ソロゲームに関して少し述べるとすると(A few words on solo games)

本記事は、Joe Farrell氏が2022年10月29日に投稿した「A few words on solo games」の翻訳である。

ボードゲームにおいて、ソロゲーム(ソロモード)が搭載されることは当たり前になった。ただ、ソロモードは、ボードゲームにおけるマルチプレイとは異なるように思われる。そういった異質さゆえに、掘り下げる価値があると思われる。

また、日本ではソロゲームが搭載されることは増えたものの、いまだ少ない。海外では、ソロゲームに関する巨大なコミュニティが形成されているにもかかわらず、日本ではあまりソロゲームについて語られることはおよそない。日本でソロゲームが発展することを目指した真摯な活動すらない。日本においても、ソロゲームについて何かしら発展がみられるといいなと思っている。

元記事は以下のリンク先を参照されたい。ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリー機能を利用させていただいた。

この数か月間に、BGGのメインページのGeekLists欄をチラ見した人なら、おそらく、膨大なベストソロゲームのリストに気付いただろう。1 Player Guildが、毎年恒例の上位200のソロゲームのリストを作成して、みんなにランキングを登録するように呼びかけている。そして、多くの人たちが、投票からGeekListsを作り出している。

昨年、私はこのリストを作成したけど、それ以降にプレイした新しいソロゲームの数は少なくて、今回は投票に参加しないことを決めた。この1年で、繰り返し遊んだソロゲームは数個しかない。

その理由の一部には、ゲーマーの大きなコミュニティのある街に住んでいるという幸運に恵まれたということと、私の妻が私とゲームを楽しんでくれるという類まれなる幸運に恵まれたことがある。また、今年パソコンゲームに復帰したということもある。自分しかいない夜のゲーム時間の大半をパソコンゲームを遊んで過ごしてる。これは、長い間、断続的に行なってきたことだ。みんなは、私のアバターとマウスオーバーした時に表示されるテキストが「バルダーズ・ゲート(Baldur's Gate)」からのものであると認識しているかもしれない。このゲームは、大学生時代に発売されて、いまだにオールタイムベストのCRPG(※コンピュータRPG)の1つだ。けど、私は、今でも、ソロのボードゲームも楽しんでいる。リストの代わりに、世の中にあるさまざまなタイプのソロゲームを見ていこうと思った。

オートマという対戦相手

私のお気に入りのソロゲームは、ほとんどが多人数ゲームの体験をシミュレートしようとするものだ。大体、デックやカードを用いて作動し、単純化したルールに従って動く。適切なグループと一緒に卓を囲む機会が、望んでいるほどない対戦ゲームがあると、私はこの種のソロモードをプレイする。

テラミスティカ:ガイアプロジェクト」は、最も多くプレイしたゲームの1つだ。私が昨年リストを書いてから、19回もソロゲームをプレイしている。それでもなお、私が見た中で最高のソロモードだと考えている。それに、私のお気に入りのゲームでもある。そういうことで、常にこのゲームをプレイしたいと思っているんだが、望んでいるほど多くの数を地元でプレイすることができない。私の友人の中には、私がこのゲームを多く(何百回)プレイしているが、みんなは年に数回しかプレイしないので、私と対戦することがきつい(rough)と言う人もいる。しかし、同じくらいの経験値のプレイヤーと比較すると、実際には、私は平均的なプレイヤーがそれよりちょっと下のプレイヤーだ。

「テラミスティカ:ガイアプロジェクト」のソロゲームの素晴らしいところは、実際の対戦相手とのインタラクションの感覚を上手に捉えているし、ルールも際立ってわかりやすい点にある。もちろん、実際の多人数ゲームに勝るものはないが、良いソロゲームというのは何物にも代え難い! この記事を書いているBGG上においても、毎月、このゲームのソロチャレンジを主宰している。このゲームの"Find Players"(かつての"Organized Play"フォーラム, ※ここの「Gaia Project Solo Challenge」というフォーラム)で見つけることができるよ。

