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現代ボードゲーム:それを遊ぶべき理由(Modern Board Games: and why you should play them)
本記事は、Daniel Wickison氏が2022年1月31日に投稿した「Modern Board Games: and why you should play them」の翻訳である。
Daniel Wickison氏はイギリスのヨーク在住のボードゲーマー。あまり情報はないが、「コンコルディア」、「ルート」、「トワイライト・インペリウム」を愛しているようだ。氏のブログ「Sweeping」はまだ立ち上げたばかりのようで記事数は少ないが、実直なレビュー記事を挙げている。
本記事は、会社のレクリエーションの一環としてボードゲームを紹介することとなったDaniel氏が、作成したスライドを記事化したものだそうだ。ボードゲームに興味がない人にとっては、ややマニアックなところがある。他方、ボードゲーマーにとっては興味深く思えるところもあるだろう。参考になるところがあると思われ、本記事を訳出した。
本記事の翻訳・公開について、Daniel氏の許諾を得ている。また、元記事は以下のリンク先を参照されたい。なお、ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリー機能を利用している。
職場でのチームビルディング(team-building, ※メンバーの能力や経験を最大限に引き出し、高いパフォーマンスを上げるチームを作ること)やロックダウン中に連絡を絶やさない(staying-in-touch-during-lockdown)取り組みの一環として、私のチームでは、メンバーそれぞれが仕事に関係のないトピックについてグループにプレゼンテーションをするように求められた。私は、現代ボードゲームの世界を紹介することに決めて、メンバーの何人かにボードゲームで遊ぶよう働きかけるようにした。この数か月の間、オンラインで「コードネーム」をたくさん遊んだことを言っておくよ。私のプレゼンテーションは、エッセイ形式でここに再現しておく。ボードゲーマーじゃない友人や家族と共有するのに役立つかもしれないからね。
(※以下、プレゼンテーションの再現)
今朝は、現代ボードゲームについてみんなに話そうと思う。そして、みんながそれを遊ぶべき理由についても話してみよう。
まず始める前に、思い違いを解きたいと思う。そして、ボードゲームを遊んでるんだって言った時に、よく聞かれる質問について答えておくよ。
1つ目
ボードゲームって、7種類くらいあるやつですよね。
(「モノポリー」、「Scrabble」、「リスク」、「Ludo」、「クルード」、「Trivial Pursuit」、「Kerplunk」)
違う!100種類のボードゲームを所有していて、ほかの仲間のコレクションに比べたらかわいいものだ。何千ものボードゲームのコレクションを所有してる人を見たことがある。ボードゲームのあらゆる事柄に関するオンライン・レポジトリであるBoardGameGeekは、現在のところ、132,000種類もの様々な地域のボードゲームが登録されている。その大抵のゲームは箸にも棒にもかからないかもしれないが(rabbish)、それでも、聞き覚えのある数個のゲームよりもはるかに多い数のボードゲームがある。
2つ目
ボードゲームってお子ちゃまのためのものじゃないんですかね。
子供向けにデザインされたゲームがたくさんあることは間違いないし、その全てがひどい(terrible)作品というわけじゃない。じゃあ、あの懐かしい頃に(in the before-time, ※感染症拡大以前)、オフィスで「リフトイット!」というゲームで遊んでいる同僚の写真を見てくれよな。
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ただ、さっきの答えは、またしても違うということだ!ボードゲームのほとんどは子供向けにデザインされているわけじゃない。
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「トワイライト・インペリウム 第4版」は、ゲームの巨大なスペースオペラだ。文字通り、1日をかけてプレイすることになる。実際、私は、来週に1日休暇を取って、今年のクリスマス休暇前に2回目のゲームをする予定だ。
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「Labyrinth: The War on Terror」は2人用ゲームで、1人のプレイヤーは、テロ活動を企む中東の過激派組織としてプレイし、もう1人のプレイヤーはテロとの世界的な戦いに身を投じて、過激派を追い詰めて排除するようにプレイする。
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「Fog of Love」も2人用ゲームだ。プレイヤーは交際中のカップルとなるが、大きく異なった目標を持つ可能性がある。その場その場で変わる状況に対応して、より幸福な方が勝者となる時、その多くの場合は関係が壊れるまで自分の道を妥協するゲームになる。
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「The Cost」は、アスベスト採掘をしてできる限り多くのお金を稼ぐが、あまりにも多くの人々が亡くなりすぎた結果、業界が崩壊してしまうまでをテーマにしたゲームだ。
さて、こういった作品を遊ぶことに興味まで持たないかもしれない。だけど、子供と一緒に遊ぶことはないだろうということには賛成してくれるはずだ。
こういった疑問は傍において、少し歴史を見ていくことにしよう。
全てはどこから始まった?
