり、色々考慮してもカナル型は使わないほうが良いだろうし、耳管開放症の子は使えないって表現の方が正しい気がする。
あくまでも私の見解だけれど。
有名なワイヤレスイヤホンだと第二世代の形を愛用している。
当時もそうだった。
音の響きが酷い方の耳にイヤホンを差して、自分の呼吸や声が聞こえないくらい流れる音楽の音量を上げる。
相手に失礼になるからこそ必ず理由も説明して。
まあ説明したところで納得しても理解はしていなかったかもしれないが。
このやり方は非常によくない、やってはいけないことはもう重々承知だ。
本当にやってはいけない、聴力も痛め発音にも問題が出る。
絶対にやらないでほしい、と言いつつ未だに私はやってしまう。
自分の精神衛生を保つやり方をこれしか知らないから。
今はこの時に聞いていた歌は総じて聞けない。
これもさっきと同じただのトラウマだ、誰しもがあるただの悪い記憶。
余談だがここでお世話になったのは約半年。
記憶はもう曖昧だけれど、不登校児童の多さが問題視され特別教室が設けられたという事でそこに移動した。
もちろんそこにも来れない子達なんて山ほどいるわけで。
特別教室に来ていたのは私含め七人。
私たちを管理、監督するのは学校に一人はいるスクールカウンターの女の人。
私はこの人に発音を結構指導された。
今まで言われてこなかったから知らなかったがこの時の私は、さ行とら行が曖昧だったらしい。
それは今でも生きている、ありがたい記憶。
子供の発音はよく聞いて覚えておいて。
何か引っ掛かったらすぐに信頼のできる耳鼻科に行ってほしい。
本人が気づかないところで進行している病がある可能性もあるから。
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