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競りよりもデザイン的に安易なメカニズムの実装とは(Top 5 mechanisms that are a bigger design-crutch than auctions)

本記事は、2022年8月21日、Georg Wolgast
氏が投稿した「Top 5 mechanisms that are a bigger design-crutch than auctions」の翻訳である。

最近は、ゲームメカニズムに関するまとまった文章が見つからなかったが、BGG上においてこういった記事が人気を博していたので翻訳することとした。

design-crutchは訳しにくい。ここにいうcrutchとは、ほかに理想的な解決策や手段があるにもかかわらず、採用されてしまう代替策・代替手段を意味しており、日常的な怠慢さの度合いを暗に匂わせる単語である。色々と考えたところであるが、タイトルのとおり翻訳した。意味を取り違えていることはないように思われるが、より適切な訳語等があれば、ご教示いただけると幸いである。

本記事を読む留意点として、元記事の作者がどういうゲーム・メカニズムが好きかを念頭においておくべきだろう。

元記事は以下のリンク先を参照されたい。ヘッダー画像は、みんなのフォトギャラリー機能を利用させていただいた。

競りがデザイン的に安易(design-crutch)だと評されることをよく耳にする。"ゲームのバランスをとるのに手間をかけられないって? そのかわりに、競りをぶち込んでやって、プレイヤーにバランスを取らせればいいさ!" そんな愉快な評論家様たちの声が、一斉に反響してくるね。

まぁ、私は、競りを擁護するためにこれを書いてるわけではない。上記のような批判が有効だった時代もあると思う。だけど、大抵、競りは楽しいし、インタラクションがあると思うんだ。少なくとも、何らかの方法で入札(biddding, ※ビッド)が制限されているときは、入札は際限なく細かく(granular)なることはない。要は、"34、35、36、……37、39!😴"って具合にはならない。この現象は、入札トラックがある(「アメンラー」、「Vegas Showdown」、「Homesteaders」、「Stockpile」、「Cyclades」)とか、入札に用いる通貨が限定されている(「ラー」、「ムガル」、「ゲシェンク」、「Lancaster」)とか、単純にお金が厳しい(「フォーセール」、「Container」、「ティナーズ・トレイル」)とかといった時に起こり得る。これらのゲームの多くは、"バランス"という概念をプレイヤーに委ねている。だが、デザイナーは、こういったゲームを面白くするために(※バランスを完璧に整えるよりも)一層難しい作業に取り組んでいる。その上、完璧にバランスが取れていたら、プレイする意味なんてなくなっちゃうだろ?😙

私は、他のどこかでされている批判を指摘するためにこれを書いている。もし、根拠のない否定的な意見がなかったら、インターネットはどうなっていたんだろうか?👿 その上、この反吐が出るほどの臭いする皮肉な言葉たち(reeking cynicism)と帳尻を合わせるために、必ず肯定的な例を含めようと思う。

5: セットコレクションとリソース変換

プレイヤーが行うべきものが必要なんだけど、面白いアクション選択メカニズムしか思いつかないって? うん、セットコレクションかリソース変換メカニズムを追加すれば(bolt on)、すぐに(※ゲームが)完成して、本業のほうに戻れるさ!

プレイヤーが利用できる選択肢を差別化する方法が見つからない? 使い道を見つけるのが若干難しいけど、一旦使い道を見つけたら若干価値が上がるようなリソースを各選択肢にあてがえばいいさ。そうしたらゲームの出来上がりだ!

多分、単純に私の好みがはっきり表れている。けど、セットコレクションやリソース変換のあるゲームの中には、デザイナーがどこかで諦めて、デザインを完成させるために最小限の労力で可能な解決策を提示してきたように感じられるものがある。

2つのメカニズムを1つの項目としてまとめた理由は次のようなものだ。すなわち、この最小限の労力しかかけていないというシナリオにおいて、2つのメカニズムの違いは、セットコレクションが、プレイヤーエイド上に得点となる組合せが分かるようなアルゴリズムを置いておかなければならないのに対して、リソース変換においては、アルゴリズムを説明しないで、可能な変換を描いたカード一式に得点として結果を貼り付けておけばいいというところにだけある。

