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【掌編小説】ホワイトデーにお返しを#あなたの温度に触れていたくて

(読了目安3分/約2,300字+α)


「俺はどっちかというと西森さんだな」

 ぼんやりと喫煙ルームで天井を見上げていた僕の耳に「西森さん」というキーワードが引っ掛かる。僕は煙草の灰を落としながら、さりげなく声の主に目をやった。

 喫煙ルームの反対の角で、同じ部署の二人が猥談で盛り上がっている。

「わかるわー。ああいうの、そそるな。おっぱいでかいし」

「小野さんは、っぽいけど乗ってこないタイプ」

「あ、お前知ってる? こないだ蓮司、小野さんお持ち帰りしたらしいぜ」

「え、マジで? 俺もいってみようかな」

「お前は、とりあえずその腹をどうにかしろよ」

 腹をつつかれゲラゲラと笑う二人から目を逸らし、ヤニで汚れた壁を見つめる。終業まであと一時間。週末がリミットの仕事を終わらせてしまおう。

「そういやさ、お前、西森さんからバレンタイン、何もらった?」

「えーと、リポD。お前は?」

「俺、バナナ」

「何それ?」

「健康に気をつけてくださいってさ」

 西森さんが、部署の男性にそれぞれバレンタインプレゼントを渡していたことは知っている。しかも、それぞれの人に合わせてものを選び、一言コメントを付箋に書いて渡している。

「バナナのお礼に、コンドーム渡したらもらってくれるかな」

「お前、それは確実にアウトだわ」

 笑っている二人を残し、僕は喫煙ルームを出た。



 席に帰ると隣の席の西森さんが、主任、と声をかけてきた。

「あの、これなんですけど」

 一枚の書類を僕の机に置く。僕のすぐ横に屈み、書類の上に細く白い指が置かれる。さらりと短い髪が耳から流れ、少し甘い匂いがする。僕は煙草の匂いがするんじゃないかと不安になる。息をひそめて彼女の話をじっと聞いた。

「すみません。私がすぐに気づいていればよかったんですけど」

 彼女は一通り説明を終え、申し訳なさそうに頭を下げる。

「大丈夫。これくらいならすぐに解決するよ」

 それだけ言うと、僕はその書類をカバンに入れて席を離れた。

 内容はともかく急ぐ話ではある。相手先に向かいながら、携帯で要件を先に伝える。担当者が空くまでは少し待ったが、直接面談し再度説明すると、頭を下げた。相手から修正したものをメールいただく約束を取り交わし、再度深く頭を下げ退室した。

 僕はエレベータを待ちながら、手帳を取り出す。明日中に送ってくれると約束してくれたが、来なかった時には催促をしなければならない。予定を書き込もうと手帳を開くと、最後のページに貼った付箋が目に留まる。

「安藤主任 いつもご迷惑をおかけしてスミマセン…… 西森」

 バレンタインデーにもらった付箋だ。チョコレートのパッケージには「ストレスを低減する」と大きくうたわれていた。だが、彼女のことをストレスと思ったことは一度もなかった。むしろ優秀なためかなり仕事の効率が良い。それでもその気持ちが嬉しく、付箋を捨てるのをためらった。こうやって手帳に挟んで取っていることを知られたら気持ち悪がられるだろうか。

 はがれないようにそっと押さえると、今週のカレンダーを開く。二日先の日付に催促の予定を書こうとして、気づく。今日は三月十四日だ。それで、あの二人はバレンタインの話をしていたのか。

 コンビニに寄って何かお菓子でも買って帰ろうかと思ったが、もう二十時を回っている。明日になってから渡すのも、返って忘れていたようで申し訳ない。


 悩みながら事務所へ戻ると、暗い廊下のソファに座っていた西森さんと目が合った。慌てて駆け寄り心配そうな顔で、主任、と僕を呼ぶ。

「びっくりした。帰ってくれていてよかったのに」

「そんなことできません。私のせいですから」

 彼女は申し訳なさそうに眉根を寄せる。これだけ他人のことを気遣えるのだ。きっと特定の彼氏もいるだろう。今日はホワイトデーだ。約束があるのではないだろうか。

 僕は簡単に状況の説明をしながら、そんなことを邪推する。

「今日はもう僕も上がるし、本当に帰っていいよ」

 事務所の席に戻りパソコンを終了する僕の背中に、彼女が深々と礼をするのを感じる。僕は見えないように苦笑しながら、机の上を片付けた。

 コートを着てカバンを持つと、彼女はまだ事務所の前の廊下に立っている。目くばせして、会社の出口まで無言で一緒に歩いた。


 三月とはいえ、夜は寒い。今日は風もあるので尚更だ。

「じゃあ、また明日」

 そう言うつもりで振り返ると、彼女は寒そうに首をすくめたまま俯いていた。

 右手にはいつものカバン。左手には大きな紙袋を持っていた。中からは色々なパッケージの箱が見える。バレンタインデーのお返しだろう。

「それだけお菓子があると、食べるのも大変そうだね」

 僕は重い空気を払拭するため、わざと明るく声をかける。彼女は紙袋を自分の体で隠すように後ろへ手を回した。

「あの、主任。何か、食べて帰りませんか」

 彼女は意を決したように僕を見つめる。暗い夜道でも彼女の頬が紅潮しているのが分かる。寒い、わけではない。

 意表を突かれ反射的に、うん、と答えていた。彼女がほっと息をつくのが分かる。

「いいけど、何が食べたい?」

 そこまでは考えていなかったのか、少し目をキョロキョロとさせ、お好み焼き、と小さく呟いた。向かい側にお好み焼きの店がある。それを見て思いついたのだろう。思わず笑うと、彼女は恥ずかしそうに俯く。

「いいよ。じゃあおごるよ」

「あ、いえ、そんなつもりじゃ」

「いいから。遅くなったけど、バレンタインデーのお返し」

 口ごもった彼女に、僕は笑いかける。

「いつもありがとう。ほんと助かってるよ」

 ようやく表れた彼女の笑顔に、僕の心が温かくなるのがわかった。




xu様の企画に乗っかってみました。


ここのところ多忙を極めておりましたが、先日やっと大きなヤマを越え、ほとんど見ていなかったnoteを開くと、素敵な企画がございました。
気付いたのが3/13。〆切が3/14。ろくに発酵しておりませんが、エイっとアップしてみます。

ちなみに、テーマは「冬の恋」「バレンタイン」「愛」からどれかひとつ。ハッシュタグは「#あなたの温度に触れていたくて」です。
とりあえずテーマは全部乗せで、ハッシュタグは……うーん。。。お好み焼きから熱をもらってください。


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