最初に言及した古いファミリーゲームは結構前からある。例えば、「Scrabble」は1948年に出版され、「モノポリー」は更に古く、1933年に初めて発売された。「チェス」(1457年)や「囲碁」(紀元前2200年)のような本物の古典は、間違いなく更に以前から存在している。こういったゲームと並行して、どこかの地下室で何らかの戦闘を再現している小さい集団の周りを動き回っている小さい集団が常にある(※直訳しているが、別の意味がある気がしている。)。70年代から80年代にかけて、この趣味は、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」や「ウォーハンマー」のようなゲームで盛り上がり始めたが、かなりニッチな趣味にとどまった。ボードゲームが大ヒットとなり、爆発的に広まったのは本当に最近のことだ。
ボードゲームを主流にした張本人と広く考えられている2つのゲームがある。
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まずは、Klaus Teuberの「カタン」がある。1995年に発売され、ヨーロッパ、特にドイツでこの趣味の大きな火付け役(really kicked off)となった。ドイツは、いまだに、今日の現代ボードゲームの心のふるさと(spiritual home)と考えられている。
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その9年後である2004年に、Alan Moonの「チケット・トゥ・ライド」が、「カタン」の後に続き、アメリカで同じような効果を与えた。この2つのゲームの発売と普及を受けて、この趣味は飛躍的に成長した。
現代のボードゲームの特色って何なのさ。
みんなの馴染みがある古いゲームよりも、単純に楽しくて面白くなってる。みんな「コードネーム」を遊んでみて、例えば、「Scrabble」よりかは楽しくて面白いことは十分にわかったでしょ。
現代のボードゲームはデザインされている。このことが何を意味するのだろうか。うーん、同じような話として、Christopher Nolanが出演している最新作だからとか、Gary Oldmanが出てるからとかいう理由で映画を観に行くことがあるよね。私は、Cole Werleがゲームデザインしてるからとか、Stonemaier Gamesが出版してるからだとか、単にAndrew Bosleyがイラストを描いているからだとかという理由で、ボードゲームを購入するか考えてしまう。結局、購入するまで至ってしまうんだけど(leads me on to my last point)……。
この5年間、もしかすると10年間で、ボードゲーム出版社は、しっかりとしたアーティストを雇い、コンポーネントの品質を重要視することで、ゲームがはるかに魅力的な製品になることに気づいたみたいだ。現代ボードゲームは(一部を除いて)、美しいものとなった。以下の写真は全て私のコレクションにある「ブラス:バーミンガム」、「ルート」、「ウイングスパン」、「エバーデール」という作品だ。
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メカニクスとテーマ
あらゆるゲームは、メカニクスとテーマの組み合わせで構成されている。簡潔にいうと、メカニクスはゲームとの関わり方を表していて、物理的に何をしているのかを説明してくれるものだ。他方、テーマは、メカニクスを正当化し、ゲームに命を吹き込むための設定、物語、キャラクターを提供してくれる。
まず、メカニクスから。
「モノポリー」、「Ludo」、「クルード」、「Trivial Pursuit」といった冒頭で言及したゲームの半分の特徴となっていることから、おそらく皆さんが最も馴染みがあり、そして、何よりも最悪な「蛇と梯子」でも採用されているメカニクスは
ロール・アンド・ムーブ(すごろく)
1個か数個のダイスを振り、出目と同じ数だけ進んでいくというものだ。幸いにも、現代ボードゲームでは、このメカニクスは絶滅し、別のメカニクスにとって代わった。
ワーカープレイスメント
デックビルド
エリアコントロール
アクション選択
ロンデル
ハンドマネジメント
競り
タブロービルド
ドラフト
セットコレクション
隠匿行動
ルート構築
プッシュ・ユア・ラック
タイル・プレイスメント
ダイス・プレイスメント
ロール・アンド・ライト(紙ペンゲーム)
などなど
テーマについて。
予想しているかもしれないけど、現代のゲームで最も一般的なテーマは以下のとおり。
SF
ファンタジー
戦争
文明発展
レース
ただ、私のコレクションだけをみても、こんなテーマのゲームがある。
農業
貿易
植民地化
鳥の収集
植林
図書館のABC順の配列
マッシュルーム探し
お姫様への求婚
堤防建築
中国の役人に賄賂を贈る
山登り
宝石収集
などなど
そして、このことは、私が最初に言いたいことにつながってくる。つまり、どこかに、あなたのためのゲームが存在するはずなんだ。こういったメカニクスとテーマのあらゆる組合せのどこかに、あなたが興味を持ったり、楽しめたり、魅了したりするようなゲームが、1つくらい、又は数十個くらいあるはずだ。とりあえず、何個か遊んでみる必要があるわけ。