デザイン的に安易と思われるセットコレクション/リソース変換の例としては、Champions of Midgard」や「Tidal Blades: Heroes of the Reef」における異なる色のカードの組合せ(※セット)を集めること
コロレット」における得点計算(基本の得点計算)や「ゲシェンク」の得点計算
ほとんど全てのユーロゲームにおけるリソース変換

私のお気に入りのセットコレクション/リソース変換の実装としては、
アズール」において、プレイヤーは、スタート時に(1組のタイルを置くスロットの)サイズを決めなければならず、もう一度スロットを使う必要がある前に、5つの赤いタイルの組合せを完成できると考えていく、ある種のちょっとしたプッシュ・ユア・ラック形式である。この仕組みがうまく機能している理由は、この選択が残りのゲームや、対戦相手のプレイの仕方に対して影響を与えているからだ。もし、プレイヤーが強欲となって、このラウンドで取得できる3つの赤いタイルのうち2枚以上は手に入るだろうと言ったら、その対戦相手は、1組として赤いタイルの1つを取ると決断するかもしれないし、そのほかの同等の選択肢の中から、赤いタイルを何個か中央に押し込むと決断するかもしれない。

アルケミスト」は、一見すると、単純な変更を加えているだけだが、リソース変換を更に面白くさせている。けれども、このゲームはアプリを必要とするので、実際には単純さとはかけ離れている。「アルケミスト」において、プレイヤーは、リソース変換のレシピを全く知らず、試行錯誤を繰り返してレシピを見出すことになり、これもゲームの一部となっている!

4: 殴り合い

インタラクションのあるゲームをデザインするのが面倒だって? 殴り合い要素(take-that)をひとつまみ加えれば、多人数ソリティアだなんて誰も言えなくなるさ!

ダントツで1位のプレイヤーがゲーム後半の緊張感を台無しにしてしまうことで悪戦苦闘しているって? みんなで首位プレイヤーを殴りつけるようにすれば、誰が最終的に1位になるかわからなくなるね!

ゲームが短すぎるとでも? プレイヤーにお互いの作業の邪魔をさせて、時間を長引かせればいいのでは?

(デザイナーが)怠けてるという観点からは、殴り合い要素ってのは、リストの上位にたやすく挙げられる。ほとんどのデザイナーが避けようとしてるとみんながわかっているくらい、この要素は十分に嫌われてもいる。だから、この醜い頭がもたげると、ちょっと斬新なように感じられることが多い。このことは、あまり多くのデザイナーのボードゲームを遊んだことがないデザイナーが、かなり安易に採用しがちなデザインのように思われる。

デザイン的に安易と感じられる殴り合いの例としては、
テラフォーミング・マーズ」における隕石系のカード
インペリアル・セトラーズ」における略奪(Raids)

私のお気に入りの殴り合いの実装としては、
アーク・ノヴァ 新たなる方舟」がある。このゲームにおいては、殴り合い要素は選択式となっているからだ。殴り合い要素を用いたくないのであれば、殴り合いができるカードには別の効果があり、プレイヤーは殴り合いの代わりにその効果を使うことができる。

アノ1800」には、殴り合いの代わりに使わせてくれ要素(take-this)がある。つまり、プレイヤーは、頻繁に、自分のアクションから利益を得る対戦相手を選ばなければならない。この要素は、プレイヤーのアクションによって攻撃されるプレイヤーを選択するのと、機能的にはかなり似ているけど、ゲームに参加しているプレイヤーにとってはそのほうが気分的には良い。これと似たような要素は、3つの黄色いキューブを得て、1つを獲得する対戦相手を選ぶといった形で他のゲームにも実装されている。

3: ワーカープレイスメント

アクション一式は揃えたけど、面白い方法でプレイヤー(のアクション選択)を制限するのに手を煩わせたくないだって? ボード上にその全部のアクションを吐き出せばいいだけさ!

異なる選択肢のバランス調整が嫌だって? プレイヤーが最適なアクションを手に入れるために初手プレイヤーとなるための無価値の手番(null-turn)を強制しておけばいいだろ!

緊張感がだんだんと高まったり、ゲームを通してプレイヤーに成長する感覚を覚えさせたりする満足のいく方策がないって? ゲームが進行するにつれて、プレイヤーにもっとワーカーを与えるようにすればいい!

デザインのプロセスのまだ道半ばで、いまだに実質的なプレイヤー間のインタラクションを加えることができてないのか? 多分、何度も何度も同じアクションを巡って競わせれば、プレイヤーを欺いて、他のプレイヤーに影響を与えることができているって思わせることができるね!

