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【「今」にはどうして「ラ」が入っているの??】

みなさんこんにちは! 漢字の面白さを伝え続ける男kuです!

今回は「今」です! 今という漢字はかなり使われています。今と言わなくても「今日何しようか??」のように自分の予定を考えるのにも必然的に出てくる概念であり、その登場シーンはさまざまですね。

さて、そんな「今」ですが、なぜ「ラ」が入っているのでしょうか?「いま」という音の響きには「ラ」は入っていません。

不思議ですね。。。

なのでこの謎を解明していきたいと思います!

「今」の成り立ち

新漢語林によれば、「今」は象形文字です。あるものをすっぽり覆い含むさまを示し、陰や含などの意味に通ずる意味を示したものであろうが、借りて、「いま」の意味に用いる。「含みこんで、覆う」の意味を持っているそう。

これは、すっぽりおおうというより「A」みたいですね。。。

覆うという意味はかたちから分かりますが、どうして「いま」の意味が出てきたのでしょうか?

この命名サイトでは、かなり詳しく載っています。今の人の部分は「しゅう」と読み、含むとか集約の意味をもっているのだそう。そしてこれが、現在の年月や日時を集約的に表現した漢字として「今」が使われるようになったみたいです。ちなみに「ラ」の部分にあたるのが「こん」といって連なる・通すの意味を持っているのだそう。

今の人にあたる部分は「会う」という漢字にも通ずるように、集約を意味しています。人が集まっているから「会う」ことができるわけですしね。

そして、「ラ」は連なるということで昔という時間が並んできていまがあるということなんでしょう。

つまり

「今」は含んで覆うの意味を持ちながらも、亼(しゅう)と|(こん)で出来ている説もある。それは、亼は集約をあらわし現在の年月や日時を集約的に表現しようとし、一方|は連なりをあらわしこれも時の集約を示している。この二つの意味の重なり合いで「今」がある

ということなのでしょう。

この集約は十二支や十干という現時点の視点との関係を表現することから来ています。

全体的に見ようとすることから、全体のひとまとめとして時を考える思考は過去の連続体としても常に「今」の連続体としても現在があると考えているわけではないようです。

ただ、私たちを離れても独立的に「時間」が存在していると考え「今」も我々の意識・精神をなくしても存在するものとして捉えていることが分かります。

「今」は「今」。時間の指標としてただ存在する、一点でしかないということなんですね。

漢字から、普段目に見えない「時間」を哲学できるのも利点といえます。楽しいですね~♬


では、また👋

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