見出し画像

『Beep21』真・セガハード列伝 ─ セガブラックハードのはじまり 第一夜 セガ・マスターシステム

『Beep21』では当時のクリエイターの
生の声を本人の言葉で残すのをモットーに
開発した”当事者”にその当時の関係者が
いていく、というスタイルで
記事を送り出してきています。

「真・セガハード列伝」
当時のセガハード開発者が
それぞれの開発者に訊いていく
企画で、ナビゲーターは戸崎健司氏。

▼戸崎氏の前回の記事はこちらからご覧ください


今回、メディアに初めてベールを脱ぐソルクス・デザインの存在

今回の「真・セガハード」は、戸崎氏が尊敬し、
取材を熱望していたソルクス・デザインの
高須社長が登場します。

セガのブラックカラーのハードのデザインを手がけたソルクス・デザイン社長の高須安夫氏。メディアに登場するのも今回が初。

おそらく当時の『Beep』はもちろん
セガハード専門誌にも出たことがない
初めてメディアに登場する方です。

アメリカで大ヒットをした
メガドライブ(GENESISジェネシス)、
そしてその前身として世に出た
セガ・マスターシステム

©SEGA 海外で先に発売され、その後国内でも発売されることになったセガ・マスターシステム。(1987年10月18日発売 / 16,800円 ※当時)
©SEGA   海外ではGENESISの名で発売されていたメガドライブ。

その後に出たゲームギアからスーパー32Xに
至るまで、セガのハードは一貫して
ブラックボディであることがわかります。

©SEGA  カラー液晶ハンディゲーム機「ゲームギア」もブラックボディ。(1990年10月6日発売 / 19,800円 ※当時 )
©SEGA メガドライブ最後のユニット「スーパー32X」も当然ブラックボディです。(1994年12月3日発売 / 16,800円 ※当時 )

それ以前の世代のハード「セガ・マークⅢ」までは
白いボディだったセガハードは、なぜ突然"黒"になったのか?

©SEGA  セガ・マークⅢまでは白いボディだったセガハード。(1985年10月20日発売 / 15,000円 ※当時)

実はセガ・マスターシステムの
ソリッドで先進的なデザインを
担当したのは、今回登場する
ソルクス・デザインによるものでした。

取材の中で、SG-1000IIとセガ・マークⅢは
実は工業デザイン業界では非常に有名な
“あの会社”が担当していた...という話も初めて判明。

メガドライブのコントローラーが
なぜクロワッサンのような
形をしているのか?

ゲームギアに組み込まれた
当時の最先端技術。

また6Bパッドのデザインの際の
当時の貴重なモックアップの写真なども
今回初公開されます。

世界で大ヒットしたセガハードの
デザインを手がけた
ソルクス・デザインとは果たして
いかなる会社で、どんな製品を世に出して
きたのか?

そして、黒いボディに込められた
デザイン哲学と想いとは──

すでに30年以上っても
デザイン的に色褪いろあせない
メガドライブをはじめとした
セガのブラックハードの数々と

現代にも意外なところで目にする
ことができるソルクス・デザインの
プロダクトたち。

今回はその「第一夜」
セガ・マスターシステム誕生編です。

今まで誰も知らなかった
セガブラックハードの秘密
迫っていきます。

※本記事はこちらから読むことができます(※下の「2023年間購読版」もかなりお得でオススメです)

◆お得な「年間購読版」でも読むことができます!

※『Beep21』が初めてという方は、こちらの『Beep21』2021〜2022年分 超全部入りお得パックもオススメです!(※ご購入いただくと2021〜2022年に刊行された創刊1号・2号・3号・メガドライブミニ2臨時増刊号すべての記事を読むことができます!)

今回登場する当時の関係者は...

戸崎健司(とさきけんじ)「真・セガハード列伝」の企画兼ナビゲーター。セガでコンシューマゲーム機の開発部門に所属し、周辺機器などの開発を担当。セガ入社はメガドライブが発売された1988年、セガを辞めたのがドリームキャストの撤退時の2001年。13年間セガのハード開発部門に在籍していた当時のエピソードなどはこちらの記事で。
松宮博(まつみや ひろし) セガには高校を出てすぐ入社(現在74歳)。セガ入社時はAM(アーケードの)研究開発の生産技術部。開発部門で設計された試作品や試作機を量産するため図面設計の業務を10年間担当。今回のソルクス・デザインがセガハードを担当することになった際、現場でそれを見ていた当事者。まずは少しその頃の話をしていただきました。

松宮 当時のセガはアーケードがメインで、コンシューマ(家庭用ゲーム機)には全然力は入れてなかったんです。ですがその後、任天堂がファミコン(※ファミリーコンピュータ/1983年発売)を出す際に、セガも対抗して家庭用ゲーム機を出そう、ということで最初にSG-1000を出したんですね。デザイン的にはソフトを挿すとお墓みたいだ、と言われたりしてましたけど(笑)。

©SEGA 1983年7月にファミコンと同時期に発売された最初のセガの家庭用ゲーム機 SG-1000 (15,000円※当時)