メカニクスとテーマについて話しているところではあるけど……。
専門用語とちょっとした余談
現代ボードゲームは、2つのカテゴリに大雑把に分けられる。"ユーロ"やドイツ式と呼ばれているゲームと、親しみを込めて"アメリトラッシュ"と呼ばれているものだ。現実には、大抵の事柄と同じように、一方の端にユーロゲームがあり、もう一方の端にアメリトラッシュがありつつ曖昧な境界を持ちながら連続している。
ユーロゲーム
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ユーロゲームは、以下の特徴があると説明される傾向にある。
テーマよりもメカニクスが主体である。テーマは、付け加えたり(tacked)、貼り付けたり(pasted on)されているように感じられることが多く、簡単に取り替えることができる感じだ。
多くの場合、ある程度のリソースマネジメント要素があり、これに伴う交易が行われる。例えば、「カタン」で、木2個を1小麦と交換するとか。
効率性を重視し(encourage)、それに見返りを与える傾向にある。プレイヤーは、アクションの最善手を取ろうとして、分析麻痺(Analysis Paralysis, ※考え過ぎてしまい、行動に移せなくなること)に苦しんでしまうことが多い。
プレイヤー間のインタラクションが限定的で間接的に含まれていることが多い。このことによって、"お前を攻撃して、こいつを掻っ攫っていくわ"というよりも、"これを行うから、君はもうこれを実行することができなくなっちゃうね"という状況が頻繁に起こる。
キューブ、そうキューブが多い。個人的にはキューブが好きだよ(上記の画像は、「ハンザ・テウトニカ」で、いかにもユーロ的なユーロゲームだ。)。
ユーロゲームの極北には、「チェス」や「囲碁」みたいなアブストラクトゲームがある。全くテーマなんてないし、ないも同然というわけだ。
アメリトラッシュ
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アメリトラッシュゲームは、以下の特徴があると説明される傾向にある。
メカニクス重視(driven)というよりも、テーマやストーリーを重視する。意味のある意思決定が多くあるようには感じられず、むしろ物語に没入しているような感覚を覚える。
ランダムイベントが含まれていることが多い。例えば、手番の間にイベントデッキの一番上のカードを引くことで発生する。
意思決定の結果をダイスを使って決めることが多い。そのことによって、高い緊張感や興奮を生み出す。
プレイヤー間、又はプレイヤーとNPCとの間での争いが含まれていることが多い。
ミニチュアがある!美して体験を高めるためのものから、キモくて(obscene)余計なものまである。上記の画像は、「クトゥルフ・ウォーズ」のもので、アメリトラッシュの中で最もつまらないゲームというわけじゃないけど、良いミニチュアをうまく利用している作品だね。
ここで一旦休憩を入れて、重要なことなので、少しだけゲームのランダム性について話そうと思う。ランダム性には2つの種類がある。けれども、先ほどの2つのカテゴリのように、実際には目安(scale)にすぎない。まず、入力のランダム性(input randomness)。これは、意思決定の材料となる情報を与えるランダム性のことだ。そして出力のランダム性(output randomness)。これは、意思決定の結果を決めるランダム性のことをいう。例えば、ゲームの最初に設定されるランダムマップや、「コードネーム」の最初のカードの配置は入力のランダム性だ。入力のランダム性が行われれば、それはずっとそのままだ。つまり、プレイヤーは、好きなように道具を使って、そのランダム性に対処しようとする。「コードネーム」の場合の道具は、頭とボキャブラリーになるね。ダイスを振って争いを解決するのは、出力のランダム性になる。私が移動して攻撃すると意思決定したとする。そして、その攻撃の結果は、ダイスによってランダムに決定される。
どちらのランダム性も重要だし、それぞれの役割(a place)がある。想像したかもしれないが、ユーロゲームは入力のランダム性を多く採用する傾向にあり、アメリトラッシュゲームは出力のランダム性を多く採用する傾向にある。これは全く問題ないよ。けど、どちらも採用された場合に問題が起こることがある。「蛇と梯子」にもう一度戻ろう。自分の手番でどのくらい先に進めるかは、ダイスを振ってランダムに決まる、出力のランダム性がある。そして、進んだ先で何が起こるかは、ボードのその場所に印刷されている出来事によって決まる、入力のランダム性がある。この結果、「蛇と梯子」にはゲーム性が全くないことになる。仮に、私がダイスを振って、他のプレイヤーの駒を進めたとしても、ゲームの結果は全く同じものとなる。子供たちに人生を教える瞑想的な教材(a meditative aid)としてデザインされていて、競争ゲームとしてデザインされたわけでは一切ない「蛇と梯子」について厳しいことを言いたくはない。けど、言いたいことはわかったよね。
話を戻して。
なんでみんなボードゲームで遊んでるの?