ワーカープレイスメントは、どこにでも現れてくるけど、メカニズムではない(a ubiquitous non-mechanism)。だが、どういうわけか、それ自体が1つのジャンルを形成しているわけだ! 私が、ワーカープレイスメントがメカニズムではないと言うのは、(※ワーカープレイスメントが)単に共通プールに全ての選択肢を置くという行為をいうのであって、手番ごとのランダム性を排したオープンドラフトゲームを作っているようものだからだ。もし、「プエルトリコ」が今日作られたのであれば、おそらく、8つのワーカーを置く場所のある1枚のボードがあって、各プレイヤーが1つのワーカーを持つことになるだろう。それでもまだ、ワーカープレイスメントゲームに分類されるのだろうか。あるいは、陳腐な呼称から逃れるだけの十分なゲームといえるのだろうか。

実際のゲームエンジンは、数種のリソース変換を中心に展開される。このことから、ワーカープレイスメントがこのリストの上位に位置づけられた理由の一端となっている。デザイナーは、大まかにバランスを調整したリソース変換パズルを創り上げて、そのパズルに一般的なワーカープレイスメント要素を放り込めば、ゲームを完成させることができたと何らかの形で思う。これらの2つの要素はどちらも、控えめにいって私としては面白くはない。それに、この組み合わせは、かなりありふれたゲームになるよね!

デザインに安易と思われるワーカープレイスメントの例としては、
ワーカープレイスメントゲームと自称してるほとんどのゲームがある。具体的には、「ワイナリーの四季」、「Lords of Waterdeep」、それに「Stone Age」だ。

私のお気に入りのワーカープレイスメントの実装としては、
Bus」がある。ワーカーを置かないという選択が同じ程度に有効であることが多く、1回1回のワーカーの配置が他のプレイヤーに対する波及効果をもたらしている。このゲームにおけるあらゆる選択肢が、興味深くてインタラクションをもつ。このゲームは、本当に最初のワーカープレイスメントの形式をとっていて、単に何個かのゲームエンジンにぱっと貼り付けた(wasn't just slapped onto)わけではないとわかる。つまり、ゲーム全体にまとまりがあるし、ワーカープレイスメントはこのゲームのために作られたのであって、その逆ではない(※ワーカープレイスメントが先にあってこのゲームが作られたわけではない。)。

ツォルキン:マヤ神聖歴」がある。「ツォルキン:マヤ神聖歴」においてワーカーを配置することは、ほかの多くのワーカープレイスメントゲームのように単純に対戦相手を閉め出すというわけではない。ワーカーを配置することで対戦相手の(※英文は、指示語ミスと考えてこう訳している。)選択を変えるし、時としてそれはより良いものとなっている! また、このゲームは、ワーカーを使い果たすまで1回に1個ずつワーカーを置くという果てのない繰り返し作業(an endless cycle)ではなく、ラウンドごとに異なる数のワーカーを置いたり戻したりすることになるので、選択肢が羅列されていると感じるよりも、実際のゲームのように感じられるメカニズムとなっている!

2: カードマーケットとハンドドラフト

何らかの理由で、特定の限られた用途の膨大なカードが必要だ。けれども、たくさんのカードを見ることに関して、プレイヤーが面白くて意味があると感じてくれる方策がみつからないって? このシステムを導入するために、各ラウンドで強制的に20枚から40枚までのカードがある状態で始めたらいいじゃない!

ゲームにおいて大きなまとまり(group)を扱っているように見せかけたいけど、そのまとまりを扱うためにゲーム自体を変更したくないって? そのソリティアパズルゲームにハンドドラフトを組み込めばいいさ!

ゲームにプレイヤーインタラクションをもたせるために、既にカードを用意したって? テーブルにカードを出して、プレイヤーにそのカードを巡って争わせればいい。ルールやコンポーネントに変更加える必要すらないよね!

デックビルドのゲームを作ったことがあるけど、「ドミニオン」というよりもむしろ「アセンション」をコピーした方がいいって思ったことがあるって? そうだね、カードを横に並べるのは良いと思うよ!

