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そうだ。「哲学」や「倫理」の話をしよう②~「仮面」と「人格」

人は皆、仮面をかぶっているという。それも沢山の仮面を。

子供達は、家では「子供の仮面」「お兄ちゃんの仮面」。
学校では「生徒の仮面」「〇〇部員の仮面」など。
大人たちは、会社では「会社員の仮面」「上司の仮面」。
家では「お父さんの仮面」や「夫の仮面」など。

それが普通である。自然とそれぞれの立場に応じた言動をしている。

最近流行のSNSだって、
それを使っている時は、みんな「SNSの仮面」をかぶっているのだろう。
だから、
日常生活では大人しい人も自由に表現できたり、
色々な人と繋がりがもてたり、
普通の人が、平気で他人を傷つけたりもしてしまう。


仮面をかぶっている自分が周りから評価されても、
違う仮面を被れば、違う評価になる。
仕事のできる会社員が、父親としては評価されなかったりする。
勉強ができる子供が、家ではわがままだったりする。
SNSでは賢い内容を発言し、フォロワーが沢山いる人でも、
現実社会では悪態をついていたりする人もいるだろう。
どうしてそうなってしまうのか。

仮面をかぶっているのは、自分自身の人格、
仮面をかぶった自分とは異なるからである。

一つの仮面をかぶっている時だけで評価されても、
他の仮面をかぶっているときは評価されないのは、
恐らく、仮面の内側の人格が未熟だからだ。

そして、ある特定の仮面をかぶっているときだけ評価される人は、
それに相応しくない自分自身の未熟さとのギャップに辛くなる。

有名な芸能人や立派な方が、ストレスから薬物に走ったり、
精神的に病んでしまうのはその為だと思う。

「人格は自然に手に入るものではありません」
「人格を手に入れるためには、主に4つの性質が必要です」
「主体性・・・自分と他人を別の個体だと自覚し、自己反省できること」
「所有性・・・人格が身体を支配している。
       だから、身体の苦痛より精神の苦痛が上になる」
「統一性・・・発言や行動に統一した脈絡」
「責任性・・・責任を感じない人は人格でない」

「仮面をキレイに磨くのも大事だけれど、
      勉強は仮面を被る貴方自身を磨くもの」
「学校は貴方という役者を磨く場所。それを忘れないで」
      (「ここは今から倫理です。」♯本当の私より)


勉強すること、それ以外にも、自分自身を磨く手段はある私は思う。
でも、「哲学」に触れると、何となく自分を磨いている気がする。

会社員としてのスキルが上達し、周りからの評価が高まった時の満足感。
飲食店として、お客さんから感謝される充足感。
どちらも心地よかったが、
「哲学」を学んでいる時の方が、静かに心が満たされる感じだ。
そこには高揚感はないが、階段を着実に上っているような感触がある。
高尚な事に触れている自分に酔っているだけかもしれないが。

若者たちの脆い心を守る為にも「哲学」は必要だと思うが、
将来が不安な大人たちの壊れそうな心に活力を与える為にも、
「哲学」は必要だと思った。




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