意思の有無について
こんにちは 猩猩以前です。
突然ですが
あなたには意思がありますか?
これは自己啓発的な話ではなく、そのままの意味。
「あるに決まってるだろ」
わかります。しかしながら、こちらからは確認しようのないもの。
本記事はこの意思の有無について語ります。
まず僕は、一般的な人が意思の有無を判断する場合、その判断基準は対象の意思表示の有無にあると考えている。
ひとつ例を挙げよう。
動物が可哀想という理由で菜食主義者になった架空の人物 がいるとする。名前はVさん。
Vさんは可哀想という感情を動物に対しては抱くにもかかわらず、植物に対しては抱かない。これはなぜか。
可哀想とは、相手が意思を持つであろう場合に、自分が同じ立場において悲しみや苦しみなどの感情を抱くかどうかで判断される。
つまりVさんは、動物には意思があり、植物にはないと判断したのだ。
その判断基準は何なのか。動物と植物の違いはどこにあるのか。
その結果たどり着いたのが、意思表示である。
一般的に意思表示のできない植物は意思のないものとして判断される。これは少々短絡的なのではないかと僕は思った。
馬鹿馬鹿しく感じられるが、生物に限らない。
石に意思はあるか?
直感的に誰もが意思はないと判断する。僕もそう思う。しかし本当にないと言えるだろうか。
そして、本当に意思表示の有無と意思の有無は等しいものだろうか。
ここで哲学的ゾンビの話をしよう。
哲学的ゾンビとは意思があるような振る舞いをするが、本当は意思を持たない人間のことだ。
ゲームでいうところのNPCである。誰かが操作しているわけでもなく動き回り、話しかければ声を発する。
意思表示をしても、実際に意思はないという状態の人間である。石に意思がある事を否定できないのと同じく、他の人間に意思がない事も否定できないのだ。
つまり、確かめる術はない。あなたの周りにいる人が哲学的ゾンビではない事を。
猩猩以前(@BeforeOrangutan)
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