この2つは、同じ種類の手抜きパッチが異なる方法で適用されているように、なんとなく思うから組み合わせたんだ。タブロービルドのゲームや、デックビルドのゲームを作りたいと思って、150枚のユニークカードが必要になると考えることがある。というのも、そうしておかないと、全ゲーマーどもからリプレイ性について叫び声が上がるからだ。そして、「レース・フォー・ザ・ギャラクシー」を単にコピーして、すべてのカードに、テーマ的に一貫していて面白い異なるシナジーをいくつか伴わせることはできない。そのような実装をするには実際に才能が要求されるだけでなく、おどろおどろしいアイコンも必要となるからだ😵 じゃあ、そうなると、ほとんどのデザイナーは、カードマーケットかハンドドラフトのうちの1つを使って、大量のカードがあって固有の(specific)デックに内在する、根本的な問題(the disease, ※病)に取り組まないで、表面的な問題(the symptom, ※症状)を直すのを喜んでいるように思われる。

実は、このメカニズムの両方ともワーカープレイスメントよりも面白いと思っている。けれども、これらのメカニズムが使われている多くのゲームが、あまりにつまらなくて下手な使い方をしているから、(※ワーカープレイスメントよりも安易さが)わずかに上回るということになる(edged it out)。少なくとも、ほとんどの現代のワーカープレイスメントゲームは、お決まりの方式をわずかに変化させているしね。

デザイン的に安易と思われるカードマーケット/ハンドドラフトの例としては、
病気を治す代わりに対症療法にとどまる最もひどいものは、「テラフォーミング・マーズ」のドラフトを導入するバリアントルールだ。

ハンドドラフト全般については、たとえ、ゲームの中心的な要素を形成している(form the focus of the game)ものが多いにもかかわらず、個人的に安易な実装のように感じられる。具体的には、「世界の七不思議」、「スシゴー」、「イッツアワンダフルワールド」がある。

マーケットの配列が伴うデックビルドゲームも同じように当てはまる。例えば、「クランク!」、「デューン 砂の惑星:インペリウム」、「Legendary: A Marvel Deck Building Game」がある。

そして、カードマーケット全般でいうと、「アーク・ノヴァ 新たなる方舟」、「キャリコ」、「ファンタジー・レルムズ」、「ブラックアウト香港」、「Expedition to Newdale」があるね。

私のお気に入りのカードマーケット/ハンドドラフトの例としては、
アイル・オブ・スカイ:族長から王へ」がある。このゲームは、見事なタイルマーケットが実装されており、機能的にいうとカードマーケットと同等のものだ。取得できるタイルの山がドンっと置かれている(plopping down)のではなく、各プレイヤーは、タイルマーケットのまとまり(subset)に対して値付けをしていく。こいつが、かなり面白さを生み出している! 「ノイシュヴァンシュタイン城」でも、似たようなことを実装しているが、私としては、作業を分担させて、毎手番、全てのプレイヤーにタイルマーケットを作らせるという「アイル・オブ・スカイ:族長から王へ」のやり方のほうが好みだ。

アイル・オブ・キャッツ」は、私がハンドドラフトに必要不可欠だと思う2つのことを実践している。このゲームでは、1度に2枚のカードをドラフトさせる。そうすることで、コンボを簡単に組むことができるようになるし、どのカードを選ぶべきかという決断が更に面白くなっている。各カードには価格も設定されており、必ずしも最適なカードを選ぶのが重要になるとは限らないし、このカードを選択する余裕があるかを考えなければいけなくなる。このことによって、ヘイト・ドラフトがもっと面白いものにもなる。プレイヤーは、プレイできないカードを持ってドラフトを終えなければならないから、自分の対戦相手の役に立つカードをドラフトしない理由はないし、そのカードが自分にとって役に立たなければ、わざわざプレイする必要なんてないわけだ!

1: マジョリティ

まだ、ゲームにプレイヤー間のインタラクションを付け加えるのに苦労しているのかい? 何も心配しなくていい。何個かのアクションの隣にアイコンを置いて、トークンシートを付けた上で、ルールの得点計算のところに5行くらい文章を加えるだけだ。はい、完成! プレイヤー間のインタラクションだ!

ゲームの選択肢がつまらなくて、赤の戦略と青の戦略のどちらをとるか、プレイヤーが悩んでしまってるって? 違う長さのトラックを設けて、報酬を与えるようにすればいい。はい、完成! 深さとリプレイ性が伴ったね!

