[短編小説]セットひとつ分の愛の話
テーブルにトレーを置いて、向かい合わせに座る。彼女は僕と頑なに目を合わせないけれど、その理由は赤く腫れた目元を見れば一目瞭然だった。
ハンバーガーにかじりついて、彼女が話しだすのを待った。彼女はソフトドリンクを1口飲んで、深呼吸してなにか話そうとしたが、かすかに動いた唇は少し震えてまた閉じた。
「まあ、食べなよ。冷めるよ。」
僕の声掛けに彼女は小さく頷いて、いつもより小さい1口目をゆっくり噛みしめた。僕はポテトで時間稼ぎをする。あまり早く食べると、急かしてるみたいに思えたから。
彼女はまたソフトドリンクを口にして、小さくふうっと息を吐き、ようやく話し始めた。
「…彼氏と別れた」
まあ、そんなことだろうと思ってはいた。彼女が真夜中にハンバーガーショップに呼ぶ時は、大抵この話だ。1年半ぶり3回目。甲子園の出場校の紹介みたいな言い回しになってしまったな、とくだらないことを考えた。
「重いってさ…私のペースに引っ張られてるみたいで、疲れたんだってさ…」
彼女はそれきり黙ってハンバーガーを食べた。それに合わせて僕もハンバーガーを食べ進める。ジャンクな味が、重い空気を本当に少しだけ和らげている、気がする。彼女のハンバーガーが半分を過ぎたところで、彼女はまた口を開いた。
「私、ハンバーガーを食べる時、結構な確率で、上のバンズと下のバンズ、どっちかが先に無くなっちゃうのよね…どれだけ工夫して意識して食べても…」
「僕もそうだな、なかなか上手く食べれない」
彼女の手の中にあるハンバーガーを見ると、下のバンズが小さくなり始めていた。
「恋愛だってそうだ…ゆっくり進めば進展が無くてつまらないと言われるのに…急いで進めば疲れるって言われて…バランスがとれないんだ…」
「…そうだね」
「だったら最初から、上下がくっついてるパンで挟めばいいのに…離ればなれにならないように…マリトッツォみたいにさ…」
「それはいけないよ」
「どうして?」
少し驚いた様子の彼女の瞳には、涙が浮かんでいた。僕はハンバーガーを1口かじって、続けた。
「想像してごらん。お肉や野菜は、はみ出しちゃうでしょ、そのパンの形じゃ。」
「…そうね」
「はみ出した具材が一番最初に無くなっちゃう。残るのはバンズだけ。中身のない、つまらない、味気ない恋愛になっちゃう」
「…じゃあ、どうしろって言うのよ。最初から、ハンバーガーになんかならない方が良かったじゃない…」
「…君は、後悔してるのかい。彼に出会ったことを。一緒に過ごした1年を。」
彼女は少し考えた。その間に、僕のハンバーガーは無くなってしまった。彼女のハンバーガーは先程から残量が変わっていないのに、彼女が咥えているストローからはズゴ、と音がした。彼女は顔を僕の方に向けないまま答えた。
「最悪な終わり方だった…。うんざりされているのに気づいてはいたのに、愛が足りないからだって思い込んでもっと愛を注いで、1人で突っ走って…。でも…それでも彼は着いてこようとしてくれて…。」
彼女はズッと鼻をすすって、声を震わせながら、かすかに、でもたしかに、言った。
「幸せだった…。」
顔を覆って泣き始めた彼女の頭をそっと撫でる。なにか辛いことがあったらすぐに僕を呼ぶくせに、彼女は泣き顔を僕に見せようとはしない。完全には信頼してもらえていないのだろうか。そんなことを考える僕のことはお構いなしに、彼女はまたゆっくりと話し始めた。
「でも、どうしたらいいかわからない…急いでもゆっくりでもダメなら…」
「君なりに頑張ったんだよね。成長したね。でもきっと、頑張りすぎたんだ、君は。」
「…どういうこと?」
僕はポテトを1本取り出すと、彼女の目の前に差し出した。
「相手の気持ちの変化に敏感なのはいいことだよ。でもね、異変を察知した時ほど、自分にも目を向けてみて。今焦ってるな自分、もしくは、びびって1歩引いちゃってるな自分、って。そして、一旦距離を置くことも選択肢に入れることだよ。」
彼女は腫れた目でポテトを見つめたまま話をしっかり聞いている。その様子がなんだか面白いな、なんて思いながら僕は話を続けた。
「バンズがズレたままでいいから、ハンバーガーを置いて、ドリンクを飲んで心を落ち着かせる。そして、ポテトを楽しんで気晴らしをするんだよ。友達や家族との時間をね。君のポテトの中の1本が、僕なら嬉しいな。僕は暇人だから、呼ばれたらいつでも飛んでいくよ。」
ゆっくりしたペースでそう伝えて、持っていたポテトを口に入れた。彼女は「ああっ!」と大きな声をあげて僕の方に身を乗り出してくる。
「今のは…そのポテトくれる流れじゃなかったんですかぁ…?」
「自分の分あるでしょ。まだまだたくさん。」
「でもぉ…。」
「そもそも僕が奢ってるでしょ、今日。1本どころか数十本あげてるよ?」
彼女はムッとした顔をする。僕もムッとした顔をしてみる。そのまま見つめ合って、お互い耐えきれなくなって噴き出した。ようやく笑った彼女を見て、もう大丈夫だな、と思った。
それから僕らは、他愛もない話をしながら残りの食事を楽しんだ。彼女のハンバーガーがあと1口、となった時。彼女の目線が手元のハンバーガーに釘付けになっていた。どうしたの、と聞くと、彼女は手の中の小さなハンバーガーを見せてきた。
「上のバンズも下のバンズも残ってる!」
彼女の目が子供のようにキラキラ輝いている。僕もニッコリ笑って、「きっと次は、上手くいくよ。」と声をかけた。
大きく頷いて、赤く腫れた目のまま笑う彼女を見ながら、「本当は、上手くいって欲しくないけどね、僕以外の男となんか。」と思ったことは、永遠に心の奥に鍵をかけて閉じ込めておくことにした。
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