クレジット: Joe Farrell

私がプレイしたこの種のソロゲームに初めて出会ったのは、「ワイナリーの四季」だった。私は、毎年、このゲームがBGGの上位200に位置していることを見ると、いつも驚いている。というのも、このゲームは、古臭くなってしまっていると思うからね。各季節の最初に配置場所を単純にブロックすることで、多人数ゲームにおいてかなり重要な部分を担う手番順の変動をなくしてしまっている(it does away with the variable turn order)。それゆえに、ソロゲームは多人数ゲームの感覚を十分に残しているとはいえない。面白いのが、このゲームのソロルールを手がけたデザイナーは、後に「テラミスティカ:ガイアプロジェクト」のソロゲームを手がけたデザイナーと同じということだ。そのデザイナーとは、多作で革新性のあるMorten Monrad Pedersenである。この2つのゲームからすると、この数年で、彼がどれほど自分の技術を磨いたのかが本当にわかる。

バラージ」は、全く逆の理由で、期待した水準に達しなかったオートマ形式のソロモードを搭載したゲームの例となる。このゲームでは、人間のプレイヤーに適用されるルールをオートマに従わせようとしているが、その数があまりに多すぎる。「バラージ」におけるプレイヤーは、適切なタイミングにおいて、適切な技術とマシーンが利用できるように注意深く、そして確実に構築する計画を立てる必要がある。そして、人間の意思決定をカードドローに置き換えて、あまりに多くの制約を実際に残そうとすると、お粗末な選択をするオートマができあがってしまう。「バラージ」のソロモードは、オートマがもう少し多くのルールを曲げることができたならば、「テラミスティカ:ガイアプロジェクト」のソロモードのように、かなり良いものとなっていたはずだ。

次の一手が確実に決まる対戦相手

時として、フローチャートなどのようによって操作することになる、純粋に次の一手が確実に決まっているソロモードを搭載したゲームをみることがある。「Pax Renaissance: 2nd Edition」は、この種のアプローチを採用した、最近コレクション入りしたゲームだ。私は、この種のソロモードが全く好きではない。その理由はシンプルで、ばかばかしいほど単純なゲームでない限り、人間のプレイヤー(の行動)が100%予測可能にはならないからだ。もし、対戦相手があらゆる盤面の状態に対してどのような反応をするか正確にわかっているのであれば、その人は、本来的な意味でのボードゲームを本当にプレイしてることにはならない。対戦相手が自分の思ったとおりに反応させるための一手を見つけることが目標のパズルといった、全く異なるゲームをプレイしていることになる。

クレジット: Joe Farrell

こういったソロモードは、相当な複雑さのあるゲームによくみられる傾向にある。要は、そういったゲームでは、自分の手番で利用できる悪どい選択肢が数多くあるので、かなり複雑な論理を組まずに、このゲームを効果的にプレイできるソロモードを考案する方策が全く見当たらないこととなる。上述した「Pax Renaissance: 2nd Edition」を除けば、この種のシステムがGMTのCOINシリーズの一部のゲームでも実装されているのを見かけたことがある。例えば、私の所有する「A Distant Plain」の二版とかね。けれど、そういったものと同じくらい複雑なゲームであったとしても、賢いデザイナーは解決策を考え出している。「Fire in the Lake」のTru'ng botは、それでも各アクションの裏側に複雑な決定木があるが、いかなる場合にも適用できるように、このような決定木が複数存在する。どの決定木が適用されるかは、カードの山札によって決まる。そして、1枚のカードの中にさえ、ボットがAのアクションかBのアクションかを選択する境界が、正確に定義されているというよりも不明瞭となるようなランダマイザー(randomizers)がある。こうすることで、ボットと対戦しているように感じるのではなく、このゲームをより現実の対戦相手と行うように感じられる。

自分のスコアを更新する

この種のソロモードには1つの大きな利点がある。それは、多人数ゲームで定められたルールのほかに追加ルールがあったとしても、プレイヤーの覚えることがほとんどないということだ。そして、1つの大きな欠点もある。多人数ゲームではあったかもしれないプレイヤーインタラクションの外観が完全に消え失せてしまうことだ。そういうことで、この手法は、初めからインタラクションがほとんどないゲームにおいて最も上手く機能する傾向にある。「ニュートン」は、私がかつて大いに楽しんだソロゲームの典型的な例だ。それに、Uwe Rosenbergも、このカテゴリに当てはまるデザインを何個も製作している。「アルルの丘」、「オーディンの祝祭」、それに「ヌースフィヨルド」は全てこんな感じでソロモードを搭載している。「アルルの丘」は開かれた(wide-open, ※自由度の高い)箱庭ゲームとなっており、「オーディンの祝祭」と「ヌースフィヨルド」は、前回のラウンドでした行動と同じワーカーの配置場所を1ラウンド内で使えないようにするために、プレイヤーはラウンドごとに異なる色を使う必要があるというだけだ。

