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『Beep21』特別企画「セガ歴史写真館」Vol.1

セガは2020年6月3日に
創業60周年を迎えましたが、

旧『Beep』をはじめとした
ゲーム関連メディア(パソコン誌や
ゲーム誌)が出始めるのは
1980年代以降。

それより以前のセガの姿というものは
あまり知られていない、
もしくはそれほど詳しく紹介されて
こなかったといえます。

『Beep21』では、
「アントキ(あの時)のセガ」をテーマに
当時の貴重な写真とともに振り返っていく
「セガ歴史写真館」をスタートします。

今回は創刊号ということで、
アントキ(あの時)のセガ本社について
貴重な写真とともに振り返っていきます。

セガマニアも思わずうなる写真の数々を
ぜひお楽しみください。

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「物流棟」も兼ねていたかつてのセガ本社

セガの本社は現在、
セガサミーグループ本社
“GRAND HARBOR”として
東京・大崎にありますが

それ以前は、羽田空港に近い
京急線沿線の大鳥居
長らく本社がありました。

環状八号線の首都高速羽田入口手前、京急線・大鳥居駅からすぐの場所にあったセガ本社。手前のガラス張りの社屋(1号館)は1994年に建てられました。奥の白い社屋は1985年に建てられた2号館。

セガの前身となる会社
日本娯楽物産株式会社
1960年6月に設立。

ジュークボックスやピンボールマシンなどを
販売するこの会社は1965年7月に
株式会社セガ・エンタープライゼスに
商号を変更します。

この社名の「セガ」は
初の国産ジュークボックス「SEGA1000」
からきていましたが、その商品名
「SEGA1000」は日本娯楽物産の前身であった
「サービスゲームズジャパン」の頭文字
Service Games」から「SEGA(セガ)」はきている、
なんて話は、セガマニアの人には常識かもしれません。

コイン(お金)を入れて楽曲を選択すると自動でレコードを選択し、その曲をかけてくれた「ジュークボックス」という機器は、1970年代までホテルや飲食業に幅広く導入され、人気を博していました。セガは太東貿易(※のちのタイトー)などと並び、ジュークボックスを扱う大手企業として、海外からジュークボックスを輸入し、販売をしていましたが、1960年には国産初のジュークボックス「SEGA1000」を発売し、大ヒットを記録することになります。
1960年代の後半になると、娯楽の主役としてピンボールやエレメカなどがアミューズメント機器では人気となっていき、セガもそうした機器を数多く扱っていくようになります。輸入品だけでなく、自社でピンボールやエレメカを開発し始めていく…といった話は、佐藤秀樹氏(※1971年セガ入社)のインタビューの中でも語られています。

▼当時のエピソードはこちらもぜひご覧ください

この頃のセガの社屋の写真がこちらです。

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