松宮 あれがセガの家庭用ゲーム機のスタートでしたが、その時に私は機構設計の図面も書いていました。図面を書くだけでなく、当時は発売日には私も新宿のデパートに行って、販売の手伝いもさせられたりしまして。「これはセガのファミコンです」と言って売ったこともありました(苦笑)。(ファミコンは)コントロールパッドが最初から2個付いてるのに、セガの(SG-1000)は1個。あっち(任天堂の)は2個なのに、なんでセガのは1個なんだと。1個のデータで2個作った方がいい、という話もあって、とにかくなんとかしないといかんということで、次のマイナーチェンジ版のSG-1000IIではコントローラが2個になったんです。

©SEGA SG-1000の1年後の1984年7月に性能はそのままに、外見が変更されて発売されたSG-1000II (15,000円 ※当時)。コントロールパッドは確かに2つになっている。

松宮 話が少し飛ぶんですけれども、メガドライブのコントローラは、こういうクロワッサンみたいな形をしてましたよね。

©SEGA   メガドライブのコントロールパッド。

あれはソルクス・デザインさんが生み出したデザインなんです。当時セガの家庭用ゲームソフトの開発者からは、ファミコンの四角いコントローラに慣れていたので、クロワッサンみたいな形は良くないとの否定的な意見が挙がりました。現代ではエルゴノミクス(人間工学)なデザインというのは普通にありますが、あの当時にそれを家庭用ゲーム機のコントローラのデザインに採り入れたソルクスさんのセンスには、すごく先見の明があったんです。セガの先進的なイメージ、Coolクールなイメージは、本体だけじゃなくコントローラの貢献こうけんが大きいと思います。今日はそのへんの経緯の話などもいろいろご本人から聞けると思います。
戸崎 ちなみに松宮さんはゲームギアの設計にもたずさわってましたよね?

松宮 やってましたね、TVチューナーパックをつけたり。いろんなものに関わりましたね。

©SEGA  カラー液晶を生かしたゲームギアの周辺機器「TVチューナーパック (12,800円 ※当時) 」は、テレビを外に持ち出すブームにも乗って、影のキラーコンテンツとしてかなりの台数が出たという。※写真は凸レンズによってゲームギアの液晶ディスプレイ(3.2インチ)をおよそ1.5倍(5インチ相当)に拡大して見ることができる周辺機器「ビッグウィンドーⅡ」を装着したもの。

松宮 ソルクスさんはハードのデザインだけでなく、大きさからすべて計算して提案してくるのがすごかったですね。そこのこだわりも今日は話に出てくると思います。

白岩光成(しらいわみつしげ) セガ入社は1987年で、戸崎氏の1年先輩。第3研究開発部(※当時はコンシューマ開発部署)へ配属となり、機構設計を担当。その時の上司が今回同席している松宮氏だったという。

白岩 ソルクスさんの描いてくるデザインの絵はメカ屋(機構設計)からすると、「これは(基板やパーツが)入らないかな?」なんて最初は思うんですけど、実はちゃんと入るように計算されてデザインされているんですよ。そこまで計算した上で、さらに未来的なデザインを描いてくるんです。単なるデザイン屋ではなく、実はちゃんと機構設計上でも入るように、全部計算して描いてるんです。それはいつも驚いて見てましたね。
戸崎 白岩さんは僕の1つ上の先輩です。最初に入社配属された時に「新入社員は先輩たちが朝来たら、ちゃんとみんなにコーヒーを入れるんだぞ」と教えられて。それをに受けて、「この人は砂糖さとうは2杯」とか「この人はミルクちょっと」とか、皆さんの好みを全部覚えて、出社してきた先輩達にすぐにコーヒーを出してましたね。そうしたら1年後、白岩さんから「そんなことをやったヤツは、お前が初めてだ」って言われて(笑)。いや、それをやれって言ったじゃないですか!って言ってたのを覚えてます。

白岩 下に優秀な後輩が入ってきたな、と当時は思いましたね(笑)。私のほうはセガは2年前に退職したんですが、コンシューマ(家庭用ゲーム機)事業があった時は、ずっとコンシューマ開発から品質管理、生産技術から品質保証までやっていて。コンシューマゲーム機を撤退してからはアミューズメント(=AM、アーケードゲーム)に移りました。アミューズメントにいた松宮さんとは逆にアミューズメントのほうで、品質保証の部長をやったり、生産部の部長をやったり、部長職で16年間ぐらいやっていたんですが、2年程前にセガを57歳で辞めています。今回ソルクス・デザインの高須さんのお顔も、もう30年ぶりにお会いできた感じですね。

戸崎 というわけで、いよいよ本日のメインのソルクス・デザイン高須社長です。まずはソルクス・デザインという会社はどんな仕事をしていて、セガハードのデザインをどういう経緯で引き受けることになったのか、あたりからぜひ。

株式会社ソルクス・デザイン社長・高須安夫氏。セガのハードを担当する前は、ハイファイオーディオや通信機器、医療機器などを担当。カラオケの第一興商製品のほとんどはソルクス・デザインによるものだという。

セガハードとソルクス・デザインの数奇な出会い

高須 当時、セガさんのハードのデザインは6〜7年ほどやっているんです。主に関わったのはその中の3つ(セガ・マスターシステム、メガドライブシリーズ、ゲームギア)です。セガさんの仕事をやるようになるまでは、まったく知らない会社でした。

ここから先は

8,383字 / 14画像

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?