定期的に開催されるソロ・チャレンジ(solo challenge, ※主としてBGG上のフォーラム等で行われているイベントのようなもので、定期的にソロモードの課題が提供されて、そのスコア等を競うというもの)というのは、そうしないと孤独な趣味になるものに対して、少しだけの競技性を取り入れるという理由だけであったとしても、この種のゲームを飽きさせないようにする素晴らしい方法となり得る。かつては、「アルルの丘」について、毎月開催されていた素晴らしいソロ・チャレンジがあった。その主催者は、スタート時のセットアップを提供するだけでなく、ルールに巧妙でテーマ性のある工夫も考え出していて、プレイヤーは、毎月、それに取り組まなければならなかった。私は、その課題でハイスコアを叩き出したことは一度もなかった。それに、いつも、上手なプレイヤーが何とかして見つけ出す解法(approach)を見るのを楽しんでいた。悲しいかな、今では、この一連のイベントは、少なくとも1年前から中断している。そして、私といったら、自分自身でそういったことを続けるのに必要な創造性を欠いている。

クレジット: Joe Farrell

High Frontier 4 All」は、この種のソロゲームにおいて、かなりの長期間にわたって興味が持続している例となる(16回のソロプレイ)。この理由としては、私が、このゲーム自体をかなり魅力的と考えていて、自分以外の誰かと対戦しなくても気にならないほど行くべき場所や試すべきことがたくさんあるからだ。もちろん、それでも他の人たちとプレイする方が好きなんだけど、「High Frontier 4 All」のフルゲーム(基本 + モデュール0から2まで)を遊んでくれるプレイヤーを探すのが無理ゲー(a tall order)なわけだ。多くの時間と、かなりきついルール習得の過程を乗り越えたプレイヤーが必要となる。

一人で多人数ゲームを遊ぶ(一人多役プレイ)

何らの追加ルールを必要としないでソロで遊べるもう一つのやり方がある。単純にゲームをセットアップして、自分自身で全員の手番をプレイすることを否定するものなんてない。以前に投稿したブログ記事で、詳細を述べているとおり、私は、ルールの学習ツールとしてこのやり方を好んでいる。こんな感じでプレイして、この1年でルールを学んだゲームの一部には、「Bios: Origins (Second Edition)」、「Nevsky: Teutons and Rus in Collision 1240-1242」、そのシリーズの続編である「Almoravid: Reconquista and Riposte in Spain 1085-1086」が例として挙げられる。

クレジット: Joe Farrell

私が既に知っているゲームを一人多役でプレイすることはあんまりないほうだが、前例がないというわけでもない。実のところ、「Pax Renaissance」は、このようなプレイをするのに最適のゲームだ。私は、公式のソロモードよりもはるかに多くの回数にわたってこういう体験を楽しんでいて、このゲームを切望していて、それを満たしてくれる対戦相手が周りにいなかったからというだけの理由で(いつものことだって?)、この1年間で10回も一人二役でプレイしたことがある。

当然、全てのゲームに当てはまるわけじゃない。秘匿情報に大きく依存するゲームでは、自分の思考プロセスを区切って、"他の"プレイヤーが何を持っていたのかを"忘れる"のが非常に得意でない限り、悪い選択となる。交渉や裏切りに大きく依存するゲームは、もっと悪いことになる。けど、「Pax Renaissance」は、幸いなことに、そのどちらでもない。

協力ゲーム

協力ゲームにおいて、ソロプレイを選択することはなお一層自然なことだ。というのも、協力ゲームは、プレイヤー同士で競わせているというよりも、むしろプレイヤーをゲームそれ自体と競わせていることになるからだ。つまり、プレイヤーが他のプレイヤーから特定の情報を秘匿し続けなければならないゲーム(例えば、「マジックメイズ」)でなければ、自分自身が多人数プレイヤーとして振る舞うことは、自ずから多人数ゲームと同じこととなる。

