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泳げこいのぼり被災地の空に 重富と3.11 ⑨

ビールを注ぎながらビールを継ぐ「麦酒伝道師」を目指している重富です。
これから少しの間「重富と3.11」について振り返ってみようと思います。「地震・津波」についての内容や映像が出てきます。

過去記事        

石巻の空に、ひろしまのこいのぼりを掲げる

大きなこいのぼりをロープに括り付ける作業をしていると1人の青年が近づいてこられました。

横浜の徳恩寺の鹿野住職でした。被災地を回って「落語」をされているとのことでした。 こいのぼりを広島から持ってきた事を話すと・・・「なにかお手伝いさせてください」と 。私は、こいのぼりの設置場所を探しているんですと伝えました。 鹿野住職は「私がこれからまわる避難所などで声をかけてみますね」と話してくださり名刺交換と携帯電話の番号を交換しました。 

住職との出会いが、次の繋がりを生み出すことになります

住職は、次の避難所に移動されました。  

作業を進めます。すると、空が真っ黒になり、大雨となりました。おまけに雷も鳴り始めました。作業は中断して、昼食にすることに・・・
雨があがる事を信じて、ある作業に取り掛かりました。

F先生の最初の電話でもありましたが・・・渡波中学校の校舎は、津波の被害をうけているので「危険校舎」の指定をうけ、子ども達が授業に使えません。そのために、子ども達は近くの学校3か所に分かれて通学することになっています。  今日がその最後の登校日(1年生)だったのです。  

その最後(終わりという意味ではありませんが)にこいのぼりを皆で掲げて 「新しいスタートの門出」にしたい・・・そう願っていました。そこでF先生と話をして、分かれて通うことになる3つの学校にそれぞれ持って行ってもらおうと。花嫁道具?ではありませんが・・・こいのぼりを1セットづつと 、牛田中学校の皆さんに書いてもらったメッセージを振り分けました。

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特別支援学級に書いてもらったメッセージは、特別支援学級の子どもが通う学校に振り分けました。  (後日、F先生より連絡があり、各学校でこいのぼりとメッセージが掲示されていたそうです)  雷雨の中・・・子ども達がすこしづつ登校しはじめました。体育館に集合して、今後の説明を受けています。 

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F先生に津波が押し寄せた時の体育館の様子をうかがっていました。 津波から逃げるために、2階部分に上がっていた先生は、どんどん水が入ってくる体育館がまるで、おおきな洗濯機だったと話されました。

水が入口から入りこみ、体育館が1つの大きな洗濯機のように水が渦を巻き始めたそうです。そして、水が引いた後には・・・真ん中にうずたかく瓦礫が山になっていたそうです。 

雨はまだやみません。時間は丁度2時になりました。

今日は、私が月に1回出演している「FMちゅーピー」の番組を、1週間づらしてもらい、今日のオンエアーにしました。 私の携帯電話に、広島のスタジオから電話が入り、あと少しで始まりますとのこと。

 丁度そのときです・・・雲が切れて・・・太陽の光が差し込みました。  「できる!」そう身体が震えたのを覚えています

広島のスタジオの天野さんと、石巻とを繋いで現地の様子や、こいのぼりの設置をしていること。なによりも、雨があがって日が差してきた事などを数分間お話ししました。

FMちゅーピーは、10年経った今も続いています(第2月曜日13時頃)

少しすると、子ども達の説明会が終わりました。 子ども達と一緒にこいのぼりを設置して・・・無事に掲げる事ができました。 

雨上がりの空に、泳ぐこいのぼりをみて  本当に子ども達の門出を祝福しているように感じました。  


でも、それとは裏腹に
重富の中にはある「思い」が広がり始めていました。

それは・・・

「車に積んであるこいのぼりが・・・消えて欲しい!!」


その⑩につづく…