人は、常にゲームで遊んできた歴史がある!ゲームは、人を人たらしめてるものの1つだ。「囲碁」なんか、4000年以上の歴史がある。
座ってボードゲームで遊ぶって発想(idea)が好きなのは重々わかってるよ(bet)……。けど、みんな冒頭に挙げたようなゲームしか今まで遊んだことがない。私が知っているゲームが「モノポリー」や「リスク」だけだったら、私もゲームで遊ぼうなんて思わないさ。でも、今現在の選択肢といったら圧倒的でしょ。
ますます画面を眺める時間が多くなっている世界(BBCは、1日に4.8時間も携帯電話の画面を見ていると報道してたね。)では、ボードゲームが現実の、物理的な、触って楽しむ(tactile)体験という形で楽しさを提供してくれる。
私は、趣味としてのボードゲームの隆盛と、多人数カウチゲームの衰退が同時に起こったことが偶然の一致だとは思わない。私個人は、4人で画面を分割する「Halo 3」に熱をあげていた時ほど、ビデオゲームにとても時間を割いているとは言えない。
今では、映画や音楽がストリーミング配信されることが普通となり、もはやレコードやDVDのコレクションを持たなくなった。ボードゲームはいまだにコレクションをして、洗練させたり、人に見せたり、飾って満足できたりすることができるものだ。
最後に、ゲームに対して熱中している人(hobbyist)の視点からいうと、私がこれまで本当に夢中になった趣味はほかにないんだ。ただ、多くの人たちにとって、ミニチュアを収集し、組み立て、塗装することは、実際にゲームを遊ぶことよりも、趣味の大半を占めている。自分が苦労して丹精込めて(painstakingly)塗ったミニチュアを使って遊べるゲームを持つことは、まさにボーナスだ。近年、こういった趣味の側面は、一層、入り込みやすいもの(accessible)となった。ミニチュアを塗装できる形式として、もはや戦士、エルフ、ゴブリンだけではない。「Etherfields」のこの素晴らしい塗装された選りすぐりのミニチュアを見てくれよな。
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じゃ、なんで、みんながボードゲームを遊んだほうがいいなんてことになるのか。
上記の理由全てが当てはまるんだけど、もっと厳密に、私が考えるボードゲームを遊んでみてほしい理由としては、次のようなものがある。
ボードゲームは、解かなきゃいけない面白いパズルを提供してくれる。そして、プレイヤーは、厳密に作業する役目を与えられる。脳のどこかが、そういった作業を魅力的に感じるんだよね。ゲームは、競争意識を持って友達の裏をかいてみるか(out-think)、友達と一緒に悪魔みたいに難しいパズルを解くために協力するかといった、楽しみにながら脳を働かせてくれる素晴らしい方法だ。ゲームを遊ぶことは、クロスワードや数独をしたり、パブクイズをしたりするようなものかもしれない。ただ、ゲームはもっと面白いものだけどね。
何か新しいことを身につけることができるかもしれない。先程言及したアスベスト採掘ゲームである「The Cost」を例にしてみよう。アスベスト業界について何か読んだり見たりすることで、その歴史やどんな悲惨な結末を迎えたかを知ることができるかもしれない。しかし、このゲームを遊ぶことで、もっと危険な採掘に身を投じてより多くのお金を稼ぐといった決断をしてきた人々の立場に自分を置いてみる(puts you in the shoes of)ことができる。なぜかっていうと、それが勝利する手段だからね。それを実行するには、自分のワーカーの生命を犠牲にすることになるが、とにかくやるしかないわけだ。そして、少しずつ、どうやって実際の結末が起こってしまったのかをより理解できるようになるかもしれない。