もし、私が、友人を伴ってゲーム会を主催したり、ゲーム会に行ったりして、何をプレイするかについて何らかの情報提供をするのであれば、協力ゲームを決して選ぶことはないし、選んだこともない。なぜそうなのかについて気づくのにしばらく時間がかかった。そして、結局のところ、協力ゲームとソロプレイとの間のこういった類似性の度合いが原因であると考える。運良く一緒に集まってくれるグループがあれば、彼らがいなくとも本質的に同じと感じてしまうゲーム体験によって、その機会を無駄にしたくないと思う。誤解しないでほしい。ゲーマーで一緒に集まって楽しむのは、ゲームそれ自体のためだけでは絶対にない。協力ゲームや、真の多人数ソリティアゲームであっても、少しの気さくな会話(もしくは、もっと多かったり、めっちゃ多い会話)が大きな役割を果たす。それでも、私は、ソロでは再現し得ないゲームをプレイしたいと思う。それは、大抵の場合、直接的な競争と高い度合いのプレイヤー間のインタラクションがあるゲームのことだね。

そういった理由で、普段は、妻か一人でしか協力ゲームをプレイしない。Cindy(※Joe Farrell氏の妻)は協力ゲームが大好きだ。それに、私たちは、ダンジョン探索系やアドベンチャー系のゲームを特に楽しんでいることに気づいた。「Tiny Epic Tactics」は、私たちにとってこの種のゲームの入門ゲームだった。その後、「グルームヘイヴン スタートセット 獅子のあぎと」と「The Lord of the Rings: Journeys in Middle-Earth」の数個のキャンペーンを最後までプレイした。その経験を根拠にして「Frosthaven」や「Arydia: The Paths We Dare Tread」のKickstarterのキャンペーンを支援したよ。

クレジット: Joe Farrell

こういったゲームのおかげで、少しペイントにはまることとなった。私が熱中する他のゲームでは、通常、ペイントが必要なわけではないんだけどね。私のフィギュアの数個は、そこまで悪くはない出来栄えだったけれども、Cindyは、おおむね、私よりもはるかにペイントが上手い。バリン(Balin, ※指輪物語の登場人物。上記の画像のとおり)については、斧がプロヴォローネ(provolone, ※チーズの一種)でできたように見えることを除けば、まあまあうまくいったように見えると思う。たとえ、どんなに強い戦士であったとしても、チーズでオークは倒せないね。

純粋なソロゲーム

最後の選択肢であり、私が最もプレイ経験が少ないものは、専らソロプレイのためだけにデザインされたゲームだ。この種のゲームで最初に出会ったのは、日曜ゲーム会の野郎の一人が私に試遊するために「Ambush!」を貸してくれた時だ。このゲームは非常に素晴らしくて、驚くほど刺激的だった。このゲームは、ちょっとしたヒントと示唆、はるかに詳細な物語を備えたゲームよりも、豊かな物語を紡いでくれるほんの少しの文章によって多くのことを成し遂げている。けど、このゲームは、ある種の古臭さも見えてしまっている。そこで、もっと現代的で同じようなゲームを探し始めたところ、しまいには「Combat!」に出会えたさ。

クレジット: Joe Farrell

「Combat!」は、タイトルに感嘆符(※「!」)をつけているところに至るあらゆる面において、「Ambush!」から着想を得ていることは明白だけど、このゲーム独自のものもたくさんある。私の思う最も重要な改良点は、敵の軍隊を管理するシステムが合理化されるのにもかかわらず、それでもシナリオに沿って適切に動いているように感じることができるところだ。「Ambush!」は、本当に、維持するために行き詰まることがある。特に、マップ上の敵軍が自分の部隊の数を凌駕している時だ。何とかしてドイツ軍の半分に自分の存在に対して警戒体制を取らせようとしたり(私はこうしたよ)、愚かにも部隊の半分を全滅させてしまったり(これもしたことがある)するせいだ。私は、「Ambush!」と同じような品質の物語が創り上げられていることを発見して興奮したよ。ゲームをプレイすることで、物語を発見するように感じられるが、自分の兵士に対する支配権、地形の巧みな使い方等が与えられていく。敷かれた線路に乗ったように感じることにはならない。

そういうことで。今年のトップのソロゲームに投票したのはどなたかな。その中でお気に入りのゲームは何かな。

以上

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