♯18 耳管開放症という障害。

言葉の発達、言語の取得

子供は大人の声、言葉を聞いて反復し覚えていく。
その大事な時期に耳の病を長期的に抱えていると当然正しい言語が身につかない。

例えばタ行とサ行がごちゃごちゃになっていたり、イントネーションや言葉の覚え違いが多かったり。
聞こえている言葉の通りに発音していく、そもそもそれが正しく聞こえていない。

後々大きな問題になっていくのは何となく分かるだろう。
子供は非常に柔軟性があるとはいえ、一度覚えた言葉をそう安易とは変えられない。

私の場合、いや手術をした今もそうなのだが、発音する際に苦手な舌の動き方がある。
それが舌の根っこを動かす発音だ。

う、く、こ、て、と、る、ろ、よ、を。

今声を出さなくてもいい、ただ口の動きを作ってみてほしい。
喉を開くような口の動かし方、これが未だになるべく開かないように、舌を動かさないように話してしまう。

親しい人の前以外はなるべく気をつけているので幸い指摘される事はもうほぼないが、実際気を抜くと舌ったらずとも言われる事がある。
どうしても抜けない癖の一つ。

なぜ苦手か、これは個人的な感覚なのかもしれないが耳管が開きやすい発音だから。
この発音をするとボコボコとした音の後に自分の声が響く、異常なほどに。
呼吸も苦しい、うるさすぎて。

なるべく自分が楽なように曖昧に相手に何となく伝わればいいか精神で話していた。
だからこそ中学のスクールカウンセラーに指摘されたのだろう、この時に自分が嫌いな発音の種類を改めて認識する事ができた。

話は逸れるが、私は平均身長より七センチほど高い。
それでも少し見上げるほどのすらっとした若い女の先生だった。

ここだけの話、吃音の子が居たでしょう?
だから何かできる事がないかなって思って言語の勉強をしてるの、と言っていたのを覚えている。
その先生もお世話になったのは半年足らずで以降会うこともなかったけれど、自身の耳事情を考えるきっかけにはなった。

余談だが私は小学生から中学生の間に何軒も皮膚科を受診していた。
足の皮膚の異常で通っていたが、なぜ何軒も行っていたかって行く病院行く病院言われる言葉が『原因が分からない』だった。

勿論これだろうと診断してくれた病院もあった。
治療の際の酷い対応と、看護師もグルとなったセクハラさえなければ行っていたかもしれない。

話が大きく逸れてしまうので我慢し割愛するが、最終的に治療をしてくれた病院が私の生まれた総合病院だった。

対応してくれた先生はとても良い先生だった。
白い歯が目立ち、顔も整い過ぎている若い先生、些細な話さえ詳細に覚えてくれている先生。
どの科に入院してもこの先生は知らない人はいないって看護師が黄色い声をあげて騒ぎ立てていたドラマに出てくるような先生。

まぁ実際引くほど某俳優には似ていたが。

この皮膚科の先生は私の耳について聞いてきた。
私が鼻を触って、耳抜きを頻繁にしているから引っ掛かったのだろう。
今通っている耳鼻科の話もした、私が通っている耳鼻科の女医はこの総合病院出身だ、勿論知っていたらしい。

なかなか耳も足も治らないし、クラスは今更行く気もないし、なんて他愛のないただの話。

特別な返答はなかった。
ただまた来週ねなんて言って終わり。

次に行った時にいつもの処置をしながら、学校には行った?まだ行ってないのか、まあそれもありだなぁ。

あのさ、耳鼻科に行ったらここに紹介状を書いてくださいって言ってごらん。
それでここに来たら治るかもしれない、ね?

そしてこの病院に来るのが今日で最後ですってなったら、ここの先生が紹介状を書いてくれるんだけどその時に違う病院に行きたいですって言う。

覚えた?できる?大丈夫かな?
これは秘密ね、先生からの大事な宿題です。


私はちゃんと宿題をやりました。
秘密はごめん、もうここに書いてる時点で守れていないけれど。

三年かかる、再発もするだろうと言われていた皮膚の疾患は半年くらいで治っちゃったし、再発もしていないのはこの医者が名医だったのか。

病は気からなのか、どうでしょう。

この大事な宿題がなければ私は、今私はここにきっと居なかったと思います。

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