ゲームは、他の人との交流を促進してくれる。他の1人と向かい合って座って、黙々と自分のことをしながらおしゃべりをして、その後で誰が一番良い牧場を作り上げたのか見て結果を比較したいとか、仲間を5人集めてビールを片手に、夜通し嘘をつきあってお互いに声をあげて罵り合いたいとか、自分が主役になれるような物語を協力して紡ぐための枠組みを欲しいだけだとか。そういったことのためにゲームはある。ゲームは、家族と充実した時間を過ごしたり、あんまりよく知らない人たちのグループの中での交流を促進させたり(catalyst)する素晴らしい手段だ。夜に友達とゲームすることは、一緒にテレビを見るだけなんかよりもかなり充実した時間を過ごせるものだ(rewarding)。
最後の点を強調するためにいくつかの例を示したいと思う。"なんで、そんなところにいなきゃいけなかったんだ"って結果にならないようにね。
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「ブラス:バーミンガム」は、めちゃくちゃ複雑なゲームで、本質的に素晴らしいアートワークを着飾った共用のスプレッドシート(communal spreadsheet)という感じだ。プレイヤーは、ビクトリア朝時代の実業家となって、石炭や鉄を採掘し、工場や製造所を建築する。そして、こういった産業を運河や鉄道でつなげていく。面白いなぁと思わせてくれるところは、共有された市場やネットワークの中で活動するところだ。このゲームが複雑であるので、どんな行動指針がベストになるのかしっかりと見定める(work out)ことが難しいことが多く、少なくとも私が遊ぶ仲間内では、対戦相手が(※打つ手を)提案し始めることもなくはない。盤面の2つの場所を鉄道でつなげられることを見落としており、大量の得点を獲得できるようになるということを指摘してくるかもしれない。しかし、見落としていたつながりが、後で対戦相手が自分を利するためにそのつながりを使う計画を立てていて、そこからそれ以上の得点を得ようとしているかもしれない!こういった重く、数学的なゲームにおいてでさえも、テーブル越しに友人をじっと見続けて、単に手助けをしてくれているのか、自分のために仕事をさせようとしているのかを見極めようとしないといけないわけだ。
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その対極には「スパイフォール」という、とてもたわいない(silly)ゲームがある。各プレイヤーは、ランダムに秘密のカードが配られる。プレイヤーのほとんどは場所と、その場所での役割が記載されたカードが配られる。例えば、上記の写真では、プレイヤー全員がホテルにいることになり、1人は宿泊客、1人はドアマン、1人は支配人などになる。しかし、1人のプレイヤーだけが、単に"スパイ"と記載されたカードを持つ。このカードが配られると、もう最悪だね!スパイ役を含めた全てのプレイヤーが、手番順にお互いに質問をしていく。スパイ役がどんな場所にいるのか当てる前に、誰がスパイ役なのかを明らかにできれば、スパイ以外のプレイヤーが勝利することになる。スパイ以外のプレイヤーから出された質問と回答は、スパイに情報を与えすぎずに、そのプレイヤーがどこにいるのか分かっているかということを明らかにしないといけない。他方、スパイ役は、何も知らないと伝えないようにしつつ、もっともらしく(plausible)思われたまま曖昧にしなければならない。ちょっと前にこのゲームを遊んだんだけど、もうお祭りにいる気分だったね(at a carnival)。カードに描かれていた絵は、リオデジャネイロのカーニバル風(Rio-esque)全開(full-on)の人たちだった。友人はラウンド開始時に、私の恋人(SO)に、"どんな服着てる?"って質問して、彼女は"えーと、いたって普通のかな(nondescript)?"と答えたんだ。その時点でラウンドは終了、だって、みんな笑いを堪えきれなかったんだもん。
終わり
以上
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