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「わかりあえない」を越えた向こうを見たい

たったいま、海士の風社から出る新刊『「わかりあえない」を越える」』を読み終えたところである。そして「わたしの内面で何が息づいているか」を感じようとしている。わたしは大いに触発され、好奇心をそそられた。
その、高揚した気持ちを大切にしたいと感じている。 

『「わかりあえない」を越える』は非暴力コミュニケーション(NVC)というコミュニケーション手法の、目的や原理、そして世界各地でのさまざまな活用事例を紹介した本である。NVCを知らない方には方にはトンと縁がない言葉に見えるだろう。しかし、「最近身の回りでもめている人はいますか?喧嘩をしている人はいますか?うまくいっていない関係はありますか?」と聞かれれば多くの人は、なにかしら思いあたるのではないだろうか。その「うまくいっていない関係」を誰も傷つけず、平和的に修復する。そして思いやりのある関係を構築する方法がNVCだと言えるだろう。

というわけで、この手法は多くの人に適用できると思う。
あなたにも、お隣のあなたにも。親子、家族、友人関係、職場、組織間、地域ごとの争い、どんな関係性にも適用できる。「さざえさん」の登場人物全員が実践できるような身近な手法なのである。

NVC については、この本を読む前からその存在を知ってはいたが、どんなものであるかについてはぼんやり認識していたに過ぎなかった。それが読んだ後はNVCがどんなものであるか、かなり明確になっていた。「理解した」という言葉を使うのはまだ避けておく。この本を読んで、「知る」と「理解する」は別物であるとよく分かったからである。とにかく、この本がとても分かりやすく丁寧に書かれた本だということを強調したい。この世の全ての人に読んで欲しい、と本書を読み終えたばかりで気持ちが高揚している私は思っている。

NVCの手法自体はとてもシンプルだ。

1.起こっていることを判断せずにただ観察する。
2.そのとき抱いている感情を言葉で表す。
3.感情の裏に隠れているニーズ(本当に欲しいもの、大事にしているもの)を探し出し、表現する。
4.ニーズを満たすためのリクエストをできるだけ「肯定系の言葉で」、個々の行動レベルに落とした明確な表現で相手に伝える。

この手法1から4の手順を自分と相手がお互いに実践するのである。
そのうえで、お互いがお互いの「ニーズ」に共感し、共鳴できたとき、人間性のレベルで人と人は繋がることが出来る。「ニーズ」は誰もが必ず持っているものだからである。

本書では「人は誰かのニーズが見えた時にこそ、『相手に与える喜び』が湧き上がる」(P.63)と書かれている。だからこそ「『感情』『ニーズ』『リクエスト』を贈り物として相手に差し出す。相手はこちらの幸福に自らの意思で貢献するチャンスを得られる」(P.92)と表現されている。そうして、人と人は繋がることができる。
 
思い出すことがある。幼稚園生だった長女は、思うようにいかないことがあると怒り出す傾向があった。反対に、同じクラスには思うようにいかないことがあると泣く子がいた。同じクラスにいてよく怒る長女とよく泣くお友達。相手のお母さんがそのことと私のことを、よく思っていないことは感じていた。

ある日、たまたま通りかかった公園でそのお母さんと会った。私が「すみません。」と謝りの言葉を口にしながら、その場を収めるつもりで「私が厳しく育てすぎてストレスなのかもしれない」とポロっと弱音を吐くが否や「一体どんな育てかたをしてるんですか?」と言われ、その瞬間、身体も心も凍りついた。「育てかた」は「育ちかた」でもある。それはわたしを全否定する言葉だと受けとった。相手からの嫌悪感もびんびんと感じた。「これ以上は無理だ」と親としてのつきあいにおさらばした。
 
NVCを知った今、思う。彼女がどんなニーズを抱えていたのかまっすぐに聞けばよかったと。「どうしたらいいですか?」とそのまま聞けばよかったと。毎朝心配しながら幼稚園に娘を送り出していた私のニーズは、幼稚園が社会生活をまなぶための安全安心な場であること。そして、そこで過ごしたこどもが元気に帰ってくることだった。一方で、彼女はどんなニーズを抱えていたのだろうか。親はこどもが幸せであることを願っている。落ち着いて、もっと丁寧に彼女と話していたら、彼女のニーズも共感できるものだったのではないか。もしかしたらわかり合えていたのかもしれない。もっと違う繋がりが生まれていたかもしれないと今は思う。

このような苦い思いはもうしたくない。人と共感を通して繋がることができるように、NVC を身につけたい。では、どうやって?

NVCの手法は簡単そうで、実はとてつもなく難しい。

まず、判断や決めつけをせずにただ観察するなんてことは、したことがない。例えば、子供たちが学校から帰宅して、床に寝転がってipadをしているのを見て「ダラダラしないっ」と小言を言うのは日常茶飯事。この「ダラダラ」には明らかに判断が入っている。日頃無意識にしている「判断」や自分が育ってきた環境に付随している「決めつけ」から抜け出すのは難しい。ただただ目の前で起こったことを観察するには日頃の意識と練習が必要だ。

感情を大切に抱えることにも慣れていない。どんな感情でも大切に抱えて、それを言葉で表現してみる。「感情をすべて表現するほどの言葉の数はない」とはまさに言いえて妙。感情を言葉で表現することは、感情を客観視することでもある。つまり、自分の感情と第三者的な関りができるので、感情の裏にあるニーズを掘り出す前の大事な作業なのだ。

そして、ニーズを掘り出す作業こそ本当に慣れていない。私は本当は何を求めているのか。自分のニーズを知ることは、自分自身と向き合い、自分を知る作業である。同時に自分自身を大切にする作業でもある。ここまで書いてきて気づく。日々の雑事や雑踏に紛れ、私は自分自身を大切にしてこなかったのではと。自分自身を大切にしていなければ、他人をどう大切にすればよいかも分かっていないのかもしれない。

だからこそ、感情を大切に抱えてみる。感情を表す言葉を探す。その感情の裏にある「大切にしたいもの」(ニーズ)を探して、言葉にしてみる。最後にそれを明確なリクエストとして相手に伝える。

これは、なんて自分に正直で優しいプロセスなのだろう。自分の心に向けた深いまなざしを、今度は同じように相手にも向けたら、一体なにが起こるのだろう。相手の感情は、ニーズは、リクエストはなんだろうと、ただただ聴くことができたら。そしてさらに、自分と相手がニーズの部分で共鳴し合えたら?もしも、半径100 メートル以内にいる人とそうやって繋がり合えたら?それがどんどん広がっていったら?

この思いやりに満ちた行為で人と人が繋がっていくことを想像したら、目の前の景色が突然明るいものに見えてきた。道を歩くのさえスキップしながらウキウキしている気がする。日々実践ならぬ練習することが楽しみになってきた。

本書を読んで NVCの真髄に触れ、すっかり心酔した私は、今後これからも NVCを実践する生活をしていきたいと思っている。出来る日もあれば出来ない日もあるだろう。出来ない日の方が多いかもしれない。それでも一歩一歩進んでいきたい。「わかりあえない」まま終わった関係を越えられるように、実践できた回数を増やしていきたい。

調べていたら、私が住んでいるオーストラリア・パース近郊でNVCの勉強会があることを知った。「英語」で「NVC」の勉強会。二つのチャレンジが重なるが、それを超えても飛び込んでみたいと思うほど触発されている。そもそも「わかりあえないを越える」んだからいいか。受け入れてくれるに違いない。

『「わかりあえない」を越える」』を読んで、突然新しい世界が目の前に開けてきた。「わかりあえない」を越えた向こうが見たい。


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