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自分に許可を出すことは、自分を大切に扱うこと。でもある

まずは、どのような時に許可を出してあげるのか。
できるだけ具体的に書いてみます。
少し過激になるかもしれません。


誰にでも、良い時があるし、悪い時があると思います。
良い時のことや感覚をなるべく続けられるように。

僕はそんな風に考えていました。


これが危険の始まりでした。


仕事で調子が良い。良い恋愛ができている。家族との関係がいい。趣味が楽しい。人脈が広がっている。できることが増えた。etc

でも、良いことがずっと続くことはありません。
外的要因、内的要因でメンタルに変化が起こると
一気に崩れることもあるし、徐々に色褪せていくことも
あります。

最近、調子がよかった僕は、今調子が良くありません。
それは、仕事に対してです。

つい最近まで、調子の良い時に戻りたいと思っていました。
戻るために、あの時の感覚を思い出せるように日々過ごしていました。


それが、そもそもの間違いでした。


ここで、タイトルを思い出してみましょう。

「今」の自分に許可を出していない状態で日々を過ごしていました。

あの、調子のよかった時とは違う「今」の自分。
それは紛れもない事実なのに。


気が付くと、僕は脳内で
「こう考えるんじゃないか。おまえいい加減にしろ。その考えが甘いんだよ」
と自分自身に当たり散らしていました。


怖いですね。笑


ハッとなった僕は、自分自身に謝ることにしました。

そして、今こう思ったね。
そういう自分が今、存在するのね。
今の君は(自分は)そんな感じね~。

と言ってあげることにしました。


許可を出す。とは、こういうことなのかな。と
僕自身は思っています。


言葉を変えると、自分自身の状態に嘘をつかない。ということでしょうか。


そして、怒られるよりも、褒められることの方が好きな僕は
さらに、こう言い換えてあげることにしました。
(序破急に分けてみました。意味は異なるような気もしますが)



序.「こう考えるんじゃないか。おまえいい加減にしろ。その考えが甘いんだよ」
             ①↓
破.「今こう思ったね。そういう自分が今、存在するのね。今の君は(自分は)そんな感じね~。」

             ②↓
急.「というか、①↓に、よく気が付いたね。すごくね?いいね。やったじゃん」

そして、②↓を続けてあげよう。と思いました。


自分に許可を出すことが、なぜ大切なのか。
自分のことを、雑に扱う人を、周囲の人は雑に扱うからです。

これは、おそらくなのですが、「投影」という現象が起こっている
のだろうと思います。


投影については、あれやこれやと説明はしませんので
興味のある方は調べてみてください。

こうして、僕は自分を大切に扱うことへと
一歩を踏み出したのでした。

この先、どんな自分に出会えるのか、楽しみです。


おしまい。



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