カードには4辺(sides)あるから、カードを用いた4つ目の使い方が必要なら、そうすればいいじゃないの? カードの下部に色のついたアイコンを記載しておいて、ゲーム終了時のマジョリティによる得点になるように、プレイヤーボードの下に差し込ませることを考えたことがあるかな。

はっきりいうと、マジョリティのゲームといっても、エリアマジョリティのことを話題にしているわけではない。私が話題にしているのは、リソース変換ゲームにおいて特定のアクションをした時に、トラックを進めたり、色付きのトークンを手に入れたりして、各トラックを最も先に進めた人や各色付きのトークンを最も多く手に入れた人が、各ラウンドでボーナスを得たり、ゲーム終了時に得点を得たりするということである。

BよりもAの選択肢をとることでマジョリティから3ポイント多く獲得できる。プレイヤー間のインタラクションがあるかのように見せかけるために、気ままにプレイヤーが欲しがっていた報酬を与える。そうでなければ、放置されている無駄なリソースを与えたりする。こういった考えは、陳腐で、安易でつまらないものだ。

思うのは、このメカニズムを実装して改善するゲームなんてほとんどなくて、改善したとしても、大抵の場合、インタラクションに関して意味のあるポイントが欠けていて、とにかく遊びたいとも思わないものだ。

テラミスティカ:ガイアプロジェクト」と「テラミスティカ」との主要な違いの1つが、得点トラックにおけるマジョリティが、より新しい「テラミスティカ:ガイアプロジェクト」では取り除かれていて、代わりに特定の段階に達すると一律に得点が得られるようになり、そこに至るまでの過程を面白くさせているという点が個人的には興味深いと思う。この変更は、広く称賛されている。たとえ、私が、「テラミスティカ」のボード上のプレイが好きで、最終的には「テラミスティカ」のほうに軍配を上げるにしても、私は喜んで「テラミスティカ」に変更を加えて宗教トラックを取り除くだろう。

デザイン的に安易だと思われるマジョリティの例としては、
赤の大聖堂」、「Obsession」、「ウイングスパン」、「カスカディア」がある。

私のお気に入りのマジョリティの例としては、
Space Station Phoenix」では、外交トラックではうまい実装をしているんだけど、エイリアンのマジョリティ得点は、まさに私がぶつくさと文句を言っていたそのものだ! 外交に注ぎ込むことで、ゲーム終了時やラウンド終了時の得点やリソースの代わりに、プレイヤーアクション次第でゲーム全体を通して利益が得られるようになっている。また、利益を得るために1番になる必要もなくて、1番になったプレイヤーには、単純に他の方法で利益を与えている。

西フランク王国の子爵」は、この決まりきったやり方に十分な工夫を加えているので、ここで感謝の念を贈ることとしたよ。最後に2種類の異なるマジョリティがあるが、各マジョリティ得点は、他のマジョリティ得点が尽きた時に生ずる。つまり、プレイヤーがAでリードしていたのであれば、ゲームが終わる前にBの山を使い果たすことに関心を持つことになる。そうしないと、ボーナス得点が得られないからね。だが、そうするうちに、マジョリティ争いに勝利する必要がないけれども、 Bのマジョリティ争いを行うことを決断し、それによって、Aのリードを広げたいと思うかもしれない。単純で、刺激的で、面白い。最近のゲームでも、この考えを取り入れてほしいと思う。

まとめ

私のあげた例を含めて、こういったメカニズムをもつ全てのゲームが悪いわけではないことは、はっきりと明確にしておきたい!

また、この投稿においてデザイナーをたくさん批判したけど、彼らがしていることを私はできないし、彼らの努力には大いにリスペクトしてる!

それに、こういったゲームをもっと面白くなるように変更しなかったのは、デベロップと出版社が悪いってのは、みんなわかってるよね!

最後に、このリストを見返していると、実は「エバーデール」がこの5つのメカニズムを全て備えていることに気付いたんだ(マジョリティの部分は拡張にしかないけどね)! 私は、「エバーデール」が好きで、ゲームを悪くしていない例としてこのゲームを挙げておくよ。

こういったメカニズムを使ったお気に入りのゲームは何かな? そのゲームにおいて、デザイン的に安易だなって思うかな? そして、それはなぜだい。

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以上

※本記事を補完するような記事として、以下のものがある。

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